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【短編小説】盲いた人々は夢の中

あなたの信じるものはなんですか?

上記から緩く繋がっている話です。それぞれの信仰について。

「この腐った世界から楽園に行きましょう!」
「素晴らしい終わりは新たな世界のための始まりなのです」
「美しい終焉を! 世界に救済を!」

 仰々しい純白の衣服をまとった男の後ろに人々が列をなす。彼らはうずくまる他の者たちに話しかけたり、祝詞のようなものを唱えたりしていた。

「チッ、相変わらずうるせえな」

 それを路地から見物する三人の男女がいた。一番背の高い少年が舌打ちする。ただでさえ目つきの悪い印象を与える三白眼が剣吞な光を帯び、一層凶悪な顔になっていた。

「レオやめなよ。チンピラみたいでガラ悪いよ」
「ああ? なんだとオリバー」

 咎めたのはまだ幼さの残るかわいらしい少年。レオが声を荒げるも彼は気にすることなく、今にも突っかかりにいきそうなレオをとどめた。

「あれってたしか最後の楽園教よね。ここにもやってきたのね。あっ、あの花すごく精巧にできているわ。どんな方法で作っているのかしら」

 興味津々に見つめるのは白いワンピースを着た金髪碧眼の少女。それにレオは呆れた視線を向けた。

「お前は本当に花のことばかりだな。流石ポンコツアンドロイド。……あれはやめとけ。関わると面倒だぞ」
「そうなの? どうして? 皆をシアワセにするという意味では私とそう変わらないと思うのだけど」
「アンナ、レオの言う通りだよ。やめておいたほうがいいと思うよ」

 珍しくオリバーまで同意を示し、アンナは目を瞬かせた。

「そうなの? あれに詳しくないからわからないけど人助けをしているんでしょ?」

 二人の顔に何とも言えない表情が浮かぶ。顔を見合わせ、やがて年上の少年が低い声で答えた。

「そうだな。人助けだな。……死を最上の救済と思うならな」

 アンナの目が丸くなり、足が止まった。レオがあからさまなため息をつく。

「ったく、よく知りもしねえ奴らにホイホイ近寄るんじゃねえよ。このご時世だ。腹にどんな一物抱えているかわかんねえんだぞ。よく今までやってこれたな」
「な、そんな言い方ないでしょ!」
「でも本当にあの人たち何考えているかわからないよ。不用意に近づくと大変なことになるかも」

 オリバーが控え目にワンピースの端を掴みながら、アンナを見上げた。猫のような目にじっと見つめられると、固まっていたはずの決心が揺らぐ。

「……そんなにあの人たちは危険なのかしら」

 列は未だに途切れない。モノクロの世界に混じり気のない白は異様なほど浮いて見える。美しい終焉を! 世界に救済を! 何度も繰り返される熱狂的な叫び声はいつまでも耳に残った。


「それで最後の楽園教とはどういうものなの? メモリに記録しておきたいから」
「お前のポンコツ頭じゃ上手くできるとは思えねえけどな」
「ちょっと私のメモリが記録できないのは日時だけよ! それに壊れているとはいってもある程度なら理解できるもの。流石に何年も前のことは曖昧になってしまうけどこれでもまだまだ現役よ。馬鹿にしないで!」

 にやにや笑うレオの胸を叩いた。片側からは柔らかさを含んだ鈍い音が、もう片方からは金属特有の冷えた硬い音が響く。半分生身、半分機械である彼特有の感触だった。

「レオ、女の子をいじめる趣味はよくないと思うよ」
「はいはい、俺が悪うござんした」

 オリバーに冷めた目で見つめられ、レオは舌打ちを一つして謝罪の言葉を口にする。オリバーの眉が上がったが、結局何も言うことなくアンナに向き直った。

「じゃあ僕が知っている限りのことを教えるね」

 最後の楽園教とは大戦後急速に広まった新興宗教だ。彼らは、テロリストたちによって植物がろくに生えないほど穢れてしまった世界を捨て、新たな楽園を目指そうと主張している。だが実際は自殺の教唆だ。清らかな身体で逝くことができるよう、彼ら特有の様々な決まり事に則って楽園に送るらしいのだが、どう取り繕っても死ぬことには変わりない。大戦前であれば問題視されていた宗教だろう。それが広まったのは心の故郷であった緑の喪失とそれに伴う絶望や無気力感によるものからだ。
 粉々に壊された日常。機能しない政府。残るは瓦礫の山と自分たちのみ。寄る辺を無くした人々は様々なものにすがった。その中に紛れ込み、彼らの心を掴んだのが最後の楽園教である。平時では見向きもしなくとも、もはや希望すべてを打ち砕かれた人にとっては死すらも魅力的な誘いに見えたのだ。

「でもね、僕らが一番心配しているのはそこじゃないんだ」

 そこでオリバーは一度言葉を切った。視線はうろうろとさまよい、口は開くが音を発する前に閉じてしまう。それを幾度も繰り返していた。アンナはオリバーを覗きこんだ。

「どうしたの?」
「いや、えっと……」
「オリバーはっきりいやあいいじゃねえか。アイツらはお前みたいなアンドロイドが大っ嫌いってことをよ」
「えっ、どうして?」

 透き通った一対の空がオリバーを映す。全てを見透かされそうな透明さに、オリバーは一歩後ずさった。

「あの、えっと、それは……」
「アイツらにとって死の権利をもつのは生き物だけなんだとよ。それに機械は含まれちゃいない。たとえお前みたいな人格を宿したアンドロイドだとしてもな」

口の端を歪めてレオは吐き捨てる。

「むしろ変に人間に近い分、余計に毛嫌いされている節すらあるぜ。一度他の街で奴らに滅多打ちにされている機械を見たことがある」

 大勢の人間たちが一つの人型ロボットに群がって、棒切れ片手に叩きのめす光景は目を覆いたくなるほどだった。不幸にもそのロボットには人間を攻撃しないようプログラムされており、無抵抗のまま自分自身が壊れていくのを眺めることしかできなかった。あのだらりと地に落ちた腕と熱がこもっているのに、底の冷えきった目が忘れられない。

「じゃあレオはどうなの? あの人たちにとってあなたも糾弾される存在なのかしら」
「一応生物認定らしいぜ。歓迎はされないだろうけどな。ま、あんな連中こっちから願い下げだが」

 レオが鼻を鳴らす。壁にもたれかかる彼の目元に、薄く灰色がかった金髪の影が伸びていた。大きく開いた穴から陽光が埃を反射しながら照らしている。眼下に広がるはうち倒れた建物の山。かつては高いビルが立ち並んでいたこの場所も、今では二階からでさえほとんどのものを見下ろすことができた。

「本当にくだらねえ。死んだってその楽園とやらに行ける保証なんてどこにもねえじゃねえか。そうやって後ろ向きに生きている奴が楽しいだけの世界に行けるとは到底思えねえけどな」

 死を勧めるものなんざ救世主でも何でもねえよ。眉間に皺をよせるレオにオリバーは目を丸くした。

「レオ変わったねえ。前はそこまで生きることに前向きじゃなかったのに」
「そうなの?」
「うん。僕もだけど、ただ生きているって感じだったよ」

 お前もだろうと言おうとした口は、先回りされ、無理やり飲み下すしかなかった。苦虫を嚙み潰したようなレオにオリバーはくすくす笑う。

「この世界に希望なんて見出せなかったから。でも死ぬ気力もなくて、本当に息をしているだけって感じだった。そんな僕らでもアンナのおかげでちょっと変われた気がする」
「おい勝手に数にいれるな」

 レオの発言を流しながらオリバーは頬を掻いてはにかむ。アンナは二、三度瞬いたが、突然ぱっとオリバーの小さな手を掴んだ。

「じゃ、今はシアワセってこと?」
「ま、まあ前よりは?」
「レオも?」

 きらめく晴天がレオを映す。んなわけあるかと憎まれ口を叩こうかとも思ったが、オリバーに片足を踏まれ、息を吐いた。

「いつも脳内お花畑な誰かさんのおかげでにぎやかだとは思うがな」
「お花畑は脳内じゃなくてカゴの中よ」

 アンナは頬を膨らませて蒸気を上げる。その姿は下手な人間よりも人間らしい。

「やっぱり彼女は正しかったのね。花はみんなをシアワセにしてくれるっていうのは」
「お前のそれのどこが花だよ。寝言は寝て言え」

 プラスチック片と鋼材の破片で生み出された花をつまんでレオが呆れかえる。少しでも力をこめれば、花びらがとれてしまいそうなほどの軟弱で、不格好な花を。

「ちゃんと花でしょ! レオ、いい加減にしないと怒るわよ」

 オリバーの手を包んでいた滑らかな白磁が離れ、レオから彼女の商品を奪い取ろうと躍起になる。だが身長の差には抗えず、無骨な掌に小さな花は収まったままだ。業を煮やした彼女は制限を解除し、その細身に似合わぬ力を発揮する。高くあげられた腕が徐々に下がり、アンナはついに花を取り返した。

「おっまえ、いきなり出力上げんな。痛てえだろうが」
「レオが返さないから悪いんでしょ」
「そうだね。レオが悪いよ」

 オリバーも頷いている。もっともオリバーはいつでもアンナの味方ではあるが。ふいに碧眼が外に向いた。晴天のような青に太陽の光が反射している。

「でも信仰ってなんなのかしら。私、あの人たちが不幸せとは思えないの」
「ああいうのは道しるべになるからね。この真っ暗な世界の中では彼らにとって明かりのようなものかもしれないね」
「ハッ、あんなのを判断の基準に選ぶのかよ。見る目ねえな。俺はそんなもん信じねえ。もし信じられるとしたら自分自身だけだぜ」

 鼻で笑うレオに二人は苦笑いした。彼の命の恩人であり育て親――彼いわく一時的な同居人らしいが――の老人がいなくなってから、この過酷な世界を一人で生き抜いてきた彼らしい言葉である。

「じゃあ私の信仰は彼女かしら」

 アンナは胸に手をあてる。自身の人格のもととなった少女のことを。大切なあの人たちの一人娘だった彼女のことを。この世界に別れを告げるにはあまりに早すぎた彼女のことを。なぜなら彼女の延長線上に自分はいるのだから。太陽のような笑顔がメモリの最奥から浮かび上がる。

「僕は……」

 対してオリバーは言いよどんだ。視線は床を這い、指先が落ち着きなく動いている。

「もしかしてご両親?」

 アンナの問いにオリバーは首を振った。暫しの間逡巡していたが、ようやく顔を上げた。その顔には先ほどの迷いは見られない。

「ううん。僕が信じるとするのならアンナかな」
「えっ、私!?」

 美空色が大きく見開かれる。オリバーはそれを真っ直ぐ見つめたまま続けた。

「うん。アンナに会って、僕の世界が変わったから。だから僕が標にするならアンナがいい。だめ?」
「えっと、嫌ではないんだけど私でいいの?」

 頷けば真珠のような肌に赤みが増す。甘酸っぱいような、くすぐったいような空気が流れた。それを壊したのはもう一人の少年である。

「あーあーそういうのはお二人でやってもらえませんかねえ。今俺もいるんですけど」

 ガシガシ頭を掻きながら苦々しい顔で舌を出す。そのままオイルを探しに行こうとする彼の両腕に二人でしがみついた。

「そ、そんな話じゃないでしょ。信仰の話じゃない」
「そうだよ。別にレオが思っていることじゃないし」
「到底そうとは思えなかったけどな」

 二人を見やる灰黄色は冬のように冷たい。振りほどこうとする腕に更に力をこめた。

「あっそういえば!」

 漂う空気を振り払うかのように、突然アンナが手を叩く。

「今日はおじいさんに花を届けに行く日だったわ。二人とも付き合ってくれないかしら」
「もちろん。レオも行くよね?」
「あ? 俺は今から燃料探しに」
「行くのね! ありがとう」

 今二人きりにされてはたまらない。往生際悪く別方向に足を向けようとするレオを捕らえ、カゴもしっかり腕の中に収めて、白い裾をはためかせる。
 三人を照らす太陽は灰色の街とは対照的に眩いほど輝いていた。

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