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国葬にいってきた

そう聞くとあなたはどんな気持ちになりますか?

9月27日火曜日、私は数年ぶりに2時間半かけて東京へ行きました。仕事も前日までに片づけ無事に休みを取れて、切符が受け取れない!というアクシデントもありましたがこれは笑い話。無事新幹線に乗った時、ほっとしました。

7月8日、あのニュースを見た時の感情は怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか今でもよくわかりません。死に対して割とドライな私がとにかく大きなショックを受けたのです。

基本的に2次元に生きる人間なので世間の動きや経済や政治の詳しいことは知りません。ただTVの報道は偏っていてネガティブなことばかり報じているんだということは何となくわかります。安倍政権のことを叩くニュースばかり見てきました。いえ、安倍さんだけではありませんね。TVで政治の気持ちの良いニュースは本当に見たことがありません。

しかしTwitterやYouTubeでは海外の方々の日本に対する好意的な意見が多くみられたり、日本でも支持している人がたくさんいることを知ります。少し調べてみると素敵なお話や素敵な写真がたくさん見れました。そうか、私は知らな過ぎたんだと反省しています。正しい情報の仕入れ方をもっと早くに模索すべきでしたね。もちろんTwitterやYouTubeが全て正しいものではないでしょうし、新聞も偏った報じ方をしているでしょう。自分で正しい情報を選び取る力が、大人になった今になっても身についていないのが悔しいです。

さて、それはさておき。

大きな衝撃を受けた私は国葬の話が出た時に「これは絶対に参加しなきゃいけない」と強く思ったのです。色んな無念を晴らすべく、と言うとちょっと大げさなのですが、どうしてもありがとうを伝えたかったのです。

批判されても日本を引っ張って。叩かれても前を向いて。外交の功績は素晴らしいものばかりなのに、日本では報じられず、称えられず。最期があんな結末だなんてひどすぎませんか。悲しく歴史が動いた瞬間です。だからせめて私は感謝を伝えに行こうと決めたわけです。

東京観光なんてものはほとんど頭になく、11時半頃東京駅に着いてすぐお花屋さんへ行きました。都会のお花屋さんはおしゃれでセンスが良くて大好きです。

事前に調べたところによると献花にふさわしいものは白ユリや菊が良いとか。でも詳しいわけではないし聞いてみようと店員さんのところへ行くのですが「国葬用のお花をください」と上手く言えないんですよ。あちこちで批判されていたのが頭をよぎるので国葬がNGワードに感じてしまうんです。店員さんは察してくれてこちらの中から選ぶといいですよと案内してくれました。色々あったのですが小さめの花束に。お墓参りなどにも良さげな取り合わせでとてもかわいいものでした。きれいな白いリボンも巻いてくださりお店のお姉さんには感謝です。

可愛い花束

地下鉄に乗り換えて最寄り駅の九段下到着。この時点で国葬に向かうであろう人たちの姿が見え始めました。喪服を着た人、大きな花束を持った平服の人、日本の国旗の刺繍が入ったマスクをしている人もいました。出口が封鎖されていたりして戸惑いましたが、一般の献花台に向かう出口流れに従って歩き始めます。少しずつ同じ目的の人たちが辺りに増え始めます。

お、タマネギあった。と思ったのもつかの間。誘導はどんどんと会場とは離れた場所に。最後尾はこちらでーす!という警察の声を頼りに歩くのですが一向に最後尾は見えず。結局30分ほど歩いて隣の駅、半藏門までいきました。

そしてこの日は真夏日の予報が出ており、その通りの気温に。とにかく暑い。一度コンビニでお茶を買い熱中症対策をし、意を決して並ぶのでした。いい天気で良かったのですが(雨女なので晴天は稀)とにかく暑くてですね、ハンドタオルびしょびしょになりました。いつもは機能性重視の服を着るくせにこの日はワンピース。暗めのきちんと感のある服がいいと思ったためなのですが、Tシャツジーパンスニーカーが良かったですね。笑

凄まじい長さの行列になっており献花台に着いたのは14時半。まるっと2時間30分かかりました。道中ものすごく短い間隔で警察の方々が立っており、車道わきには隙間が無くなるくらい護送車やバスがぎちぎちに停められていました。歩道以外誰も歩かさないぞ、人の流れを一定に保つぞという強い意志が見えました。手荷物検査ではペットボトルの中身の安全を見るために警察の目の前で飲み物を一口飲むといった徹底ぶり。事件の日の反省を活かしているのでしょう。

献花待ちの行列、前半はじりじりとしか進まなかったのですが後半は競歩。崩れた行列で疲れが出ている人ばかりなので我先にと走ったり早歩きしたりとめちゃくちゃしんどかったです。私の前を歩いていたおばあちゃんは歩きスマホをしていました。イヤホンまでして危ないな、行列が退屈だからってダメでしょと思っていましたが、その方は国葬の生中継を見ていました。そりゃそうだよな、中継も見たいよな。みんな安倍さんが好きでそんな人たちばかりが並んでるんだもんなと思いました。

並んでいた時間、私は珍しくイヤホンもせずスマホもほぼ触ることなく過ごしていました。この場の空気をにおいを音を全て感じておきたかったからです。驚いたのは並んでいる人たちの多様さ。お兄さんお姉さん、おっちゃんおばちゃん、おじいちゃんおばあちゃん、他にも外国の方、赤ちゃんを抱っこしたお父さん、ダンサーのような恰好をした10代の女性や喪服をびしっと着た老夫婦も印象的ですね。社会でちょっと生きにくさを感じているだろうなという人も大きな花束を抱えて並んでいました。標準語の人や関西弁の人もいて、ちょっといい身なりの人もそうじゃない人もいて、本当に色んな人が並んでいました。そしてほとんどの方が1人で黙って暑さに耐えながら文句ひとつ言わず並んでいるのです。3人以上で並んでいるのはあまり見なかったですね。みんな思い思いに弔いに来ているようでした。安倍さん愛されてたんだなぁとしみじみします。

逆にね。国葬反対!とか安倍政権悪しき8年間!とか言ってる人たちってね、びっっっくりするくらい同じような出で立ちの同じような年代の人で構成されているんですよ。ほとんどおばちゃんとおばあちゃん。子どもの応援団みたいな小さなメガホンでたどたどしく新聞を読み上げていました。私はその悪意をしっかり浴びてやろうと真正面に仁王立ちをしてみました。目も合わさず新聞に目を落として弱々しく読み上げるだけでした。それって後ろめたさがあるからなんじゃないの?今ここでやるべきじゃないってわかってるからなんじゃないの?自分に信念がないからなんじゃないの?待ってる間こういう悪意を浴び続けてしんどかったですね。

ちなみ悪意がしんどいと言いながらも悔しい私。好戦的な性格なので反対勢力の全員の目を見つめて通りすぎてやりました。睨んでません。曇りなき眼で見つめていただけです。

でも前の方でうなってるおじさんとかいましたもん。それくらい気分悪いことされてるんですよってね。まぁそんなことがあって色々感じて。いよいよ自分の番が来ました。

献花台を前にするとぐっとこみ上げるものがありました。

優しい安倍さんの大きな写真。正面から見上げながら持ってきたお花をそっと置いて手を合わせます。ありがとうとごめんなさいが自分の中で渦巻きました。こんな日本でごめんなさい。こんな日本のためにありがとう。

目を開けてもう一度安倍さんを見上げる。優しいまなざし。

よし、心に区切りをつけ、会場を後にしました。


九段下の駅に向かっていると大きな声が聞こえてきます。あーあ、また反対デモか、とがっくりする私。近づいてみるとそこには坊主頭の青年がマイク片手に訴えていました。それは国葬反対のデモを今やるべきではない、悲しくて悔しい!というものでした。お顔は見えなかったのですがカンペを見たりするのではなく力強く自分の言葉で訴えていました。先ほどの反対おばちゃん達とは違います。近くにいる人たちは献花帰りの人たちでしょう。少し足を止めて拍手したり応援したりしていました。

交差点の対角線上に反対デモの親玉がいました。大きな交差点だったのであまりはっきり見えませんでしたが、大掛かりなデモ隊と車でした。あまりにくだらなくて私は駅の改札に向かうのでした。海外からも要人がたくさん来ているのになんて恥ずかしいことなんだろう。


今回の弔いを通じて色んなことを感じました。亡くなってしまった人に気持ちを伝えられる唯一の機会すら、こうして邪魔され水を差されてしまったわけです。海外にもたくさん安倍さんに対し友好的に思ってくれている人たちがいるでしょう。その方々の気持ちにも水を差しているわけですよね?なんて心が貧しい国なんでしょうか。

以前アメリカに旅行に行ったとき玄関に国旗を飾っているお家が多くて驚いたことがあります。僕たち私たちはアメリカが大好きだ!って言ってるわけですよね。日本ではありえないじゃないですか。そんなことしていたら変人扱いですよ。ちょっとやばそうな人認定。

ただそこまでオープンでないにせよ「僕はこの政治家が好きだ」「私はこの政策が素晴らしいと思う」逆に「この政治家の〇〇はダメだと思うけど、この政党は頑張っていると思う」とか、もっと話せる日本であれば良いなと思うんです。好きなら応援すればいいし、嫌いなら対抗馬を応援すればいいだけの話であって。批判したり叩く必要ってないですよね。嫌いなスポーツ選手叩くんですか?そうはしないでしょ?って思います。

国葬の批判は開催にあたってのステップの踏み方が甘かったのかもしれません。聞く耳を全く持とうとしない奴らばっかりですから、強行せざるを得ない部分もあったでしょう。次がもしあるとするのであれば足の引っ張り合いではなくきちんと議論の上に成り立たせ、参加する者がみんなもやもやすることなく帰れる会にして欲しいと思います。

国葬に行ってきたよって未だ友人にも職場の人にも言えない国って本当におかしいと思う。なんでNGワードやねん。弔う気持ちが邪魔されない日がいつか来ますように。

とまぁこんな感じです。このあとめちゃくちゃ遅めのランチとして立ち食い寿司を食べてビールを2杯飲んだのですが疲労感からめちゃくちゃ回ってしまって・・・。お土産買って新幹線に飛び乗りました。FFのサントラ聞きながら気絶。笑

この旅は母と妹の粋な計らいにより実現しました。本当にありがとう。人生で最初で最後になるであろういい経験になりました。



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