ミュージカル『ロード・オヴ・ザ・リング』のエルフ語歌詞の批判的分析#001

導入

ファンタジーの古典であり、後世のファンタジー文化に大きな影響を与え続けているJ.R.R.トールキンの『指輪物語』は、ピーター・ジャクソン監督によって約20年前に『ロード・オヴ・ザ・リング』3部作として映画化されて一層多くの人に知られることになりましたが、一方でミュージカル版の『ロード・オヴ・ザ・リング』は、原作や映画のファンであっても知らない人は多いように思われます。そこで、当初はこのミュージカル自体を紹介しようと思ったのですが、言語学徒としては同作品で使われているエルフ語が気になってしまい、これから歌詞の中で使われているエルフ語がどれくらいトールキンの原典に依拠しているのかを検証していきたいと思います。今回はその1号目で、オープニングナンバーである 'Lasto i Lamath' 「声を聞け」を分析します。

なお、記事公開後の現時点でも調査中の部分があり、随時追記・訂正を行うことになるかと思います。

'Lasto i Lamath' 公式原文と公式英語訳の和訳

i-ngwaew asia wintar
ar i ardh iaur ú dara.
erui men úvill
gomen amdiram
orthored i wath.

lasto i lamath
erin gwaew
i lamath lin edair
avo osto!
aphada ven thanc
ar u dhir tira,
last' inn tegitha

[発音〈調査中〉]
/i.ŋwaεw a.sja win.tar ar i arð uː.da.ra
ε.rui men uː.vil go.men am.di.ram or.θo.red i.waθ
las.to i la.maθ εrin gwaew
i la.maθ lin e.dair
a.vo os.to
a.fa.da ven θank
ar uː ðir ti.ra
las.tin te.gi.θa/
※リエゾン等による音節の句切れ位置のずれは考慮していない。

[公式英語訳]
The winds of change blow
and the old world will not remain.
Separate we are vulnerable,
together we may hope to conquer the shadow.

Listen to the voices
on the wind,
the voices of your forefathers.
Do not be afraid!
There is a choice to make
and none can help you.
Listen, your instinct will lead you.

[公式英語訳の和訳(改行は英語に対応していない)]
変化の風が吹き、古の世はとどまりませぬ。
分かたれればわれらは弱く、しかし力を合わせれば
影を打ち砕くことができるかもしれませぬ。

風に乗っている
声をお聞きになって。
あなたのご先祖たちの声です。
恐れることはありませぬ!
あなたは選択を迫られ、
助けられる者はおりませぬ。
聞いて、あなたの直感に従うのです。

歌詞は、https://www.allmusicals.com/lyrics/lordoftherings/prologuelastoilamath.htmlなどで見ることができます。

分析にあたって

以下の辞書・文法書等を参照し、かつ略号を定義する。

Eld:Eldamo - An Elvish Lexicon <https://eldamo.org/>
GtS
:Salo, (2007), _A Gateway to Sindarin: A Grammar of an Elvish Language from JRR Tolkien's Lord of the Rings_. Salt Lake City: University of Utah Press.
HSD:Hiswelókë's Sindarin dictionary <https://www.jrrvf.com/hisweloke/sindar/>
PfE:Parf Edhellen: an elvish dictionary <https://www.elfdict.com/>

本来はトールキンの言語関係の草稿等をまとめたParma Eldalamberonシリーズ(以下PmE)を参照するべきところであるが、入手が困難であり、PfEがPmE、Eld、HSDの情報も入れて作られているので、基本的にPfEに登録されている情報を使用する。検索結果がEld、HSDに遡る場合やPfEに該当データがない場合はそちらを参照することにした。また、複数ソースからのエントリーが上がっており、各エントリーで訳語に差異がある場合は、両方をまとめて記載した。

逐語的分析

I-ngwaew asia wintar ar i ardh iaur ú dara.

i-ngwaew < 冠詞 i + gwaew「風」(PfE < PmE):nasal mutationが起こっていることを示し、冠詞とgwaewの間にハイフンが入っているものと思われる。
!asia 該当なし
!wintar 該当なし
ar 'and' 等位接続詞
i ardh < 冠詞 i + ardh 'realm' (PfE)
iaur 'old'(PfE < Eld)
ú 否定辞
!dara 該当なし

Erui men úvill gomen amdiram orthored i wath.

erui 'single, alone'(PfE < HSD)
men 'we'
!úvill 該当なし
!gomen 該当なし
?amdiram < amdir- 'hope' (n.) (PfE < Eld, HSD) からの派生?
?orthored < orthor- 'to master, conquer' (PfE) の動名詞形(?)
i wath < 冠詞 + 'shade, shadow, shadow, dim light' (PfE < Eld)

Lasto i lamath erin gwaew,
i lamath lin edair.
Avo osto!

lasto < lasto (PfE < PmE, Eld, HSD)
i lamath < 冠詞 + lamath 'echoing voices' (PfE < HSD)
?erin < 'on the' (PfE < Eld, HSD)
gwaew(既出)
lin 'you' 2nd. sg.
edair < adar 'father' (PfE < Eld, HSD)
avo 'do not' adv. (PfE < PmE, HSD)
!osto 該当なし

Aphada ven thanc, ar u dhir tira. Last' inn tegitha.

?aphada < aphad 'to follow' (PfE < HSD)? なお、aphad-の語幹は本来の規則に従えば *aphada-になるという(ibid.)。
ven 該当なし
?thanc 'cleft, split, forked' adj. (PfE < HSD) ?
ar(既出)
u < おそらくúのアクセントがなくなっている誤植。否定辞。
!dhir 該当なし
?tira < tir- 'to look, watch, guard' (Eld) の一形か?
last' < おそらく既出のlastoの/o/を省略した形。
!inn 該当なし
?tegitha < tog- 'to bring' の一形か?

音韻・形態・統語・語用などの総合的考察

上記に挙げた文法書における記述等に照らし、誤りであると思われる箇所はアステリスク、誤りであるかどうかは定かではないがトールキンの意図していた文法と異なる可能性がある箇所はクエスチョンマークで示す。

?erui men úvill:英語版の'separate we are vulnerable' を一語一語直訳したものと思われる。このような語法が許容されているかどうかは不明。なお、úvillという語形はいずれのソースでも見つかっていないが、/l/をふたつ重ねて終わる音節はシンダール語においてそもそも許容されないのではないか。なお、edhellen /ɛ.ðɛl.lɛn/ < edhel /ɛ.ðɛl/ のように音節境界をまたぐ場合は形態素内であっても派生環境下であっても、音節末以外では許容されているものと思われる。一方/n/の場合は inn 'some particular purpose or intention of individual' (PfE < Eld) の語があるので許容されているようである。innを含む他の語では(Húrinなど)脱二重子音化 degemination が起こる場合もあるようで、何らかの最小音節制約のようなものが働いている可能性もある。また、inn のヴァリエーションで ind も存在するようであり、/d/ が /n/ に同化した形であると考えることもできるが、通時的に inn と ind のどちらが古い形であるかは分からないため、これについては判断し難い。

?...amdiram orthored i wath:erui men úvill... に同じく、'hope to conquer the shadow'を直訳したものと思われる。おそらくorthoredはorthor 'to conquer' の動名詞形 gerund であると思われ、そうなると直前のamdiramは他動詞であることになるが、amdir-を語根とする動詞は少なくともPfEおよび引用元のソースには存在しない。

?erin gwaew:erinは、英語の直訳では 'on the' となっているが、トールキン著作のなかではerinの後に日を示す語句を用いているようであり(PfE)、erin gwaew「風に乗った」という使い方ができるのかどうか定かではない。

*i lamath lin edair:これが 'the voices of your forefathers' となるためには、語順はi lamath edair linとなるべきである。シンダール語の名詞が属格を持ち、「〜の」を表すとき、その名詞はそれが就職するところの名詞(句)に後置されるためである。

?avo osto:禁止命令はavo~! で表すところは正しい。英語ではostoが'fear'となっているが、ostoまたはost-で始まる語は 'city, fortress' に当たる単語しか見つからない。'fear' に当たる語は名詞では gor(n), thos(サムのキリス・ウンゴルでの叫びにある le nallon sí di-nguruthos...)など諸々あるようだが、動詞はPfEでは出てこなかった。

?ar ú dhir tira:おそらく tira が 'help' に当たる語として使われているが、本来「助ける」に当たる意味はないようである。

まとめ:エルフ語難しい

以上が 'Lasto i Lamath' の分析でした。おそらくトールキンの言語をちゃんと知っていて、ちゃんと監修できる人がスタッフについていなかったものと思われます(ついていればそういう役職がクレジットされているはずですし、ネット上の情報を見る限りではそのような役職は明記されていません)。単語や言い回しもある程度はトールキン原典にあるものを使っていますし、冠詞がついたときの名詞の語頭の音の変化も、僕が間違っていなければ正しく適用されていると思います。あくまで推測ですが、僕の勘では、台本&歌詞のMatthew Warchus と Shaun McKenna が、シンダール語の文法書を読んでだいたい理解した上で、欲しいけどトールキンが作っていない語彙を自分たちで補ったのではないかと思います。

というわけで、結論としてはこのミュージカルのエルフ語歌詞が「正しいエルフ語」と言えるかは甚だ微妙と言ったところではありますが、個人的にこのミュージカルは好きですし、そもそもエルフ語で歌詞を書こうとしたところがすごいと思います。

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