人生最大の決断をする期限を決めることにした。それは次の大震災までだ。


社会ではCovid-19が蔓延するけれど、僕らが生きることに猶予な時間を与えてはくれた訳ではない。ぼくが考え事をしている間にも刻は刻まれ続けていく。

いつの時代も、先の未来はわからなくて偶発的で怖いものだ。ぼくの心の中に、いつの頃からだろうか、いつでも纏わりつく不安の塊は、相変わらずぼくを痛みつける。



自分の人生の勝負をかけるタイミングというのは、いつになるのだろうか。世の中には多くの成功者がいるけれども、成功者たちも常に輝いた人生を送ってきたわけではない。

辛い時代やうまくいかない時代の中で、彼らはきっと多大なる覚悟を育くんでいき、だからこそ一瞬のチャンスに全力を注げたのだろう。


ぼくにも、いつか自分の人生を大きく左右する決断をする時が来る。いや、しなければならないだろう。
人生で一度も大きな勝負を賭けず、「勝負してこなかった後悔」に苛まれて生き続けたくはないからだ。そしてそのチャンスに備え自分を常に追い込み続けているからだ。



どの程度の大きさのリターンの夢を追い求めるか


しかし、問題はいったいいつ「タイミング」がやってくるのか、ということだ。「勝負のタイミング」を決断するのは難しい。

決断しきれずタイミングを逃してもいけない。かといって、理想と現実に隔たりがあるまま、やみくもに飛び込んでもうまくはいかないだろう。

「勝負のタイミング」問題はなぜ難しいのか、を考えてみたとき、

どの程度の大きさのリターンの夢を追い求めるかという考えが重要なのではないかと気づいた。


社会に価値を届けることには、いろんな「大きさ」がある。Googleを作って世界全体のインフラになることも、ニッチだけど一部の人たちに喜ばれるサービスを作ることも、教師になって地域の子どもたちに尽くすことも、地域のコミュニティーを運営して身近の人を幸せにすることも、みんな社会に価値を届けている。

社会に価値を届けることは、どんな「大きさ」であろうと大変である。本来「大きさ」に優劣はないはずだ。でも、やはり「大きい」ことのほうがすごいとされる。

憧れがあるからだ。社会の大半は大きなリターンの夢に挑戦するのは現実として難しくて、一部の人しかできない希少価値があるから。


人が決断しようとしてときに迷う原因は、リターンの大きさを考慮してしまうからだ。いま「小さな」リターンのチャンスに飛び込むべきか、「大きな」リターンの夢に備えて自己投資を続けるべきか。

つまり、「大きな」リターンを考えるとキリがないのだ。無限性が決断心を揺らがせてしまう。自分の成し遂げる「大きさ」を規定することになるからだ。教師になることでGoogleを作ることは諦めたように感じてしまう。

無意識に蔓延る、もっとすごいことができる、という思いが、自分のチャンスを無駄にしてしまう。



だけども、じゃあ自分のできる範囲の身の程で生きろ、というわけではない。

だれもは最初はビギナーで、自分のできないことを目指すからこそ成長していくことができるからだ。自分のできる範囲しか選択しないなら、可能性は広がらない。

やみくもに何も考えず行動するわけではなく、(自分が何をやりたいのかが明確でない状態ならばいろんな世界に飛び込み体験を重ねた方がいい。もしあなたが自分の進むべき方向性の軸がある程度あるなら、の話)自分の可能性に賭けて、自己投資を重ねるのもありだと思う。経験・スキル・知識・人間性をしっかり育むことも必要だと思っている。実りには、幹を太くすることが必要だ。

ただ注意してほしいのは、会社員であり続けろとか、もう少し現状のまま我慢しろとかいった意味ではない。あくまで強い意志で自分を研鑽し続けることに集中する。自己研鑽していくために必要な人生の選択は取り続ける、という意味だ。




自分の投資を回収する期限を定めよう


自分へもっと投資しより大きなリターンを求めることと、今すぐ挑戦し現時点で可能性のあるリターンを求めること。この2つの間で揺れ決断ができない。

だからぼくは、期限を決めることにした。

期限の時点で勝負を賭けよう。たとえ、自分がまだまだ実力を育みきれていないと思っていようとも。期限の時点での自分の可能性のあることに挑戦し、それに人生を尽くす。


ぼくは期限を、次の大震災までに決めた。


ぼくはいつも地震を恐れている。東日本大震災が起きた後、東北に一時期通っていたため、いつこれが日本中で起きるかわからないという恐怖心がある。
実際、南海トラフ大地震と首都直下地震が高い確率で今後起きると言われている。日本の中心部がやられるため、人々の生活に甚大なる影響を及ぼすだろう。



なぜ期限が大震災か。


もちろん、大震災なんて起きてほしくないし、大事な人死んでほしくないし、起こらないことを強く願っている。

だが、起きる可能性は高い。多くの人が苦しみ悲しむことに残念ながらなってしまうだろう。経済も冷え込み厳しい社会になるだろう。

すべてが壊れ去ったとき、自分の「可能性」なんて言っている暇はないだろう。今すぐに、行動しなければならない。ゼロになったときやるしかなくなる。

きっと他の人も同じだ。震災がもし起きたら、「生と死」について強く意識させられる。「明日死ぬなら今何をすべきか」を考えるようになる。

社会全体が追い込まれたとき、ビジネスコスプレではなく、死ぬ気の覚悟の「社会を改革しよう」という想いを持つ人が生まれ一気に行動していくだろう。

自分の今まで培ってきたことを、想いを持った人たちとともに、大震災後の世界のために還元していきたい。それこそが、ぼくの人生においての一番大きな闘いになると思っている。



決意


あくまで大震災は期限であって、その前に人生最大の決断をしているかもしれない。

だけど、そうであろうとなかろうと、ぼくはいつか大震災後の世界と対峙するときのため、闘いの力を蓄えていくだろう。

大震災が起きたとき、ぼくはそのときのぼくができることに全力を尽くす。もう高望みはしない。その代わり、それまでは自分を高めさせてほしい。

もちろん、研鑽する間も、より良い自分を目指すために常に選択と挑戦をし続ける。

ぼくは今日も本を読み、手を動かし、人と語り、自分の幹を太くしていく。


もしこんなnoteに読者がいてくれたとするならば、

ぜひあなたに大震災後の世界で共に闘う同志になってほしい。

その時まで、お互い自分を研鑽する躍進力を止めないで行こう。


ぼくも幹を長くして待っています。




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