スターバックス@銀座

田所洋介は、いかにもスターバックスらしい漆黒の炭の味がするコーヒーを飲んだ。この炭を煮詰めたようなスターバックスのコーヒーを、3日に1回は飲まないと落ち着かない。
田所はフリーライターというその仕事柄、都内のあらゆるカフェに赴いているが、その中でもスターバックスを訪れる頻度は群を抜いて高い。

田所は銀座のスターバックスの片隅に席を陣取り、本日スタバで飲む2杯目のコーヒーを楽しんでいた。スターバックスはブラックコーヒーを頼むと、ワンモアサービスのレシートをくれる。その日のうちにもう一度店舗に赴いてそのレシートを提示すれば、100円でコーヒーのおかわりが出来る。

この店舗は、スタバの中でも田所が頻繁に利用していたが、いつもよりも店内の照明が暗いように見えた。空にはどんよりとした鉛色の雲がしきつめ、刺すような雨粒がとめどなく地面を叩いているせいだ。田所は窓を叩きつける雨粒を、見るともなしに見ていた。次々と雨の塊が窓に叩きつけられ、まるで膨らんだ風船がつぶれるように広がり、水の筋となって流れていく。

この雨は、しばらくやまないだろう。

田所はそう確信した。田所は1日に2回同じカフェに行くことはない。仕事の質を上げるには、常に場所を変えて気持ちを切り替えたいと思っているからだ。だから、いつもはスタバでもらったレシートはその場ですぐに捨ててしまう。今日たまたま打ち合わせで訪れた渋谷のスタバで、ワンモアコーヒーのレシートをもらったのは、神の啓示だったのかもしれない。
田所は渋谷から銀座線で銀座に出て来たが、駅を出て数分たったところで雨に降られたのだ。運が悪いことに、ラップトップを入れている鞄は布製で防水ではない。田所は慌てて近くのスタバに駆け込んだのである。

田所は改めて店内を見渡した。平日の昼をやや過ぎたスタバ。店内の客層は十中八九ビジネスマンだ。店内で打ち合わせをしている者、営業の外回りに中に雨に降られて駆け込んできた若手のサラリーマン、店内の客たちにはカフェを利用するそれぞれの事情がある。
スタバほど、ビジネス街と郊外の店舗で客層が異なるカフェチェーンはない。店舗、そして時間帯によってはほぼ女子中高生たちに占拠されているところもある。
そういえば、いつだか女子高生に両サイドのテーブルを挟まれたことがあったな、田所は目をつむって眉間を揉んだ。

「そりゃあねえ、一本。それは一本で片が付く案件でしょ。」

ふいに斜め前に座っている派手なシャツを着た男の声飛び込んできた。男は生々しい植物がプリントされたサイケデリックなシャツを着ている。熱帯雨林に生息するような大きな植物の絵には、リアルな水滴が描かれている。その奇抜なファッションの割には、額には深いしわが刻まれており、おそらく50歳前後といったところだろう。彼の目の前には、もともと薄いグレーなのか、それとも着ているうちに色があせたのか分からないスーツを着た男性が座っている。おそらく2人の年齢はそう変わらないのだろうが、幾分スーツの男性の方が更けて見えるのはスーツが灰色で、くたびれているせいかもしれない。

「あのぉ、一本というと…。」

スーツの男は、手に持った手帳に、ペンで点を打ちながらそう聞いた。

「一本は、そうね、一億よ。」

シャツの男は、人差し指をスーツの男の前に立ててそう言った。

「はぁ、なるほど。一億と。」

スーツの男は手帳に何かを書き込んでいる。一億、と書いているのかもしれない。

「うん、だいたいね、そのへんの土地の相場は知ってるからさ。今回の場合は居ぬきだろうから、そんな感じだと思うよ。改装費含めてね。」

シャツの男はそう続ける。

「なるほど、改装費含めてと。」

スーツの男は、続けて何かを手帳に書き込んでいる。シャツの男の言葉を、一言一句漏らさず書き留める気だろうか。

「うん、だからさ、まあうちがね、契約で、間に入るんだったらそうれでもいいしね。まあ、おたくらが自分たちでやるっていうんだったら、それはそれで良いしさ、そう、坂上さんに伝えてよ。」

「はぁ、分かりました。」

スーツの男は手帳とペンを膝に置いて顔を上げた。最後の言葉については、メモることを止めたらしい。

「それにしても、あれですかね、いつもこういった案件をやられて?」

スーツの男は、膝においたペンをクルクルと動かしながら言った。手を動かしていなければ落ち着かないのかもしれない。

「あー、そうね。俺は基本的には飲食が関わる土地しかやらないからさ。この年で自分の専門外をやっても、しょうがないじゃない。」

シャツの男は、そう言いって体を椅子に預けてリラックスした姿勢を取った。どうやら、商談に一区切りついたというところだろうか。シャツの男はさらに続ける。

「あとね、やっぱり社長とか役員直で話をつけられる案件ね。だから、坂上さんのところもそうだしさ、あとー」

シャツの男は右上を向く。何かを思い出そうと回想しているように見える。

「そうそう、あと、石田さんのところのね、こないだの案件あったでしょ。あれも基本的に全部俺が間に入らせてもらったからね。あれはもう、土地も土地だったからさ、ぽーんと6億よ。」

はぁ、すごいですね。と言いながら、スーツの男はこめかみをポリポリとかいている。

「俺がそうやってね、社長とか役員に直接話せるところだけ相手にするのはね、そうしないとすぐ話がまとまんないからよ。やっぱり普通の会社の部長クラスになっちゃうとさ、やれ稟議あげろ、やれ役員会議だって言ってさ、けーっきょく専務とか社長が最後に出てきてひっくり返されるからね。」

そう言いながら、シャツの男は目をむいた。どことなく戦闘的な印象を受ける。それは、男の目力によるものなのか、シャツに描かれた生々しい熱帯雨林の植物のせいなのか、ややリーゼント気味に後方になでつけた髪型に起因するのはよく分からなかった。

はぁ、勉強になりますなあ。そう言いながらスーツの男は、手帳とペンを薄めのビジネスバッグにしまい込む。

「うん、それじゃあ、俺の方からもまた坂上さんの方に一本連絡入れとくからさ。」

シャツの男はそう言いながら、椅子を引いて席を立つ。スーツの男はよろしくお願いしますと言って、頭を下げる。二人はまだ雑談を続けながら、店の出口へと向かった。まだ雨は降り続いていたが、スーツの男は小走りに駅の方へと走って行った。シャツの男は、通りのタクシーをつかまえようと手をあげている。田所は思った。

シャツの男が着ている植物のシャツは、スタバの店内よりは雨に降られてこそ、その柄が生きてくる。

そして、頭をふった。しかし、どうでも良いことだ。

田所はカップに残ったコーヒーを飲み干した。
先ほどから背後では広告代理店の営業と思われる男2人組が打ち合わせをしている。そう小さくない声で、田所も知っている大御所の俳優の名前が飛び交っている。

「そうなんですよ。キャスティング会社的にはね、今事務所に話入れてもらってる最中なんですけど、総予算的にはあと2人つくので、この人だけで6,000万はちょっとなんですよねー。」

「そうだよなー。だいたい最近ちょっと落ち気味だしな。6,000万は事務所もぼりすぎだよな。」

田所は、席を立ってマグカップを片付けに向かった。以前から気になっていたが、ビジネスマンたちはオープンスペースのカフェで、機密事項を話してしまうものだ。しかし、有名俳優のギャランティについて、ちくちく嫌味を言っている二人組よりは、1億を1本と呼ぶシャツの男の姿勢にどことなく好感が持てる気がする。

田所は店を出ると、ひんやりとした雨のにおいを吸い込み、そして駅の方へと歩き出した。

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