心に留まる宿 “旅が触れ合う距離” Raon Hoi An
自らを自らとして認識し受け入れるには、異なる考えや環境が不可欠であるように思う。
私たちが日本人であることを自覚するには、異なる国の人々との交流は不可欠であり、ヒトであることを自覚するには他の動物の生態を知る必要がある。しかし、相対するものの影響力があまりに強いと、それに目を見張らせるばかりで、自身のことは見えなくなるのかもしれない。
ホイアンは南シナ海に流れ出るトゥポン川の三角州に形成された沿岸都市であり、かつて交易で繁栄した背景から多様な文化が交差する街であった。旧市街と呼ばれる中心地は中華の色合いが強く残っており、彩り豊かなランタンが飾られた街中で、幹の太い街路樹の並木道をバイクの群れが行き交う。
そんな中心地からトゥポン川の下流へ車で20分ほどの距離にある郊外のカムタンは、比較的交通量が少ない静かな住宅地であり、家屋から漏れ出るポップミュージックや鶏、野犬の鳴き声が大きく聞こえる。ココナッツバスケットと呼ばれる半球体の形をしたボートは、漁業に使われる竹製の小型船であるが、現在では観光客のアクティビティとして人気を得ているようだ。
Raon Hoi Anは、主要道から路地へ入り込んだ先に構える小規模ホテルで、2棟の宿泊棟に客室は全室で10数部屋ほど。中庭に屋外プールやレストラン、ハンギングチェアが設置され、ココナッツが実った大きなヤシの木がいくつも生えている。
ホイアンの都市部ではパブリックスペースを半ば私有化した光景がよく見られた。団地の外廊下はソファを置くことでリビングとして扱い、家の前の歩道にベンチやテーブル、植栽を置くことで住民自身の空間を獲得している。自らを屋外空間へ滲みださせるアクティブな街並みは生き生きとした印象を受けるが、Raon Hoi An もまた、全ての客室にバルコニーが設置されており、それらは他の宿泊客が行き交う動線や中庭側へ向いていたりする。屋外の風や緑を感じる暮らしを好む現地民にとって、このバルコニーは控えめであるように感じるだろうが、その存在によって内と外は完璧には隔たれずに、宿泊客は外部と適度な距離感を保ちながら緩やかに繋がる。
ある日の朝、Raon Hoi Anの清掃員のおじいさんがレセプションカウンターの横にある小さな仏壇に手を合わせ目を瞑っている姿を目にした。出勤前のスタッフは宿泊客も使うレストランで各々の朝ごはんを食べていて、こちらに微笑みかけている。フロントに洗濯をお願いしていると、Chuckと名乗るカナダ人男性が周辺のおすすめスポットを教えてくれ、仕事がひと段落したスタッフは各々、池の鯉に餌をあげたり、庭木の剪定をしたりしながら私たちにいってらっしゃいと声をかける。
すべてはほんの少しの関わりで、二度とは出会わない人たちであり、このような出会いは旅先でなくとも日常に散らばっている。けれども、Raon Hoi An での適度な距離感を持った交流は、自分たちが日本人であり旅人であることを自覚させるものであり、人生が交差しているかのように尊いものが感じられた。
自らを認識し受け入れるには、異なる考えや環境が不可欠であるが、相対するものの影響があまりに強いと自身のことは見えなくなる。
この距離こそが「旅」と「観光」の違いなのかもしれない。
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