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2020/7/10(うたの日366)

火葬場に遺体が列を成していてどこまでいっても秩序の中だ/タキザワ
(2019/12/23「列」)

何処となくディストピア的な雰囲気があって惹きつけられる。わたしたちは生きているあいだ、社会の一員として「秩序」を保つため、多くのことに束縛されている…ただ、死んだら即座に自由になれるかというとそうではなく、肉体がある限り火葬というシステムを通過しないといけない。また、棺桶はすべて画一的な矩形である。…肉体がある限り、まだ秩序から逃れることはできない。では、たましいはいつから…?という問いかけが、さらにここにはある気がする。
しかし列を成すほどの遺体が火葬場にあるということを考えると、地震のことなどの災害が思い浮かぶけれど、それは「秩序の中」ではないような気がする。「火葬場で荼毘に付される前の遺体の形式は過去も未来も変わらない」という意味での「列を成している」だと読んだ。ただ、これは2019年に詠まれた歌ではあるが、2020年春以降に読まれるときっと違う趣になる歌だと思う。イタリアではコロナウイルスによる一日の死者数が多すぎて、火葬が追い付かないというニュースがあった。その際きっと遺体は列を成していたはずで、かつ生者たちが手を触れられないように、すべて棺桶に安置されていた。最後の別れもできなかったはずだが、それは「秩序」を保つためであり、この世から消滅せねばやはり自由になることはできない…すごく考えてしまう歌だと思う。

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