![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29340003/rectangle_large_type_2_05aaa6a3dcfc7cbd362895fd71e1fe12.jpg?width=1200)
2020/6/29(うたの日366)
対岸に亡き犬が居てこれは夢 来いと呼んでも来ないから夢/けら
(2018/11/1「犬」)
対人間でこのシーンをされると甘すぎたり逆にさめてしまったりするのだけれど、犬で描かれてしまうとぐっときてしまう…人間だとここまで美しくいかないという持論があって、というのもペットは何故かどんなことをされても良かった思い出ばかり思い出せるからな気がする。
この歌はもう上の句で「対岸」「亡き犬」という単語を出して主体もあきらかに「これは夢」と自覚している。だからもう既に、自分が見ている夢だと自覚している。にも関わらず、もしかして…と、あきらめられない感じに「来い」と呼んでしまうところが苦しい。それによって、さらに夢だと自覚してしまうのだけれども。また「夢」と書いているけれども、主体が「夢」と思っているだけで、本当は主体はもっと死に近いところにいるのじゃないかという風にも考えられる。「対岸」とはやはりそういうことで、犬が嬉しそうに来ないのは「行けない」からではなく「こっちに来ては行けない」と訴えているからかな、と。言葉を使えない生きものとの無言のやり取りが、うつくしく感じてしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?