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【短編小説】透明人間

ときどき透明人間になる少女の話。

「この前のテストさーわりとヤバい点数だったんだよねー」
「へーそうな」
「あっアキじゃん。ねえこの前のテストどうだった?」

の、と少女が言い終わる前に見知らぬ少女が顔を出した。ぱっちりとした目にアイロンをあてて毛先を緩く丸めた明るい茶色の髪。ふわりと甘ったるい香りが鼻につく。

「サキじゃん。聞いてよ、ホントヤバかったんだよねテスト。もうひとケタでさー」
「えっマジ? チョーヤバいじゃん!」

きゃらきゃらと笑いながらサキは少女とアキの間に割り込むとそのまま話し続けた。色付きリップでほんのり染まった艶のある唇がきらりと光る。
アキも心底楽しそうな笑みを返して並んで歩き出した。置いてけぼりにされた少女に気づかぬまま。少女はため息を一つつくと、俯いて彼女らの後をついていった。

いつもそうだ。アキは教室では私と話すけれども、ひとたび教室の外にでれば私よりも親しい誰かと話し込む。――私を置いて。

少女はカバンの紐をぎゅっと握りしめた。アキは一度も振り返ることなくサキとの会話に花を咲かしている。一段と甲高い笑い声が前で上がった。華奢な足が無造作に道端の白い花を踏みつけているのが目に入る。

「ねえこのままコンビニ寄ってかない?」
「いいじゃん! アイス買ってかえろ!」

いらっしゃいませーと気の抜けた店員の挨拶を横目に彼女たちはアイス売り場に一直線……ではなく、その手前のスイーツコーナーにで足を止めた。必然的に少女の足もその一歩後ろで止まる。

何の変哲もない白い商品棚には可愛らしいキラキラしたスイーツが並んでいた。キャッチ―なフレーズや美味しそうなイメージ図が食欲を誘う。だがどれもこれも同じ形で個性はない。同じようなフォント、同じようなプラスチックの容器、他のコンビニ会社でも見かけた同じような商品たち。特に記憶に残ることもなく使い捨てられる量産品が整列している。

まるで私みたいだと少女は思った。アキにとっては自分なんて仲の良い子たちがいないときのつなぎくらいの立ち位置なのだろう。それはよく分かっていた。それでもなおアキとつるんでいるのは、昔馴染みのアキ以外に頼れる人などいないためだ。

独りは心もとない。何よりぼっちだと周りから哀れまれたり、蔑まれたりするのが嫌だった。

でもそれはきっとクラスに馴染めなかったアキも同じで、そういう意味では二人は似た者同士なのだ。お互いがお互いに利が一致しているから友達ごっこを教室限定で続けている。

透明なプラスチックの蓋に厚い眼鏡をかけたそばかすの少女が映った。ぱっとしない顔立ちはくすんでいて、眉は下がり、口はへの字。客観的に見ると自分がいかにみすぼらしく見えるかよくわかる。

「ねえこれかわいくない?」
「えっかわいい! センスいいじゃん」

二人は顔をくっつけて某夢の国のキャラクターを模した菓子パンを手に盛り上がっていた。少女は唇を引き結ぶ。

「……」

いつもならばここで二人と同じものを買って帰るが、少女は踵を返して何も持たぬまま店を後にした。

少し歩いたところでそっと振り返る。二人はまだ出てきていない。そもそも少女がいなくなったことにすら気づいていないだろう。乾いた北風が吹きつけた。ふと顔を前に向けると小さなケーキ屋が目に入る。

「こんなところにケーキ屋さんなんてあったんだ……」

少女は引き寄せられるようによろよろと近寄った。ショーケースの中には王道のショートケーキから何種類ものフルーツによって飾りたてられたフルーツタルト、大粒の栗がのったモンブラン、雪原のようになめらかなレアチーズケーキにあふれんばかりのクリームを挟んだシュークリームまで色とりどりのケーキが並んでいた。

粉砂糖やナパージュで化粧した菓子たちはどれも丁寧に作られていて個性が光っている。自信に満ちあふれているその姿に少女は羨望の眼差しを向けた。

私だってあんな風に輝いていたかった。誰かの一番になってみたかった。使い捨ての工業製品じゃなくて、大切に扱ってもらえて正に自分がこの世界の主役と言わんばかりに胸を張っているケーキたちみたいになりたかった。

「いらっしゃいませ。どうぞ遠慮せず中に入って見ていってくださいな」

はっと顔を上げるとにこやかに微笑む女性と目があった。真っ白なコック帽にピシッと決まった汚れひとつないコックコート。自分とは正反対の、恒星のように自ら輝ける人間だと直感した。

「この季節でしたら、今イチゴを使ったケーキが新商品ですよ。おひとついかがですか」

にこにこと言葉を続けられて頬がかっと熱くなる。

「すいません。あのっ、そんなつもりじゃなくて、失礼します」

言い捨てると慌てて少女は駆け出した。後ろから戸惑いの声が聞こえたが、怖くて振り返えられなかった。

「やっちゃった……絶対変に思われただろうなあ」

少女はとぼとぼと帰路についた。一縷の望みをかけて携帯を覗いて見てもアキからは何のメッセージもきていない。結局のところアキにとっては自分の価値など教室での隠れ蓑でしかないのだ。独りぼっちだと思われないための隠れ蓑。だから教室をでればもう用済み。クラスを一歩出れば彼女の本当の友達がいるから。

一歩でも出た瞬間、彼女の頭の中から自分の存在は抹消されてしまうのだろう。

だがその状況に甘んじているのは自分のせいなのだ。自分で新たな一歩を踏み出すのが怖くて、一番楽なものを選んだ自分のツケ獄は自分で舗装した道の先にあるものだ。

「このまま消えちゃっても誰も気づかないんだろうな」

見上げてみてもどんよりとした雲しか映らない。少女はため息をつくと再び俯いて歩き出した。カバンにつけられたクローバーのキーホルダーをくしゃりと握り潰して。


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