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砂糖の化石

のようなこれは何でしょうか?

実は、南蛮菓子、金平糖をつくる際に副産物的にできるこぼれたシロップの塊です。

それも、約100年分。

下の方、よく見ると、層状になっているのが、お分り頂けるだろうか?まるで地層のように。

一層一層、職人さんが暑い部屋で汗をかきながら、シロップをかけて金平糖を育てていく様子が目に浮かぶ。

“先先代の頃から今日まで続いてきて、ぽろっと取れた” 4代目の大先輩がおっしゃっていた。

これは、先週お伺いした、京都の金平糖専門店”緑寿庵清水”様の祇園店プレオープンのときの写真。

私が個人的に大変尊敬している店の中の一店。専門店としてのあり方を、いつも学ばせて頂いている。

斗六屋も私の代で、甘納豆と言えば斗六屋と、日本中、はたまた世界中で言って頂ける存在までブランド力を高めたい。

2Fに、金平糖とお店の歴史が伝わる展示が数多くあり、非常に参考になった。

こういう、普段使っていた道具とか、ラベルとか、美術品というのではなく、工藝品のようなものに、非常に親しみを持つ。

落ち着きがあり、格も感じる店構え。

各業界の、著名な方々からのお花も見かけた(昔は気にもとめなかったのに、家業に入ってからちゃっかり見てしまうようになった)

各時期限定の金平糖。パッケージも趣向がこらしてあり、遊び心やセンスを感じた。

南蛮の、季節感のない菓子に、見事に日本の季節を取り入れたところに、やはり日本人の柔道のような、力比べでなく、柔よく剛を制す精神を感じた。これぞ和菓子のあり方なのかもしれない。

祇園店限定の巾着。大変著名な方のデザインとうかがった。

当店も、祇園で創業した歴史をもち、私個人としては、必ずまた祇園に店を構えるという気概で、今日まで3年やってきた。(2代目もまた祇園にということを言っていたらしい)

先代の願いを叶えることも、後継者の使命であると常々思う。

祇園に店をだすときには、祇園源店とすると決めている。

なぜなら、我々の原点=源だからである。

創業の根っこさえ忘れなければ、企業は永続的に生き続けていけると信じている。

師の求めたるところを求めよ。

創業者が目指したのは、都名物=和菓子の激戦区、京都一の甘納豆である。

私も、創業者が向いていた方を向いていく。

また清水様に伺い、歴史を付加価値に変えていくことが必要であると改めて感じた。

そのための、創意工夫。

専門店こそ創意工夫である。それでしか食べていけないのだから。

清水様は、これまで色違い程度であった金平糖を、様々な味違いにチャレンジされ成功されている。

個人的に、マンゴーの金平糖が大変美味しかった。(マンゴーが好きなだけなのだが)
季節感もあり、一番のおススメである。

写真をとりわすれたので、詳しくは一度足を運んで頂ければと思う。

緑寿庵清水祇園店

図書館へ寄った帰り、鴨川で涼むのは、大変風が気持ちよい。(そうでもしないと、京都の夜はあつくてやってられない)

明日からも頑張ろう。

#和菓子屋 #甘納豆屋 #金平糖 #専門店 #斗六屋 #職人 #京都





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