お盆らしいお盆はいつが最後?
お盆ももうラスト、帰省ラッシュに巻き込まれているか、それとも関係ない日常を送っているか、みなさん色々ですよね。
毎年夏の暑さが厳しくなっている気がするのでこの時期の帰省は本当に大変だなと思います。
お盆、我が家はこんな感じ
我が家はお盆、お墓参りに行くことはなく実家と義実家に顔を出す程度です。
どちらの家にもお仏壇があってそこで手を合わせるのがここ数年のパターン。
関西に戻ってからは実家へのアクセスは日帰りで可能なので楽になりました。
そもそも乳幼児(違う環境でお昼寝が難しいマン)連れですとそこまで無茶をできないのと、ここ数年のコロナ禍で帰省が縁遠くなっていました。
今年は私が病院ライフを満喫しているもので、お盆はノータッチ、手土産のお菓子をあらかじめ手配するぐらいという日本の行事からますます縁遠い感じになっています。
お盆の話をX(旧Twitter)やnoteで投稿されているのを見て、ふと私は本当にお盆らしいお盆を過ごしたのは最後はいつだっただろう...と思い、私が大学生の夏が最後だったのかも、と思い至りました。
なるほど記憶が薄い訳です。
真面目にお墓参りに行ったのも数年前の結婚の挨拶に行った時ぐらいでしょうか。なんという、先祖放置の子孫です。
思えば、興味の薄さから全然頭に残っていない
お墓参りもお坊さん対応も、宗派とか色々聞きはしたのですが、正直なところ興味の薄さから私の頭に全く入らず残らず。
実家は父が『長男がすべし』的な古風(というか伝統的)な考えですので、お仏壇のお手入れも兄が担当という。
京都の本家の墓参りもいつが最後だったか...
そして極め付けが社会人になって地方で一人暮らし&お盆も正月も関係ない業界に飛び込んでしまい、何年もノータッチという残念具合。
おかげで薄らどころかいろんなしきたり等綺麗に抜け落ちました。なんてひどい具合。
余談にはなりますが、医療従事者のお給料は悲しい価格なのですよね。
学会に参加して資格を取ろうと思うとその悲しい価格から捻出していく必要があります。基本、大都市圏で学会があるわけです(会場のキャパシティ問題)
ちょうど1-2月に参加する学会があるため、多くの同僚が正月は当番や宅直をしてお金を温存して学会に回して、別で帰省するというパターンでした。
おかげで私は正月に帰省しなさすぎて、いいよと言ってたはずの母にブチギレられるという事件を発生させました。
今なら気を遣っていいよと言っていたのねと気付けるのですけど、一人暮らしを満喫していた私は全くもって気づいてませんでしたね。
お盆は誰のもの
仕事柄そういうお別れの現場に居合わせたり、祖母を亡くしたりして三途の川の先を想う機会も、自分が片足を突っ込んでいつ渡るかわからないと思うことも増えました。
身内ではじめて祖母の葬儀に参加してはじめて人が亡くなるということは大変なのだなと痛感したのですが、経験して思うのが葬儀にせよ、宗教にせよ、お墓にせよ『残された人が納得するために存在している』のだなと感じました。
葬儀の際に揉める親族というのも目の当たりにしましたし、医療現場で遠方の家族などが延命治療にどんでん返しを起こすなども残念ながら目にしてきたため『故人の意向』は元気なうちにまとめて共有が大事だなぁとの思いを深めました。
話は戻りますが、お盆は残された家族の区切りに必要なんだろうなぁと思います。
子どもの頃、よくわからないまま暑い京都のお寺かなにかに連れて行かれてお経を唱えたり、墓参りやお坊さんがきて一緒に念仏を唱えたりしたことが懐かしく思い出されますが、当時は訳が分からず嫌だったと記憶しています。
大人になって人生のステージが変わるたびにまた考えも変わってくるなと思いますが、今ならもう少し真剣に向き合うかもしれません。
これは覚えてくれている親がいなくなってしまうことを思うからでもあるのですが。
なんとなくご先祖様に守ってもらっているだろうと信じている
日本の八百万の神と仏教とクリスマスとか無節操にお祝いする感じとか、独特だけどいいよね、と思う私です。
ゆるく神社仏閣いって、お守りとか無節操に買ったりしてお仏壇には手を合わせたりとかしますし。
信じるものは救われるではないですが、やっぱり気持ちの拠り所ってあると違いますよね。
私は小さい頃から言われてきているというのもありますが、なんとなくご先祖様が守ってくれてるだろうと思っているので、のほほんとたまにお参りしたり想ったり。
車が事故ったり、食器が割れた場合は物が悪いものを引き取ってくれたなとありがたく思うようにしています。
いろんな形のお盆、想いかたもいいよね
日本の一大イベントとしてあるお盆。
そのあり方はもう各ご家庭ごとで変わっていっていると思いますが、みんなで揃ってしのぶのも、わいわい帰省して集まるのも、そして思い出した時に想うのもいいよね、と思ったりしています。
私が三途の川を渡ったとして、お盆に家族が集まってくれないことに激怒するかと言われたら別に気にしないよ、と思いますしね。
あと自分の墓の維持で子孫が揉めてたら、もうええよって言うと思う。むしろ地球に還元するのに散骨して欲しいかも。骨だし。
お盆ってこういうことを思ったり話す機会でもあるかも知れません。
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