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2020/3/30(うたの日366)

いつか来た道を今度はきみが行く僕はしずかな観客になる/StarLighter

(2019/3/2「来」)


一読したとき、ライバルや後輩をイメージしていた。それ以外でもいろいろな関係性が考えられる歌だとは思うのだけれど、自分は親子として読んだ。父親と息子で、その息子は父親と同じ夢を目指している…とかかもしれない。
父親(と、敢えて限定した読みをするのだけれど)の夢が叶えられたかどうかはここでは描かれていない。でも、それはなんとなく叶わなかったような感じがある。というのも、下の句の「僕はしずかな観客になる」という感覚がそうでなかったら出てこないような気がするからだ。
この歌のいちばん良いと思った部分がその下の句で、どんな関係性であれ、「いつか来た道」を「きみ」が通っていたら、つい自分が手を取って導いてしまいたい気持ちになる。でも、主体は教えるのでも支えるのでもなく「観客になる」。同じ道を歩んでくれているのはきっと嬉しいはずなのだけれど、自分と「きみ」とは別個の人間だと認識しているからだろう。「きみ」の使い方も、関係性を明示しないことで歌の読みを広げているだけでなく、「子」を使わないことによって、自分は自分、きみはきみ、と切り離して考えていることが解る。…観客になった主体は「きみ」を最後まで見届けるだろうし、大切なところで拍手も送るはずだろう。単に「応援する」というだけではなく、言葉の使い方でもっと深い繋がりを見せてくれている歌だと思う。

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