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2020/8/27(うたの日366)

白波が人魚に変わる瞬間を信じて今日も海へ行かない/小宮子々
(2014/7/3「波」)

下の句が不思議に印象的な短歌だと思う。…「信じないから海へ行かない」もしくは「信じて今日も海へ行った」ならば矛盾はない。が、それでは詩が生まれない。「信じて今日も海へ行かない」であるから、この短歌を魅力あるものにしているのだろう。
「白波が人魚に変わる瞬間」は主体の頭の中にははっきりと存在している。しかし、実際の海に行ってもそんな瞬間が来ないと主体は知っているのだと読んだ。「海」がすべてそうであるというよりかは、主体の憧れている土地の海、もしくはかつて旅行して美しかった土地の海である気がする。憧れている気持ちがあまりに強いため、バイアスを激しくかかけてしまっていることを主体は自覚しているのだろう。なので、実際にその場所に行くと幻滅してしまうことが解っているため、「海へ行かない」のだろう。美しいままのイメージを自分のなかで保存している。…やや深読みかもしれないが、主体は現実と上手く折り合いがつけられないのかもしれないと思った。人魚は想像上の生物であるし、ありのままを見つめることを避けている。『赤毛のアン』のアンはつらい現実を直視できなくて、想像力で現実を補填していた。この主体が「信じて」いる背景にもそういうストーリーがあるのかな、と思った。

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