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【短編小説】白い供花

兵士怪談 第一夜~第三夜 https://note.com/torinoogawa/n/n007e5cfb2ea7

と同じ世界線ですが読まなくても読めます。ただ読んだほうが世界観が分かりやすいかもしれません。


 少年は目の前で花を供える剣の兄弟子をいささか冷たい目で眺めていた。暖かい陽射しが降り注ぐ野には延々と白い墓標が立ち並んでいる。
 それでもここに眠る者たちはまだ幸運だ。戦地では生死すら確認されず野ざらしになった者など掃いて捨てるほどいるのだから。

 花束をまとめる黒いリボンが白い花と対照的で妙に目をひいた。

「ほんっといつも白だよな……。いつもは視界にすらいれたがらないのに」

 少年は独り言をつぶやく。

 兄弟子は白い花が嫌いだ。白い花はどんなものであれ、大小種類関わらず触れようとしない。自分だけならばまだしも弟弟子の自分すら看過できないようだ。見舞いであろうが贈り物であろうが自分が白い花一本でも持っているとはたきおとす。それが一切兄弟子に関係ないものだとしても。
 そのくせ墓参りにはいつも白い花束を持参した。

「なあなんでいつも白い花を供えんの? お前白い花嫌いじゃん」

 丁寧に墓石を手入れしていた兄弟子はゆっくり振り返った。少々くせっけのある髪がところどころはねている。

「そりゃ不吉だからだよ。持っていていい気分はしねえからな」

 少なくとも俺はそんな話聞いたことねえぞと喉まで出かかった言葉を飲み込み、少年は問いかけた。

「そう思っているのお前だけだと思うけどな……。じゃあなんでその不吉なものを供えるわけ? もしかして憎いのかよ、ソイツ」

 墓石を指差すと兄弟子は目を丸くした。一対の翡翠が太陽に反射してキラキラと輝く。

「んなわけねえだろ」
「じゃ、なんで」

 彼はすいっと目をそらした。ラッパ形の純白が風にそよいでいる。それらはよく磨かれた墓石に寄り添うように手向けられていた。

「そりゃあ死んだら不吉も何もねえからなぁ。それに墓参りと言ったら白だろ」
「ふうん。じゃあソイツの葬式のときもそうだった?」

 風が二人の間を吹き抜ける。春の香りを含んだ暖かな風だった。ふいに彼がここではないどこか遠くを見つめる。

「……そうだな。アイツが死んだときもそうだったよ。むしろ――」

 木の葉が舞い上がり後の言葉がかき消される。兄弟子は小さく笑った。いつものへらへらした雰囲気が引っ込み、陽炎のようにいやに儚げだった。瞬間、彼が木の葉に紛れて消えてしまう、ふいにそう思った。

「どうした?」

 訝しげに彼が見つめている。首をかしげると呆れたため息をこぼされた。

「手。手、掴むな。痛い」

 そのとき初めて彼の手首を掴んでいたことに気がついた。

「わ、悪い」

 ぱっと手を離すと冷ややかな目で睨まれる。

「ったくよ。ていうか前から思っていたが、やけにコイツの話になるとぞんざいな態度とるよな。大体広い視点でみればお前の恩人でもあるんだぞ」「俺を助けてくれたのはお前であってコイツじゃない」

 顔を背けると再び嘆息が落ちた。

「でもその俺が今いるのはコイツのおかげだぞ。だってコイツは俺に」
「心臓をくれたんだろ」

 言葉尻を奪うように吐き捨てると兄弟子は苦笑いした。

「よくわかってんじゃん」
「あれだけ言われればな。流石に覚える」

 言葉に険が混じったが気にしない。むしろ当てつけのようにあからさまに含ませる。

「そうか、お前が覚えるくらいなら相当だな」

 兄弟子は目を細めて墓石を見やった。親しみとほんのわずかではあるが滅多にみせない甘えのようなものがちらつく。余計に心が逆立って舌打ちが一つ落ちた。

「自覚しているならやめろ」
「おいおい拗ねんな。いくら待つのが苦手だからって墓参りくらい付き合えよ。俺だってお前の墓参り付き合ってやってんだからさ」

 ここに眠っているのは兄弟子の世界を変えた恩人であり、押しかけ師匠らしい。師匠とは言っても剣術の師匠ではないから自分の師匠ではない。そうであればとうのとっくに別の師匠を探しにいっている。

「でもお前、実の親より足しげく通うのはどうかと思うぞ」

 時間も頻度も全然違う。兄弟子の親への墓参りは義理だと言わんばかりのよそよそしさがある。対して奴は傍目からみても心のこもった弔い方をされていた。

「だって顔も知らねえし、正直赤の他人みたいなもんだしな」
「それでも親だろ」

 肩をすくめる兄弟子の瞳に面倒くさそうな色が浮かんだのは気のせいではないだろう。彼にとっては自分を産んだだけで後は何もしていない親のことなど興味ない。それには師匠が彼の親のことを良く思っていないのも関係していると思うが。

「お前は家族というものを本当に大事にするよな」
「ああ。だって大切なものだからな」

 自分の手元には色とりどりの花が揺れている。その中にはもちろん白もあった。
 親兄弟たちがどんな花を好むのか、弟妹には色鮮やかで可愛らしい花を、親や兄姉には落ち着いた色の大人びた花を、彼らを偲びながら一本一本選びぬいている。

 兄弟子は墓参りの花だけには文句をつけなかった。きっと根っこの思いはお互い大して変わりないと知っているからだろう。

「お前にとってはソイツが俺にとってのみんなみたいなもん?」
「んーどうだろうな」

 苦笑してはぐらかす彼を少年は睨みつけた。

「俺にとってみんなは支えだぞ。お前のソイツとは違うのか」

『何があっても生きてね。あなたは私たちの誇りだから』

 最後の母の言葉がよみがえる。燃えさかる海でみんなは何を思ったのだろう。焦げついた痛みを振り払うように首を振る。

 この腐った世界で生きるとき彼らの存在は支えだ。――たとえそれが呪いであったとしても。

「でもお前の家族は俺とコイツの関係とはまた違ったものだろ」

 兄弟子はかつて言った。コイツの心臓を俺が勝手にもらったのだと。

 少年から言わせてもらえばそれは違う。この気に食わない押しかけ師匠は兄弟子の心臓を奪って代わりに自分の心臓を押しつけたのだ。そうとしか思えない。
 目の前にいる兄弟子の中に奴の片鱗が混じっているのだと思うと、その体の真ん中にあるそれをえぐりだしたい衝動に駆られた。

「……野良犬にエサをやるなって言われなかったのかソイツ」
「は? お前なにいってんだ?」

 意味が分からないといった表情を浮かべる兄弟子に何でもないと首を振る。
 優しくするだけ優しくしておいて、生半可な希望をもたせて、挙句の果てに戦争で死んだ愚かな男だ。野良犬を餌づけておきながら興味がなくなったら見捨てる無責任な奴らと何ら変わりない。

 この前街中で見かけた雑種犬を思い出した。雨に打たれながらどうせ帰ってこない薄情者をいつまでもか細い声で呼んでいたあの犬。たれ耳のあれはまだあそこにいるのだろうか、ゴミが散乱する路地裏で。

「とにかく、お前は敬意を払えとまで言わねえからもう少し敵意を抑えろよ。コイツに演技を教わらなければ、処世術だって身についていないんだぜ? それでお前何度救われたよ」

 お前、気ぃぬくとすぐに上にケンカ売るんだからその後処理をするこっちの身にもなれよとぶつくさ言う彼の腕を引っ張って立ち上がらせる。

「もう十分墓参りはすんだだろうが。俺のも残っているんだからはやくしろ」
「はいはい。あーまったくウチの弟弟子は暴君だねえ。ちったぁ兄弟子に対する敬意というもんをみせてもらいたいもんだ」

 嫌味たらしく言いつつも、その瞳に怒りはない。代わりに世話のやける弟を見守る兄のような慈愛が見え隠れしていた。
 ようやっとこちらに視線が向いたことで地の底をはいずっていた少年の機嫌が上向く。

「みんなを待たせんなよ。お前のせいで待ちぼうけ食っているじゃねえか」
「お前なあ!? いつも無理難題につきあってやっている俺の気持ち考えたことあんのか? 何だったら今日だって別々にいってやったってよかったんだぞ」

 わざと煽るように言えば目論見通り兄弟子はのってきた。もちろんこちらの思惑を知った上でだろう。それでも湿っぽい面でいられるよりマシだ。馬鹿みたいな言い合いが静かな墓地の中で響き渡った。

 兄弟子の文句が背後から追いかけてくるのをさらりと躱し、花を潰さないよう注意を払いながら駆けだしていく。

 そのときひときわ強い風が吹いた。木の葉が一斉に飛び翔ける。

――ごめんな、最後までみられなくて

 木の葉に紛れて見知らぬ男が立っていた気がした。が、瞼を閉じて、再び開いたときには自分たち以外誰もいない。

「おいどうした? いきなり立ち止まって。早くいきたいんじゃねえの?」

 怪訝な顔で見つめる兄弟子に少年は先ほどの光景を頭から振り落とした。

「なんでもない。はやくいこうぜ」
「いや止まったのお前だけどな」

 少年は再び足を踏み出した。

「……だから嫌いなんだ、お前なんて」

 死者は死者らしくじっとしていろ。もしくは指をくわえて悔しがっていればいい。こちらだって尊敬する兄弟子をとられて苛ついているのだから。
 胸に秘めた愚痴は誰にも聞かれることなく溶けていく。

 もう一度強い風が吹き、青い空に落ち葉が舞った。

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