銀座コリドー街 -老舗のグルメ街は、性のるつぼへ

有楽町の泰明小学校から、JRの線路に沿って新橋駅方向へ伸びる数百メートルの道、銀座コリドー街。線路に沿って、和洋中様々なジャンルの飲食店が軒を連ねており、裏通りに一本入ると数十年に渡り銀座で営業をしてきた老舗も多い。金曜日の夜ともなると、銀座コリドー街をまともに歩くことは出来ない。それは、銀座コリドー街がここ数年で新しい客層を形成してしまったが故だ。

「本当に、行くの?」

田所麻美は、連れの男性に聞いた。会社帰りに、同じ会社の男性と二人で食事をしていた。色っぽい関係ではなく、仕事の愚痴などを軽く話せる相手だ。給料日前ということもあり、銀座の大衆居酒屋にてカキフライをつまんだ後、麻美がコリドー街の先にあるハイボールが有名なバーに行きたいと申し出た。麻美はコリドー街は、人がまともに歩ける通りではないと言って、裏通りを歩くことを提案したが、連れの男性はあえてコリドー街を歩いてみたいと言う。

「歩けないって、そこまで?」

男性は、笑いながら聞く。麻美は、神妙な顔で頷く。

「うん。本当に歩けないよ。今日は金曜でしょう。コリドー街のはじからはじまで、女性を上から下まで品定めするように見てくる男連れでいっぱいだよ。」

麻美は不機嫌そうに言った。先般、コリドー街を通過した時に、男たちに値踏みされるように見られた不快さを思い出したのだ。それ以来、有楽町から新橋に抜けるときは、コリドー街の一本裏を通るように心がけていた。

「そこまで言われるなら、一回行ってみたいよね。」

連れの男性は言う。麻美は心の中でため息をつく。

「本当に良いのね。じゃあ、コリドー街を通るわよ。」

去年の夏、友達と一緒に行った鎌倉のフレンチ料理店で、友達が海を見たいと言い出したことがあった。夏場の鎌倉の海なんて、輩しかいないわよ。麻美はそう言ったが、友達はそれでも海が見たいと言い張ったので、タクシーで由比ガ浜まで向かった。
浜辺を埋め尽くした人ゴミと大音響の音楽を流す海の家を背にしながら、麻美はその時思った。
人は、その光景が目の前に姿を現すまで、想像力というものが働かないものなのだ。

「嘘でしょ。何これ。」

連れの男性は、コリドー街を通りながら、あっけにとられていた。麻美は「だから、言ったじゃない」と思いながら、人の波をかき分けて前へと進む。
歩行者のための歩道には、男性の2人か3人組がたむろし、道行く女性たちを文字通り品定めしている。道のいたるところでは、守備よく女性の足を止めさせた男たちが、スマートフォンを片手にLINEの交換についての商談を持ち掛けている。

「何これ、本当に銀座なの?」

連れの男性が言う。麻美もそう思う。そう、ここは銀座なのだ。六本木あたりでやれば良いのに。

麻美は、男性2人と商談真っ最中の女性2人組に目をやる。片方はロングヘアで、もう片方はボブヘアを耳にかけて、ゆらゆら揺れるピアスを耳につけている。女性の顔からは、なんだか勝ち誇ったオーラがうかがえる。この女性もまた、今目の前にいる男性が連絡先の交換に値するか品定めしているのだろう。

「ほんとに、ほんとに。全然おごるし。」

男性の必死のアピールを耳にしながら、麻美は脇をすり抜ける。しかし、前方にはすでに別の商談をしているグループや、これから商談に臨もうという男性たちがたむろしているので、なかなか先に進めない。

「なんか、もう堪能したから、裏通り歩こうか。」

連れの男性がげんなりしながら言った。ほらね。麻美は、その言葉を飲み込みながら言った。

「もう次の角を左だから、このまま真っすぐ行って。」

麻美のお目当てのバーは、休業日だった。その近くにあるバーに入る。何度か行ったことのある、銀座で数十年営業をしている老舗のバーで、客層が高いがゆえに落ち着く雰囲気のお店だ。
そう、本当はこの店の年齢層が、銀座の客層なのだと思う。

ハイボールを飲みながら、連れの男性がつぶやく。
「それにしても、想像以上だったね。なんだか、日本じゃないみたい。」

麻美は、お通しのカマンベールチーズとクラッカーをつまみながら言う。

「ほんの数年前までは、あそこまでじゃなかったと思うけどね」

「そうなの?」

「そうだよ。確かに、コリドー街にナンパに向いているお店っていうのはあった気がするけど、少なくともコリドー街はナンパ通りじゃなかったと思う。」

「そうなんだ。俺は、前からこういう通りなのかと思った。」

麻美はカマンベールチーズを、さらに一口かじる。

「少なくとも2013年時点では、こんな通りじゃなかったんだよね。テレ東のアド街ック天国で、2013年の秋くらいにコリドー街の特集をやってたんだけど、その時はナンパ街なんて言葉は一言も出てなかった。」

「そうなんだ。じゃあ、こうなる前のコリドー街ってどんな街だったの?」

「老舗の割にはコスパの良い美味しいお店とか、お酒が美味しい大人のバーとか、あとスペインバルとかのバル系のお店とか、そういう良いお店がたくさん集まっているイメージだったよ。」

「へえ。じゃあ、ナンパ通りになったのは、それ以降なんだ?」

「正確には分からないけど、その時点では、こんなに道を歩けないレベルじゃなかったと思う。」

バーのママが、2杯目ハイボールを運んできた。

「やっぱり、ここまでひどくなったのは、マツコ会議で紹介されてからよね。」

ママが、テーブルにハイボールを置きながら言う。

「やっぱりテレビの影響なんですか?」

連れの男性が聞く。ママは、頬に手を当てながら言う。

「そうねえ。それより前から、こんな感じはあったんだけど、やっぱりマツコ会議で放送してから、そういう街なんだって思った人たちが寄って来ちゃったのよねえ、きっと。」

麻美は2杯目のハイボールを口に運ぶ。

「もう、通りを普通に歩けませんもんね。」

ママは、大きくうなずく。

「そうなのよねえ、うちもここで数十年お店やってるけど、こんなになるとはね。」

「前は、老舗と新しいお店が、混在してるグルメ街って感じでしたもんね?」

「そうねー。こうなっちゃってから、客層がガラっと変わったじゃない?みんな、美味しい物が食べたくここに来てるわけじゃないから、女の子をつかまえたら安いお店行くわけよ。だから、このへんの老舗さんも結構出てっちゃってるわよね。」

ママは残念そうに、そう言う。

「銀座でこんなことやらなくても、良いのにねって感じですね。」

麻美は言う。ママも同意する。

「ね、銀座でこんなこと、やらなくてもね。」

そう、何度も思うが、ここは銀座なのだ。なぜ渋谷あたりでやらないのだろう。
ハイボールを2杯飲んだ後、麻美と連れは店を後にした。
店を出た瞬間、先ほどのロングヘアとボブヘアの2人組が目の前を通り過ぎる。

「お前に~♪教えるーLINEはな~い♬無理、無理、絶対~むーり~♪」

ボブヘアが楽しそうに自作の歌を歌っている。その直後、スマホの画面を見て、嬉しそうにつぶやく。

「あ、品川庄司からLINE来た。」

麻美と連れは、その傍らを通り過ぎて新橋へと向かう。麻美は思う。いつかこの性のるつぼとでも言うべき状況が終わった時、コリドー街は元のグルメタウンに戻るのだろうか。それとも、老舗がのきなみ出て行ってしまい、単価の安い飲食店街が並ぶ一種のゴーストタウンになってしまうのだろうかと。

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