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2020/4/22(うたの日366)

一篇の詩を諳んじて少年はれもんの清しかたちを愛す/織田真水

(2019/1/10「少年」)


「詩」「少年」「れもん」を使い、おそらくそれら全てが爽やかさに繋がるワードである。同じ方向性のワードをのせると云い過ぎ、やり過ぎ感が出てしまったりするのだけれど、この歌をぎりぎりで詩のようにしているのは「一篇の詩を諳んじて」から「れもんの清しかたちを愛す」までに飛躍があるからだと思う。例えば「れもんのような清しさを愛す」とかだと、それまでで終わってしまう気がする。味や香りには下の句で触れず、上の句でそれを連想させる感じになっていて上手い。
レモンのかたちは紡錘形で、転がるとまっすぐに進まない不安定な感じがある。敢えてそのかたちを好む少年の、早熟さやはかなさが浮き上がる。レモンから既存の文学である梶井基次郎の『檸檬』や高村光太郎の『レモン哀歌』を連想させることもあると思う。壊れやすいものを描くのは歌になりやすいし、実際に綺麗だけれど、露骨すぎるとあざとさが浮き上がる。これは明るい部分を描きつつ。裏の暗い部分を想像させることができていて巧みな歌だと思う。

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