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2020/1/31(うたの日366)

この街の電信柱ひとつずつ折って孤独が完成します/鴨衣

(2019/3/6「信」)

すごい歌だと思う。そして怖い短歌でもある(怖い短歌はいい短歌だと穂村弘が云っていた)。
また、「完成します」なので「完成した」のではなく「完成するだろう」という仮定として読むことが可能である。
わたしたちの繋がりはインターネットや電話を媒介にしていたりもするし、それ以外の空調や照明、水道を使うにしても電気が必須と云っていい。信号が止まってしまうと車で外を走ることも不可能になる。必然的に夜でも暗い家の中に閉じこもることしかできず、本当に街の電信柱がひとつずつ折れてしまったらわたしたちは耐え難く不安になるだろう。
ただ、この歌はそれだけに留まらずもっと重層的に読むことができる気がする。例えば、先の震災に重ね合わせて読んだりすることも。
個人的には全体比喩として、主体の心象風景としても読むのが面白いかとも思う。電線で一定間隔でゆるく繋がっている電信柱は無機質で没個性の集団であり、主体の人間関係かもしれないとも思わせる。それを自分から壊して孤高に生きる、前向きな破壊衝動ではないだろうか。孤独だけではネガティブな表現だけれども、「孤独が完成」だともっと深い味わいになる。
スケールの大きさと、それなのに主体がどんな存在なのか見えてこない、神なのか人なのかも解らない、ということが、この歌を魅力的なものにしていると思う。

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