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2020/2/16(うたの日366)

知らないでいるのだバームクーヘンも自分がどんな木だったのかを/WPP

(2017/4/8「バームクーヘン」)

バームクーヘンという素材がもともと好きで惹かれがちなのだけれども、これは上手いなあ、と思った。
まず、バームクーヘンは木ではない。それでも、輪切りにされて並んでいるバームクーヘンたちは自らを元々は木だと思って並んでいる、というのが、どこか可笑しい。でも、永遠に自分の元の姿というか木ではないことを知らないままなんだろうと考えると、せつない。バームクーヘンに感情移入させられることが、既に可笑しいのではあるけれど。
また「バームクーヘンも」ということで、これは暗に自らと照らし合わせているのだろうけれど、これは「自らの出自を何処まで知っているのか」ということに繋がるのだと思う。確かに三世代、四世代くらいまでは遡ることができても、それ以前の自分の出自はもう解らない。例えば馬といえばサラブレッドのような馬をイメージしてしまいがちだけれど、あれは品種をかけ合わせて人工的につくったものであって、馬の先祖は牛に近く、それをもっと小柄にした姿だという(ドラえもんからの知識)。…自分の大元の姿はきっとイメージとだいぶかけ離れた姿なのだろうけれど、それを知らないまま一生を終える。でも、それは逆説的にそんなことを知らないままでも全然大丈夫ということでもあるのだろう。もしかするとそれは、古い因習や血縁など、そんなに気にすることはない、ということに繋がるのかもと思ったりもした。

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