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“思い出すのは不便だったこと” 宿 yamakaoru

仕事には人柄がでるものだと最近つくづく思う。その人が普段からなにを大切にしていて、なにを見て、どう動いているのか、それが結果的に表れるものが仕事ではないだろうか。

大分県の片隅の山香町。この町に暮らす3人家族の人柄、家族柄が大きな一棟の建物から香る宿こそがyamakaoruである。

大分県国東半島の真ん中に位置する山香町。青々とした田んぼの広がる山香町には、不思議なことに、創作的な活動をする方の拠点がぽつぽつと点在している。街中に垣間見える美しいお店やギャラリーがアクセントとなることで、町全体にどこか幻想的な浮遊感が漂っており、そのことに気持ちの良い違和感を覚える。

話半分で聞いていた「九州の夏は天候変わりやすいよ。」という知人の助言は本当だったようで、通り雨が滝のようにどうっと降っては止み、またどうっと降り注ぐ。そんなアクシデントに振り回されながら、yamakaoruに到着したのは、滝のような雨が降り止み始めた頃。

到着した私をほころぶ笑顔で迎えていただいたのは奈々絵さん、ガレージで水遊びをしていたのは泰秀さんとソウスケくん。そして、庭を散策していたのは烏骨鶏である。

この一家にとって日常的な風景なのだろうが、よそ者である私には、この和やかさが淡く輝いて見えて、家族の時間にいまからお邪魔をするのだと心持ちが作られていくのを感じた。

空き家となっていた一軒家に手を加えたというyamakaoru。ご夫婦で試行錯誤をしながら創ったいうお話で、壁漆喰の色、ハンガー、電灯のスイッチ一つにまで磨かれた感性が感じられる。

建物の空間構成で特徴的なのは、一家の私宅と宿の機能が溶け合っているというところ。宿のリビングルームはソウスケくんの遊び場でもあり、朝食を用意していただくキッチンはご家族が普段から使われている台所でもある。

交流を目的としたゲストハウスとは異なり、宿泊客が自身の時間を過ごせるような適度な距離感は保たれている。ただ時折、台所で家族の朝ごはんを用意している影が見えたり、静かに遊ぶソウスケくんの声が聞こえたりすると、その場に漂う暮らしの様子がまるでふわっと香ってくるように感じるのだ。

「不便なことって思い出になると思うんです。ここ山香に居るとそんな不便なことが楽しかったりする。」と奈々恵さんはまっすぐな目で私に語る。

不便を前向きに捉えることが苦手な私だが、「思い出になる。」という捉え方は新鮮なものであった。すべての不便を前向きに捉えることはできないが、良し悪しあれど、すべての不便はまるっと思い出になる。

奈々絵さんと談笑している間、滝のような雨は降り止み、外ではひぐらしが鳴いていた。

yamakaoruは、少しの不便さを残していた。

自身で調達をする夜ご飯。近くに飲食店はなく、知らない街のスーパーで買い物をした。お風呂は外の銭湯に行く。天然温泉にさっぱりとしたが、お湯が私には熱すぎた。寝室にも家族の生活音が聞こえる。庭の烏骨鶏が鳴く声で起こしてもらった。完璧に作りすぎないということは、記憶に残るもてなしにつながるのだろう。

そのなかでも私の一番の思い出は、閉店時間直前のスーパーで購入したお惣菜を食べている時、奈々絵さんがお裾分けしてくれた、握り飯だ。

やはり、心地良い不便に思い出は宿る。

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