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【短編小説】ファンタジークラッシャー

『非合理な世界に科学の手を。科学推進庁 空想世界課』
それは世界で最も無粋な集団である。

「ヒッヒッヒ、あとはこの新鮮な野ネズミをいれれば完成さ」

 大鍋をかき混ぜる魔女の手にはこげ茶色の野ネズミが一匹、哀れっぽい鳴き声を上げている。真鍮の鍋には緑の液体がぐつぐつ煮えたぎっており、ときおり吹きこぼれた液体が白煙を上げた。必死の抵抗も虚しく、ピンクの足先がまさに苔色の沼に触れるそのときだった。

「ちょっと待ってください」
「ああ? なんだい?」

 魔女が顔を上げるとタキシード、いやタキシードにしては裾がやけに短い。それでいてかしこまった格好の妙ちきりんな男が立っていた。最近の流行だろうか。

「おやおや貴族様がこんなところに何の用だい?」

 片側の口角を上げ、歪な笑いを向ける。しかし男はにこりともせず、淡々と言葉を述べた。

「いえ私は貴族ではありません。こういう者です」

 精巧なからくり人形のように無駄のない動きで差し出されたのは一枚の小さな紙。折り目一つない長方形にはこう書かれていた。
『非合理な世界に科学の手を。科学推進庁 空想世界課』

「はあ? なんだいこれは」
「そこに書いてある通りです。私たちは科学があまり進んでいない世界に救いの手を差し伸べたく、活動しています。特にこの世界はあまりに非合理的なインチキが幅をきかせているので」
「はあ、ごりっぱなことで。で、そもそも科学ってなんだい。魔法じゃ駄目なのかい」

 魔女は胡乱な目を向ける。男は生真面目な顔で首を振った。

「魔法! そんなものは科学の敵です。魔法なんてものは非合理の塊なのです。いいですか、科学というものはですね、この世の真理そのものです。無駄が一切なく、美しく、この世界で唯一人類のみが有効活用できる素晴らしいものなのです」
「はあ、それと私になんの関係があるんだい?」

 魔女はすっかり呆れ返った。今までこの職種故に畏怖の目でみられたことも軽蔑されたこともいろいろあったが、ここまで訳の分からない客は初めてだ。見た目は真面目そうだが、実はいかれた狂人なのだろうか。
 魔女の魔女の不審な目も気にかけず、男は問いかけた。

「ところで貴女が作っているものは何ですか」
「ああ、これかい? これは惚れ薬だよ。なんだい、アンタもほしいのかい?」

 魔女は深い皺が刻まれた鉤鼻をひくひく動かして、下世話な笑みを浮かべる。
 なんだい最初は面食らったが、結局いつもの客と変わらないじゃないか。が、男は仏頂面で首を振った。

「いいえ。私は惚れ薬なんぞ欲しくはありません。興味もないです。ただですね、貴女に一つ、言いたいことがあります」

 夜のフクロウのような鋭い眼光がこちらを貫いた。魔女は無意識のうちに唾を飲む。

「な、なんだい」
「それ、なんですか」

 男が指差したのは未だに泡立つ水面の真上で踊る哀れな薄汚い獣。憐憫を誘うか細い声がひっきりなしに響いていた。

「何って決まっているじゃないか。ネズミだよ」
「ネズミ! ああ、それを見るところ、路地のどこかで捕まえたドブネズミでしょうか。信じられませんね。その程度の衛生観念でしたら今すぐ貴女は店を畳むべきだ」
「なんだって! いきなり何を言い出すんだい」

 カッと頭に血が上る。流れ出た小難しい言葉の羅列はよくわからないが、最後の言葉だけは聞き捨てならない。魔女はネズミを放り投げ、杖を男に突き出した。

「もういっぺん言ってみな。アンタをネズミに変えて、鍋に放り込んでやるよ」
「何べんでも言いましょう。貴女はこの仕事には向いていない。名のる資格すらない」
「ふん、それが最後の言葉かい。じゃあさっさと消えな」

 男に向かって閃光が弾け飛ぶ。しかしそれは男のもつ手帳によってあっけなく阻まれた。

「やれやれ。ずいぶん乱暴な方だ。まあ貴女の魔法は仕組みが単純なので、この程度でも防ぐことが可能ですが」
「な、どうやって」
「それでは話を続けても?」

 杖が滑って落ちた。男は淡々と同じ調子で問いかける。魔女の選択肢は一つしかなかった。

「……話したきゃ勝手に話しな」
「ありがとうございます。まず貴女が犯した最大の間違いはドブネズミを入れることです。ネズミは多くの病原体を抱えているんですよ。何をもっているかもわからないのにそれを平気で薬の材料として使用するなんて精神を疑いますね。もし貴女の薬で妙な気をおこすとするならば、それ自体の効果ではなく寄生虫などのおかげでしょうね」
「病原体? 寄生虫? いったい何のことだい。このネズミはどうみたって健康体じゃないか」

男はこれ見よがしにため息をついた。

「これだからこの世界の住人は……。いいですか、ネズミがいくら健康だとしても人間にとって有害なものをもっていることは往々にしてあります。第一野生のものなんて体の大きさですらまったく違うのですから、仮に貴女のレシピが正確だったとして――まああり得ないでしょうが――確実にその効果を出したければそんなものを使うのはよろしくありません」
魔女の指が何度も彼女自身の腕を叩く。だがこの男の得体が知れない以上、下手な行動もとれない。

「じゃあいったいどうしろっていうんだい。この薬にはどうしてもネズミが必要なんだ」
「そこでですよ。これを使ってみてはどうでしょう」

 待っていましたとばかりに差し出されたのは金属の檻だった。中には真っ白な毛玉が数匹。普通よりも小柄だが、汚れは一切なく、魔女はこのように綺麗なネズミを初めて見た。

「ずいぶん毛並みがいいけど、これとさっきのネズミのどこが違うんだい。同じネズミじゃないか」
「いいえ、全く違います。これは厳密に衛生管理され、もっている病原体全て明らかにされており、さらに遺伝的にもほぼ同じにした実験用ネズミなので」
「遺伝的?」
「ああ、この世界では遺伝的といってもわかりませんでしたね。親や兄妹で交配することによって表現型をほとんど同じに……ああ、これも駄目だな。まあ要するに双子みたいにほとんど同じなんですよ、このネズミ。だからどのネズミを使っても同じ結果になる」
「はあ、なるほど?」

 魔女は思わず返事を返した。実際のところ、ほとんど頭に入っていなかったが。

「それでその、いやちょっと待ちな。アンタこのネズミって親や兄妹で交配するっていったけどそれって……」
「ああ、ネズミは近交弱勢、つまり親兄弟と交わったところで奇形が生まれたり、病にかかりやすくなったりだとかそのような危険性は低いのでご安心を。まあ、体の小ささだとか子どもの産む数が少ないだとかある程度影響はでますがね」
「そういうことを言っているんじゃないよ! いい加減にしな!」

 魔女は足を踏み鳴らした。その拍子に杖が蹴飛ばされ、鍋にあたって高い音を立てた。

「こんな、こんな道理に反したことがあっていいはずがない! 命を弄びすぎている」

 唾を吐き散らす魔女を男は冷めた目で見返した。

「ほう、では教えてもらいたいものですね。道理とはなんですか」
「っ、それは」
「では他人の欲望のために無関係な命を贄にする貴方はなんですか。それも本当に効果があるのだか、疑わしいもののために罪なき命を捧げる貴方は、道理に反していないと?」

 出かかった言葉は胃の中に逆戻りした。代わりに体の震えは大きくなった。

「結局のところ、どう言い訳したところで私たちは他の命を踏みにじって生きている。でしたら、その犠牲に敬意を表して、有益に使うべきではないのですか」

 魔女には返す言葉が見当たらなかった。男は光る柵をゆっくり撫でる。

「このネズミたちは確かに人為的につくられたものです。ですが、その代わりに襲ってくるキツネもいなければ、餓死や病に苦しめられることもない。どちらが正しい生き方なんて決められるべきではないのでは?」
「じゃあなんでワタシにそんなものをよこすんだい」
「この世界はまだまだ疫病が流行り、根拠もない民間療法に頼らなければいけない世界ですので。少しでも無意味な犠牲を減らそうと思いましてね」

 男は薄く笑った。しかし魔女にとっては気を逆なでするだけの代物だった。

「そうかい。アンタの言いたいことはよくわかった」
「では」
「ワタシは受け取らない。どんなにそれが優れたものであったとしてもワタシの信じるものに反する。帰っておくれ」

 魔女は背を向けて、それっきり男の言葉に耳をかさなかった。


「それで振られたのかい! 滑稽だねえ」

 アッハッハッハと腹を抱えて笑うのは同じ黒スーツの同僚だ。眼鏡をかけた男は不愉快そうに眉をしかめた。

「そういう貴方はどうなんですか。うまく説得することはできたので?」
「いいや、出来なかったよ。全く価値観の違う相手を説得するのは難しいねえ」

 また一段と大きな笑い声が響き渡る。強引に肩を組まれ、男の眉間の皺が深くなった。

「ねえねえ俺のも聞いてよ。せっかくお前の話を聞いてやったんだからさ」
「別に聞いてもらわなくてもよかったですし、そもそも根掘り葉掘り聞いてきたのは貴方のほうですがね」
「んじゃ話すねー」

 彼は頼まれてもいないのに、自身の任務内容について語りだした。


「ふむ、あれが竜のねぐらか」

 仰々しい甲冑を身にまとった騎士が呟いた。視線の先にはぽっかりと口を開けた洞窟が一つ。荒々しい岩肌、さらに牙のように垂れ下がる鍾乳石のせいか、洞窟自体が生き物のようだ。奥からは地響きのような低い音が反響している。それが鳴き声のようで一層化け物のような雰囲気を醸し出していた。

「これがいびきだというから末恐ろしいな」

 相棒の白馬が同意するようにいなないた。

「だがここで尻尾を巻いて逃げ帰るわけにもいかん。必ずあの邪竜を倒し、囚われの姫を取り戻さなければ」

 さあ行くぞと騎士が高く槍を振り上げたそのときだった。

「まあまあ、そこの騎士様ちょっと待ってくださいよ」

 空気を読まぬ吞気な声に騎士は眉をひそめた。振り返ると、貴族の正装に似た黒服を身にまとった男が軽薄な笑みを浮かべている。

「見かけぬ顔だが貴殿はどこぞの貴族の方だろうか。すまぬが私は忙しい。おしゃべりならば別の者をあたってくれ」
「いえいえ、俺は他ならぬ貴方に用事があるのですよ。ちょっと聞いてはくれませんか」

 胡散臭そうな男に割く時間なんて作りたくはなかったが、騎士は生真面目な性質たちだった。故に自分に用がある男を無視することはできなかった。向き直ると、男は笑みを深めた。

「騎士様。ここの竜はたいそう凶暴です。ですからこれを」

 うやうやしく差し出されたのは小さな小瓶と、細長いガラスの筒。そして親指ほどもありそうな太い針。

「なんだこれは」
「これですか? ペントバルビタールです」
「ぺんとばるびたーる?」

 騎士はポカンと口を開けた。

「ああ、いきなり言われてもわかりませんよね。これを打ちますとね、眠るように死ぬことができるんです。しかも致死量が小さいので、竜のように大きい生物でもちょっと大きめの注射器を用意するだけで済みます。もちろん針も特注品ですから、硬い鱗もなんなく通しますよ」
「なぜ貴殿はそれを私に?」
「なぜってあの竜を騎士様一人で倒すのはほとんど不可能でしょう。俺は騎士様を無駄死にさせたくはないのですよ。それにこのまま放っておくと、さらに被害は甚大になりますしね。竜さえ倒せば、みんな幸せハッピーエンドでしょう?」

 腕を広げて、男は笑顔をみせた。

「しかし毒を盛って殺すというのは些か卑怯ではないか」
「それくらいのハンディがあってもいいじゃないですか。騎士様だって竜を起こさないように行くのもなかなかスリルがありますしね」
「ハンディ? スリル? 貴殿は少々聞きなれぬ言葉を使うのだな」
「ご説明しましょうか?」
「いや、いい」

 騎士はバイザーを下げ、顔を兜の下に隠す。

「やはり私は正々堂々あの竜に勝負を仕掛ける。そして姫を奪還してみせよう!」

 騎士はひらりと愛馬に飛び乗り、勇ましく駆け出していった。

「あ、名刺渡すの忘れてた。ちょっと、騎士様―!……聞こえないか」

 男は肩をすくめると、失敗の旨を伝えるため、本部に電話をかけ始めた。


「我々の活動は順調に進んでいるとは言い難い。早急に改善しなければならない」
「そうやってお堅く考えているからじゃなーい。もっと気楽にいこうぜ」
「お前とは話にならんな」

 眼鏡の男は頭を振って部屋を出ていった。

「ま、のんびりやっていけばいいと思うけどねー。数打ちゃ当たるっていうし」

 名刺を光にかざしながら口元に弧を描く。

「なんせ善意でやっているんだから、いつかはこの真心も伝わるでしょ」

 口に出すと余計に薄っぺらで、男はまた腹を抱えて笑った。

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