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2020/6/25(うたの日366)

雑草とまとめて呼んでたくさはらに不意にミントの香りただよう/遠木音
(2016/7/31「雑草」)


花の名前や草の名前を新しく知ることによって、今までとは違った世界がひらける…「知る喜び」に直結させた切り取り方は歌としてわりとある気がする。この歌はそのようにして読むこともできるけれど、それとは逆の、知らなくて良いことまで知ってしまった悲しみ…云ってみれば大人になってしまった悲しみとしても読めると感じた。
と、いうのも「ミント」は爽やかなイメージであるけれど、子どもであれば薄荷味はドロップスでも残りがち、ミンティアやフリスクの類も大人が食べる印象があり、それは口臭を消すためだとか、口淋しさのためであったりする。…そう考えると、「ごまかす」ためにわたしたちはミントをよく使っている。嘘をつくことを知る前の世界は確かにもっと単純な構造であった気がする。そう考えると、「雑草」とまとめて読んでいた方が世界はもっと簡単で、知ることは必ずしも喜びに直結する訳ではないのだろう。
他の草花や、あるいはもっとたくさんの名前を知ったのであれば、こういう読みは出て来ないので面白い。ミントの持つイメージと主体の感情が描かれていないので読みのひろがる歌だと感じた。

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