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“湘南の向こう側” 宿 aiaoi

古い家具や雑貨を触れる時に、少しの心構えをしていつも以上にそっと触れることがある。

ずっと年上で、遥かな時間を過ごしたそのものに、一瞬関わるだけの自分。刻まれた時間の跡を見て、敬意に似た気持ちでも湧いてるのだろうか。それは繊細な関係性であるが、ある種の心地良さを感じる。aiaoi はその雰囲気を宿全体に纏っていた。

梅雨入りをして2週間近く。江ノ電長谷駅を降りると、小雨が降っていた。
あじさい道の長谷寺をはじめ、街中には水色や白色の紫陽花がポンポンと花開いている。

aiaoiがあるのは長谷駅から由比ヶ浜方向に歩いて3分ほどの、とある雑居ビルの3階。1階には地元住民が営む定食屋やスナックがあり、そのビルの外観は鮮やかなオレンジ色に塗装されている。いつかの年代に掲げられていたのだろう、薄く「レディースイン」と書かれた看板が残っていた。

位置情報はこの建物を指しているが、この中にあの宿があるとは思えない。見間違えたかと思いつつも近づいてみると、小さなショップカードが案内板にあった。階段を登り、ゆく先にある寂れた扉を恐る恐る開ける。

出迎えてくださったのは、まるで萩上直子の映画に出てくるような、ゆっくりした調子で話しかけてくださるチェックインスタッフで、彼女は僕の目をまっすぐに見つめながら、ほころぶ笑顔を向ける。緊張が和らぎ、これから落ち着いた時間を過ごせることに安心した。

宿として特徴的なのはその空間計画、この価格帯では珍しいシャワールームとトイレの共用。つまり誰かが使った跡が少なからず残っているのだ。
しかし、その跡によって不快な印象は一切受けない。むしろ、誰かが使い終わったバスタオルが綺麗に畳まれている様子に心地良さを感じる。

決して美しいものではないはずの、その跡に感じる心地良さは、本来のおもてなしの本分である「快」を超越したものと言えるだろう。「不快」を混合した「快」。不快さも含めて心地良いと感じる崇高さが二畳ほどのバスルームにあった。

客室に置かれたドライヤーは風呂敷で丁寧に収められており、ティッシュ代わりの手拭いは一枚一枚アイロンがかけられている。誰かを尊重したそれらの丁寧な引き継ぎは、宿泊者である自身の心にも自然と育まれ、また誰かを思い丁寧に跡を残す。自分がその気持ちでいられることが嬉しかった。

外出をすると、あの空間が向こう側にあるように感じる。小雨だった雨が掻き立てるよう降り、行き交う車のライトは道に滲み、台風の影響か由比ヶ浜の波は砂浜を覆い隠すまでに迫っていた。
向こう側で雨宿りをしたい。崇高な私の居場所へ。
安まりを求めて帰路についた。

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