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#029_最近読んだ本まとめ

 最近読んだ本について記録しておく。


▮安野モヨコ『還暦不行届』

✴内容紹介

 前作の『監督不行届』に続いて、漫画家の安野モヨコさんが旦那さんである庵野秀明さんとの生活を綴ったエッセイ。イラストやマンガもちょこちょこ載っているけど、前作と違い文章がメイン。

✴感想

 この、安野モヨコの描く庵野監督のかわいさよ……。創作する人間同士の夫婦、ということでたくさん大変なこともあるんだろうな、でもだからこそお互いの大変さや苦しみが分かって尊重することができるんだろうな、と月並みな感想ながらしみじみと感じた。安野モヨコさんの書く本編の文章からも、後半に掲載されていた庵野秀明氏のインタビューからも、パートナーへの感謝と尊敬が伝わってきた。

✴印象に残ったところ

先日ついに、私が夢中で仕事をしている間に気がついたら
料理が出来上がっている、と言う体験をしてしまった。

テーブルに魔法みたいに水餃子スープが用意されていたのだ。
お箸やレンゲは出ていない。
作るのに一生懸命で、スープのボウルをテーブルに置くだけで手一杯だったのだ。

安野モヨコ『還暦不行届』2023年,祥伝社 p.173

 全編ほっこり、または大笑いしながら読んだが、私はこのエピソードのこの文章がすごく好きだ。これまでまったく料理をしてこなかった庵野監督が、安野モヨコさんの奮闘(?)により少しずつ料理をするようになり、ついには何も言わずに「魔法みたいに」料理が出てくるまでになった、というエピソードの一節だ。特に「お箸やレンゲは出ていない」、「スープのボウルをテーブルに置くだけで手一杯だったのだ」というところに、監督の不器用さと一所懸命さがにじみ出ているような気がする。そして、安野モヨコさんの監督を見る目のあたたかさも感じる。

▮小川洋子『最果てアーケード』

✴内容紹介

 とあるアーケードを舞台にした連作短編集。「使用済みの絵葉書、義眼、徽章、発条、玩具の楽器、人形専用の帽子、ドアノブ、化石……どれもこれも窪みにはまったまま身動きが取れなくなり、じっと息を殺しているような品物たち」(p.12)が、それを必要とする人に渡っていくようすをじっと見つめる物語。

✴感想

 少し前に小川洋子の別の本『物語の役割』を読んだので、彼女の小説を読みたくなった(『物語の役割』もとても面白くて一気に読んだ。こちらは講演などの内容を本にまとめたもの。)。読みながら、そうだこの人の描く物語はこういう水の中にいるみたいな、不思議な感覚がするんだったなあと思い出した。『物語の役割』で小川さんは物語をつくるときのことについて、まずはあるシーンが思い浮かんで、そこから広げて描いていくのだ、というようなことを書いていた。小川さんは、この物語のどのシーンを最初に思い浮かべたのだろう。

✴印象に残ったところ

区切りのいいところまでいくと、窓ガラスにレースをかざし、模様の浮き上がり具合を点検する。太陽の光が編目の隙間をすり抜け、レースを柔らかく包み込む。ついさっきまで死んだ人の髪の毛だったものが、いつの間にかセントポーリアや紋白蝶や雪の結晶や数字や文字になっている。

小川洋子『最果てアーケード』2015年,講談社文庫 p.185

 この小説には様々な仕事をする人が出てくるが、上の引用箇所は遺髪専門のレース編み師が仕事をしているところを描いたシーンだ。「遺髪のレース!?」とはじめはその設定にぎょっとしたが、ものすごく静かで美しいシーンだと思った。レースの隙間から差し込む太陽の光が目に見えるようだった。

▮三浦しをん『好きになってしまいました』

✴内容紹介

 小説家・三浦しをんのエッセイ。いくつかの媒体に掲載された文章がまとめられたもの。現時点(2024年2月)では三浦しをんの最新エッセイ本ぽい。

✴感想

 私は三浦しをんのエッセイが大好きだ。今回もめちゃくちゃ面白かったー!家で読んでいるときについ吹き出して笑ってしまい、パートナーに怪訝な顔をされた。表紙がとってもかわいいし、本文中に出てきたものがイラストにされているので、読み終わったあとに眺めるのも楽しい(蟻もいて笑った)。こんなに面白く日常を文章にできるって才能だなあ。

✴印象に残ったところ

「子どものころは、どこのお寺にも即身仏がいるのかと思ってたんですよ。『どうやらそうじゃないらしいぞ』と気づいたときには、もう本明海上人の即身仏は家族みたいに親しみのある存在でしたから。ただ、僕も修行するなかで、即身成仏するほどの気持ちとはなんだろう、とは考えます。」

三浦しをん『好きになってしまいました』2023年,大和書房 p.258

 日常系エッセイもとっても面白かったのだが、この本で一番面白く印象に残ったのは旅についての文章がまとめられた章の中の「即身仏をめぐる旅」だ。即身仏とは、「飢饉や病の苦しみや悩みを代行して救うために修行に挑み、自らの体を捧げて仏となられた方」を指すらしい(山形県公式観光サイト「即身仏が語りかけるもの」より)。ここでは三浦しをんが山形に赴き、現存する即身仏を巡った際のようすが書かれている。
 引用したのは鶴岡市の本明寺の本明海上人の即身仏のもとを訪れた際の、ご住職の言葉だ。これを聞いて、三浦しをんは「本明海上人はご住職やお母さんにとって、『いまも生きている大切な家族』なのだ」と書く。即身仏という存在がもつ厳かな空気の中にあるあたたかみというか、人とその生活の存在が垣間見えた気がした。

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