見出し画像

2020/4/18(うたの日366)

幸不幸いくつも波は過ぎてゆき心電図にいま訪れる凪/西村湯呑

(2014/7/25「不幸」)


心電図とか点滴とか、病院の景を詠んだ短歌はうたの日ではけっこうある気がするのだけど、これはその中でも特に上手いなあと思う。心電図の描写だけで、人間の描写が一切なく、厳かな雰囲気が引き立っている。また「幸不幸」という言葉選びはベクトル=波のイメージと結びつけやすく、かつ漢字の視覚的な波っぽさ(全然上手く云えてないけれど、「不」を挟んでまた波に戻っていくような…)もあり、巧みだと感じる。
さらに、心電図は自分で見れないはずなので、この視点は看取っている周囲のひとのはずだろう。だが、「幸不幸」という切り取り方をすると、そうでないような気もしてしまう。どんな人間も当たり前だが生きている限り「幸不幸」両方を体験しているのだけれど、見取る側がそこまでシビアに見れるかと云われたら難しい気がする。…これは、なんとなく死に際している自分が自分を俯瞰している視点として読んでも面白いかもと思った。良いこともあったし悪いこともあった、と振り返れるのは自分だけだろうし、そこまで冷静になれるのも死を間近に感じたときくらいだと思うので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?