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【短編小説】海に行こう!

季節外れですが、夏に海に釣りに行く少年二人の話。

パラリ、パラリ

 紙がめくれる音が室内に響く。クーラーが行き届いた部屋に色白の少年が一人椅子に座って本を読んでいた。熱心に文字を追っていると、突然本に影が落ちる。

 顔を上げるとこちらをじっと見つめる少年がいた。肌は日に焼け、ノースリーブのシャツに短パン――いかにも朝から晩まで虫取りでもしてそうな格好だ。

 「何か用?」

 色白の少年は問いかける。この少年を見かけたことはなかった。自分は彼に何かしただろうか? 記憶を辿っても思いあたることはない。内心首をひねっていると彼は口を開いた。

「なあ、お前夏休みの宿題って終わった?」

 予想だにしない質問に色白少年はたじろいだ。
 宿題? なんで? なんかの罰ゲーム? 
 しかし見渡しても目の前の少年以外誰も見当たらない。

「お、終わったけどなんで?」
「じゃあ海行かね? 釣りしようぜ! 釣り!」

 ぽかんと口が開く。
 初対面であるはずなのに突然何を言い出すのだ。困惑しているのを感じ取ったのか彼はさらに言葉を重ねる。

「前から気になってたんだよ、お前。ずっと図書館にいるじゃん。話しかけてみたくって」
「だからって何でいきなり釣りに行こうなんて誘うの?」
「だっていっしょに行こうとしてたヤツ、急用でいけなくなっちゃったんだもん」

笑うと口から白い歯がのぞき、一層肌の黒さを浮きだたせる。まさしく太陽のような笑みだった。
彼の眩さに流されぬよう、色白少年は無理やり声を出す。

「は、初めて会ったのに?」
「たまに見かけてたから初めてじゃないし! あっ、俺は海斗。よろしく! なあどう? 明後日いっしょに行かねえ?」

 にっと笑いかけてくれるのはいいが、こちらには首を縦に振れない事情があった。

「いきなり言われても……。親に聞いてみないと分からないし、そもそも僕体弱いから無理だよ」

 ぎゅっと手のひらを握りしめる。幽霊みたいな白い肌に薄く血管が浮かび上がった。

 本音を言うと行きたい。昔から体が弱くてずっと図書館の中で本を読んで暮らしていたから。
 それに本は退屈しない素晴らしい世界をみせてくれるけど、現実では魔法を学んだり冒険をしたりすることはおろか外を駆け回ることも満足にできなかったから。

「そっか、体弱いのか」

 そっか、そっかと頷く海斗に少年はほっと胸をなでおろす。
 これで諦めてくれるだろうと。密かに痛む心を隠して。
 だが目の前の彼はひと味違った。

「うーん、わかった! 今からお前んち行ける? お前の親と話して許可とれればいいんだよな?」
「は?」

今度は声まで漏れ出てしまったが、海斗は気にせず、今回は天気も潮の流れもいいんだぜと楽しそうに続ける。少年はため息をついた。

「……多分無理だと思うよ」
「やってみねえとわからねえじゃん! ほらいこ!」

 海斗は少年の手を取ると一気に引っ張りあげた。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

慌てて本を閉じると海斗に引きずられるようにして少年は家へと向かった。

「おかえりなさい。今日は早かったのね。あら? そっちの子は?」

出迎えたのは母だった。

「あー……えーっと」

今日会ったばかりの彼をどう紹介しようかと思わず口ごもる。

「こんにちは、俺、海斗って言います! いきなりきてすみません。おじゃましてもいいですか?」

目をそらしてもじもじする僕をよそにはきはきと話す海斗。元気のよい挨拶に母はころころと笑った。

「あらあら、もしかしてお友達? そうなら言ってくれればよかったのに。今からお茶とお菓子持ってくるから先に部屋に行っててくれる? 階段上がったすぐの部屋だから」
「あ、その前に少し話したいことがあるんですけどいいですか?」
「話したいこと?」

 小首をかしげる母に僕は慌てて付け加えた。

「母さんたちに話したいことがあるんだって」
「あら、そうなの? じゃ、ここで話するからあなたは先に部屋行っていなさい」

 少年は大人しく二階に上がって海斗を待った。海斗はしばらく母と話していたようだったが、やがて少年の部屋にひょっこりと顔をだした。

「どうだった?」

 彼は満面の笑みで親指を立てる。輝く白い歯つきで。

「えっ本当に⁉」

 思わず声が裏返ってしまった。
 そんな、行ってもいいの? 普段は低稼働の心臓がこのときばかりはちゃんと仕事をした。血がぶわりと上がるのを感じる。

「すっげえ朝早いからめちゃくちゃ暖かい格好してくるんだぞ。時間はお前の母ちゃんに言ってあるから。じゃ、また明後日!」

 海斗は手を振って呼び止める間もなく出ていった。伸ばした手が虚しく下がる。

「まだ名前も言ってないのに……」


「どうして海斗のお願い了承したの? いきなりだったし、いつもは僕の体を心配して首を縦に振らないでしょ?」

嵐のように海斗が去った後、さっそく少年は母に尋ねた。

「だって初めてじゃない。あなたが友達を家に連れてきたことも一緒に外に遊びに行きたいって言ったことも。最近は調子いいし、そこは親として応えてあげなきゃね」

 ウインクして答える母。友達もなにも今日会ったばっかりなんだけど。そんな言葉を飲み込んで少年は口を開く。

「うん、ありがとう。あと先に誘ったのは海斗の方だからね」
「どっちでもいいじゃない。さ、そうと決まれば準備しなくっちゃ」

 うきうきと準備を始める母に少しげんなりしながら、少年はどこか心が弾むのを感じていた。


「本当に朝早いね。朝というより夜の時間だ」

 夏なのに冬用の服を着込んでさらに使い捨てカイロまで持たされて。もっこもこになっている少年を見て海斗は大笑いした。

「すっげえ格好! 羊みてえ。完璧に真寒の格好じゃん。逆に大丈夫か心配になるわ」
「こら! 人様の子を指差して何を笑っているんだ。今日はよろしくな。ええっと」

海斗の頭をスパンと叩いたのは彼の父親だ。彼もがっしりとした体付きで、その肌はよく日に焼けている。

「賢です。初めまして、海斗のお父さん」
「しっかりと挨拶ができてえらいな。ウチのヤツも見習ってほしいもんだ」
「いえいえ。ウチの子を誘って下さってありがとうございます」

 海斗の父親と違って家の父親は痩身でメガネをかけた文学青年みたいな見た目だからそろって会話すると対照的だ。

 父と海斗の父が挨拶している間、賢は海斗のところに話しかけにいった。

「いってえ! ホントすぐ手が出るんだよあの暴力親父」
海斗は大げさなほど顔をしかめ、頭をさすっている。だが賢が近寄るとぱっと顔を明るくした。

「だいじょうぶ?」
「おう! ていうかお前の名前賢っていうんだ」
「うん。いう前に君帰っちゃったからね」

本人もあの対応はまずいと思っていたのか頬をかきながら謝罪の言葉を口にした。

「悪かったって。じゃあらためてよろしくな、賢」
「よろしくね海斗」

握手を交わしたところでちょうど話が終わったらしい。海斗の父さんが僕らに呼びかけた。

「じゃあそろそろ行くぞ」
「「はーい」」

たまたま二人の声がそろう。顔を見合わせ、どちらともなく笑みがこぼれた。

「じゃ、いこうぜ」
「うん」

手をつなぎ、二人で車に乗り込んだ。


「着いたぞ」

まだ日の出前の海は真っ黒だった。ザザーンと波の音が静かな空間に響き渡る。ベタベタしていて魚屋でかいだ匂いと少しだけ似た匂いが鼻をくすぐった。
 これが潮の匂いというやつなのだろうか。本の中でしか知らなかった海に賢の気分は跳ね上がる。

「寒くない? 大丈夫か?」
「ううん全然。海ってこんなものだね! 初めて見た!」
「えっ、お前海初めてなの?」

興奮する賢に海斗は目を丸くし、次の瞬間にはにやりと笑った。

「こんなんで感動するのはまだ早いぜ。日が昇ってくるときなんかもっとすごいんだからな!」

そのとき後方で準備していた海斗の父親の大声が聞こえた。

「海斗、お前は準備を手伝え! 賢君は体調大丈夫かい?」

「はいはい、今行こうと思っていたんだよ! いこうぜ賢」

それに負けじと海斗が叫び返す。そして賢に手を差し出した。

「うん。僕も手伝いまーす!」

 賢も笑ってその手を掴み、二人で彼の父親のところまで駆け出した。

 釣り糸を海に垂らして魚がかかってくるのを待つ。そうしているうちに徐々に空が白み始めた。ゆっくりと太陽が顔を出す。

「うわあ」

 思わず感嘆の息が漏れた。黒いキャンバスにあふれる赤と金と白。あまりの美しさに脳天から爪先まで震えるような衝撃が走った。その光景は今まで読んだ本のどんな表現よりも神々しさが伝わってくる。
 いやきっとどんな文豪でもこの美しさを完璧に書ききることなんてできやしないのだ。多分この光景を一生忘れることはないと賢は思った。

「すっげえだろ?いつ見ても感動するんだ」
「うん、引き込まれそうな美しさだね。というかなんか引っ張られている?」

 自慢げに笑う海斗に頷き返したとき、ぐいぐいと手元の竿が引っ張っていることに気がついた。

「え? おい、お前の竿しなってる、しなってる!」
「おお、賢君かかっているぞ!」
「本当だ!」

 慌てて二人が駆け寄ってきて釣り上げるのを手伝ってくれた。

 陸に打ち上げられたのは青みがかった銀色の魚。小さな体が大きくしなってしぶきが輝き、糸がぐわんと揺れる。あの体のどこにそんな力があるというのだろう。

「すごい、こんなに魚って跳ねるんだ……」

 僕が目を輝かせていると海斗は不思議そうな顔をした。

「いや初めて釣った感想がそれかよ」
「コラ! 人がどんな感想を持つのかはその人の自由なんだから、いちいち茶々を入れるんじゃない! 賢君、いい魚が釣れてよかったな」

跳ねる度に銀が散る。まさに生命の塊といえるこれを自分が釣りあげたなんてにわかには信じられなかった。

「ほんとうに僕が釣ったんだ……」
「そうだぜ。お前、最初にこんな大物つるなんてスゲーじゃん」

海斗が思いきり背を叩こうとして、はっと寸前で勢いを緩め優しく叩く。

「はい! 手伝ってくださりありがとうございます」
「ちゃんとお礼まで言えるなんて本当にいい子だな」

わしゃわしゃとかき混ぜられて視界がぐらぐらした。というかぐらぐらしすぎて心なしか気持ち悪くなってきたような……?

「おい親父、頭かき混ぜすぎて目が回っているから放してやれよ」
「おお、すまんすまん」

ぱっと手を離されたがしばらく視界は揺れていた。

「大丈夫かよ。休む?」
「まだいけると思う、多分」
「無理すんなよ」

 心配そうに見つめる海斗に頷いて三人は釣りを再開した。
 その後一時間ほどそこで魚釣りをし、何匹か釣り上げて帰ることにした。


 後ろの席に二人並んで座る。ガタゴトと揺れる車内でしばらく他愛のないことをしゃべっていた。

「楽しかった?」
「うん! 本当に誘ってくれてありがとう」
「ならよかった!……ところで一つお願いがあるんだけどさ」

 急に気まずそうに目をそらす海斗。少しの間、車内に沈黙が落ちる。

「あの、宿題手伝ってくれませんか」

 何を言い出すのだろうと身構えていると海斗がぼそぼそと言った。蚊のなくような声だった。

「えっ終わってないの?」

 賢は思わず聞き返す。さらに海斗は逃げるように視線をそらし、小さく頷いた。 
 開口一番に宿題終わったか聞いてきたというのに聞いた本人は終わっていないことってあるのだろうか。それにもう夏休みは終盤。残っている量によっては恐ろしいものをみることになるだろう。

「あの、お前さ、クラスの中ですっごい頭いいって聞いたから教えてもらえないかなー……なんて」
「まさかそのために僕に話しかけたの?」

 冷水をかけられたような気分だった。いやそのために釣りに誘うっていうのは中々聞いたことがないが。
 それでもまさか宿題を手伝ってもらうために声をかけられたという事実はちょっと面白くない。第一自分が成績いいのは体が弱くてずっと本を読むしかできなかったからだ。

「あー違う違う。そうじゃないって! 前から気になっていたのはホント。ただ俺の友達にさ、お前のこと話したらめちゃくちゃ頭いいって聞いたから。気分悪くしたならゴメン」

身振り手振りで慌てて弁明する海斗。真摯に謝っているのは伝わってきたので一応許すことにした。

「まあいいけど、何残っているの?」
「読書感想文と算数」
「読書感想文はともかく算数の宿題は割と早く終わるんじゃない? 案外簡単だよ? ヒントはあげるから図書館で勉強しよっか?」
「それは頭いいヤツが言えるセリフなんだよぉ」

すっかり元気をなくした海斗を尻目に僕は窓の外を流れる景色を眺めていた。


「二人とも起きろー着いたぞ」

ゆさゆさと揺らされて目を覚ます。いつの間にか眠ってしまったらしい。

「今日は本当にありがとうございました」

父と一緒に頭を下げる。海斗の父親は豪快に笑って言った。

「いえいえ、こちらこそウチのヤツのわがままに付き合ってもらったみたいで、すみませんね。それからせっかく自分で釣った魚だからもらってってくださいよ。焼いても煮ても美味い魚なんで」

 おじさんはクーラーボックスの中から例の魚を取り出した。

「本当にウチの子が釣ったんですか?」

 父は目を丸くしていたが、賢が頷くと嬉しそうに微笑んでそれを受け取った。

「そうか、立派な魚が釣れてよかったな」
「じゃ、これで失礼しますね」

 おじさんは海斗の手を引いて車に乗り込む。

「またな!」
「うんまたね!」

 助手席の窓を全開にしてぶんぶんと手を振る彼に賢も精いっぱい手を振り返す。そうして彼の車が小さな点になるまでずっと手を振って見送っていた。

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