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【小説】花より団子、月より兎(3)

前作「花より団子、月より兎(2)」の続きです。https://note.com/torinoogawa/n/n8ba3536bb9ee

ひとまずこれで完結します。OL佳奈子と月から来た兎しらたまとの生活、しらたまとの別れの話。

 それからしらたまによる佳奈子の生活環境改善計画が始まった。朝はきちんと目覚まし時計が鳴る五分前に起こされる、最悪コンビニ弁当だけでもよいので三食きっちりとご飯をとる、ゴミの分別は後回しにしないなど。
 とても小さなことだが、少しずつ佳奈子の生活は変わっていった。

「アンタ、ちゃんと船の修理は進んでいるんでしょうね。私のことばかり優先して全く進んでいないなんていったらひっぱたくわよ」

 しらたまは食べる手を止めてこちらを見る。

「もちろん、ちゃんと進めていますよ。安心してください」

「まあならいいけど」

 いつの間にかしらたまと夕飯をとるのも習慣化してしまった。以前の何も摂らずに寝ていたことが信じられない。

「ちゃっちゃと修理し終わってよね、居候」

「はーい。ところでカナコちゃん、そこにある野菜スティックとってくれませんか?」

 最初から図々しかったが、最近はさらに拍車がかかっている気がする。佳奈子はため息をつくと口元に野菜スティックを運んでやった。

「ほら、どうぞ。全くお優しい私に感謝してよね」

「ありがとうございます、カナコちゃん」

 でも美味しそうに食べる姿を見るのは悪くない。口が裂けても言うつもりはないが。


「萩原さん、最近いい事でもあった?」

 職場の先輩に話しかけられて佳奈子は顔を上げた。

「どうしてそう思うんですか?」

 首をかしげると先輩は微笑んだ。

「最近、萩原さん仕事もできるようになってきたし、顔色も前とは別人みたいだし。何よりとても楽しそうよ」

 思い当たることは一つしかない。だが馬鹿正直に話すわけにもいかず、佳奈子は曖昧に微笑み返すだけにとどめた。


「そろそろ六月だし、いつ梅雨入りになるかしらね」

 会社も忙しい時期を乗り越え、以前のように終電ギリギリに帰ることもなくなった。おかげでもう真夜中に夕飯をとることはない。
 佳奈子の言葉にしらたまはスプーンを動かす手を止めて尋ねた。

「梅雨入りってなんですか?」

 月には水などほとんどないらしいから梅雨はおろか雨すら見たことないのだろう。前に雨が降ったときは大はしゃぎして外にでようとしたことを思い出した。
 あのときは汚れるからやめなさいと言っても中々折れてくれず、苦労したっけ。しらたまの騒ぎ様が頭に浮かび佳奈子は苦笑した。

「ずっと雨が降る季節があるのよ。雨ばっかりで外出もできないし、その上じめじめして蒸し暑くなるから私は嫌いね」

「雨がずっと降るのは魅力的ですけど、じめじめするのは嫌ですね。その前に終わらせなきゃ」

 その言葉に佳奈子の胸はつきりと痛む。

「……そうね」

 しかし佳奈子はなんてことはないように平然を装って頷いた。


 その週末。俗に言う花の金曜日のことだった。

「ただいま。しらたま今日は付き合ってもらうからね!」

 いつもよりも荒々しくドアを閉めた佳奈子は靴を脱ぐなりそう宣言した。

「えっカナコちゃんどうしたんですか?」

 しらたまを無視して佳奈子はテーブルの上にドンとレジ袋を置く。

「えっとカナコちゃん」

「しらたま」

 再び問おうとしたしらたまを遮り、佳奈子はゆっくりと口角を上げた。その表情にしらたまは背筋を震わせる。

「言ったでしょう。今日は付き合ってもらうからって。飲むわよ」

 そう言うや否や佳奈子はビールの缶をテーブルに叩きつけた。響き渡る鈍い音にしらたまは飛び上がる。

「は、はい」

 しらたまには頷く以外選択肢など残されてはいなかった。

「ほんっとうにふざけんな! あのハゲ課長! 自分のミスを私に押しつけてさあ。何が萩原君は新人だからこのような初歩的なミスをしてしまったかもしれませんよ! 初歩的なミスをしたのはお前のほうだっての。バーカ! もう全部毛根消え失せてしまえ」

「カナコちゃん、あのもうそのくらいにしておいたほうが……」

 おずおずと話しかけるも佳奈子の勢いは止まらない。すでにビール缶は三、四個転がっており、佳奈子の顔も赤くなり始めている。どうにかビールを取り上げなければとしらたまが動こうとしたときだった。

「ほら、アンタも飲みなさいよ。百パーセント野菜ジュース。ニンジン味よ、それえ。まさか飲めないなんて言わないわよね? それとも野菜スティックが欲しいわけ?  まさか枝豆? なんでもあげるわよぉ。なんたって今日は花のきんよーびなんだからぁ」

 と言いながら佳奈子が突っ込もうとしたのは箸だった。いよいよ呂律も回らなくなってきて動作もおぼつかなくなっている。

「カナコちゃん、もうやめましょうよ。明日大変ですよお」

 揺さぶっても佳奈子はビール缶を離そうとしない。

「たいへんなわけないでしょぉ。きんよーびだもの」

 しらたまは腹をくくった。不快な酒臭い息に耐え、佳奈子の膝の上によじ登る。

「カナコちゃん、ごめんね」

 ぽつりと呟くとしらたまは力いっぱい蹴り飛ばした。けたたましい音を立てて椅子が倒れ、佳奈子はそのまま気絶した。


「あれ、ここは……」

 翌朝痛む頭を押さえて佳奈子は目を覚ました。何故か床の上に寝ている。かけられた毛布は覚えがないからきっとしらたまがもってきたものだろう。

「しらたまーいるー?」

 声を上げるとすぐに白い毛玉が駆け寄ってきた。

「あっ、目を覚ましましたか? カナコちゃん」

 だがしらたまはどこか距離を置いて伺ってくる。
 私はよほどの醜態をさらしたのかしら。痛む頭では何も思い出せない。

「毛布かけてくれたのアンタでしょ。ありがとね。後昨日はごめん。苛立ちが抑えきれなくて」

 しらたまは目を見開き、恐る恐る口を開いた。

「あ、あのー昨日のこと覚えてます?」

「悪いけど覚えていないのよね。相当酔っぱらっちゃったから。迷惑かけたわよね」

 眉を下げると何故かしらたまはほっとした表情になった。

「なんだ、覚えていないんだ。よかった」

「何? なんかいった?」

 小声で呟いたせいで上手く聞き取れなかった。聞き返すとしらたまは慌てて首を振る。

「な、なんでもないです。それよりあんなに飲み過ぎちゃダメですよ。体に悪いんですから」

 正論だから言い返す言葉もない。佳奈子は口答えせずにその忠告を受け入れた。

「次からは気を付けるわ。アンタまだ朝食食べてないでしょ。何がいい?」

 しらたまは耳をピンと立てて答えた。

「じゃあ、この前テレビでやっていた梅干しのお茶漬けがいいです!」

「はいはい。まかせなさい」

 ほかほかのご飯に海苔とおかき、頂点には赤い星のような梅干し一つ。そこに熱々のお茶をそそげば梅茶漬けの完成だ。

「熱いからアンタは少し待ちなさいよ」

「はーい。本当にいい香りですね」

 しらたまは鼻をひくひくさせて香りを楽しんでいる。乾いた海苔とおかきが徐々にふやけていくのを感じながら、佳奈子は茶碗に口をつけた。
 久しぶりに食べたお茶漬けは塩気がきいていて、二日酔いの体にも優しい美味しさだった。


 あれから数日たった日。夜空にはあの日と同じ見事な満月が顔を覗かせていた。

「こんなときはやっぱり月見団子よね」

 時期外れだから月見団子は売ってはいないが、スーパーの和菓子売り場で普通の団子を購入して家路につく。

「しらたま喜んでくれるかしら」

 佳奈子は足取り軽く帰宅した。

「ただいまー。しらたま今日満月でしょ。一緒に団子でも食べない?」

 しかしいつもなら出迎えてくれるはずのしらたまがやってこない。嫌な胸のざわつきがする。それを振り払って佳奈子は大きな声を上げた。

「しらたまー?」

 しらたまがいたのは寝室だった。ぼんやりと窓の月を見上げている。

「なんだ、いるなら返事くらいしてよ」

とりあえず姿を確認してほっとした佳奈子は声をかけた。しらたまがゆっくりと振り返る。

「カナコちゃん、おかえりなさい」

 いつもよりもずっと静かな表情でしらたまが返事をする。再び言いようのない不安が湧き上がった。

「しらたま、アンタなんかあった?」

 佳奈子の問いかけにしらたまは表情をゆがめた。

「カナコちゃん……あの、実は、船の修理終わったんです。だからもう帰らなくちゃいけなくて」

 パサリ。手からビニール袋が滑り落ちる。その音を佳奈子はどこか他人事のように聞いていた。

「……そう。よかったじゃない。アンタ月に帰りたかったんでしょ。私も居候がいなくなってせいせいするし」

 喉はカラカラなのに、口からこぼれ落ちるのは可愛げのない言葉。しらたまが泣きそうな顔になっているのを他人事のようにぼんやりと眺めていた。

「カナコちゃん」

「でもお団子買ってきちゃったんだもの。最後に月見くらい付き合いなさい。それくらい時間あるでしょう?」

 何か言おうとしたしらたまの言葉を遮り、佳奈子は言った。

「もちろんです」

 しらたまは何度も何度も首を縦に振って答えた。佳奈子はずかずかと近づくと傍らに腰を下ろした。ビニール袋を乱雑に開け、少し凹んだパッケージから餡子がのった串団子を取り出す。

「はいどうぞ。アンタ、串ついているけど食べられる?」

「あっ、えーっと」

 目をさまよわせたしらたまにため息を一つつくと、佳奈子は無言でキッチンに赴き、串から団子を外して皿に移し替え、つまようじまでつけてやった。

「カナコちゃんありがとうございます」

「どういたしまして」

 佳奈子はしらたまの顔を見ることもなくぞんざいに答えた。

「こうしてみると大きいわね。月って」

 甘い団子を口にしながら佳奈子は呟く。

「そうですね。地球よりも小さいけど、それなりに大きいですよ、月も」

 弾力のある餅はしらたまにとって食べにくいらしく、苦戦しながらも必死に頬張っている。

「喉つまらせないようにね。アンタどんくさいんだから」

「気を付けます」

 佳奈子は団子にほとんど手をつけず、小さくちぎって食べる様子をじっと見つめた。最後の一個が口の中に吸い込まれていく。しらたまがこちらを見上げた。

「じゃあそろそろ僕行きますね。カナコちゃん、いろいろありがとうございました。お元気で」

「アンタもね。またドジして別の家に墜落なんてしないでよ」

 しらたまは苦笑して頷いた。銀色の球体が開いて、しらたまが乗り込む。

「じゃあカナコちゃん、さようなら」

 手を振るしらたまが銀色の扉によって見えなくなっていく。扉が完全に閉まった。と、次の瞬間ふわりと浮き上がる。そして大きな月へと一直線に飛んでいった。

「じゃあね、しらたま」

 佳奈子はその銀色の球体が針の穴のような大きさになるまでずっと見送っていた。残った団子に口をつける。甘い餡子はその日だけしょっぱかった。


「ただいまー」

 もうただいまを言ってもおかえりは返ってこない。しんとした部屋はあの居候がいなくなっただけで何も変わらないというのに以前よりもずっと冷たい気がした。
 既にしらたまがいなくなってから一週間は経つというのに、この静けさに未だに慣れないのはなぜだろう。

 時折あの日々は佳奈子がみた都合のよい夢であったのではないかと思う。それでもしらたまが口を酸っぱくして言ったことを破る気にはならなかった。

「私、兎でも飼おうかしら。ここペットオーケーだし。真っ白でふわふわの兎にしましょ。名前はそうねえ……」

 しらたまと口にしようとしたとき、視界が滲む。

「やっぱりおだんごがいいわ。月といえば月見団子だもの」

 震える声は気付かなかったことにして佳奈子は夕飯作りに取りかかろうとした。と、その時、
 鈍い音が響き渡り、衝撃でアパートが揺れた。

「えっ地震?」

 身構えていると窓を叩く音がする。
 ――まさか、まさかね。
 ある考えが頭をよぎる。そんなはずはないと心の片隅で否定しながらも期待は膨らむ一方。恐る恐るベランダを開けるとそこにいたのは見慣れた毛玉が覗いていた。

「すみません、操作誤ってしまって船が故障してしまったんです。しばらく置いてもらえませんか?」

 こちらを見上げる兎に佳奈子は口角を上げた。ふてぶてしく笑ったはずなのに、まんまるの瞳に映る自分の顔は泣き笑い。
 それに気づかない振りをし、尊大な態度で言い放つ。

「……しょうがないわね。そんなに言うならいれてあげるわ、ドジ兎」

「わあ! ありがとうございます。またしばらくお願いしますね、カナコちゃん!」

 夜に明るい笑い声が響き渡った。

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