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【短編小説】桜を待つ

ある少年の苦い春の話。


――やってしまった。

少年はひとりごちた。膝を抱えて木に寄りかかるようにうずくまる。木々はまだ芽すら出さず寒々しい裸の枝を震わせているだけ。乾いた風が肌に冷たくあたった。周りは少年の他に誰一人いない。腕に力をこめ、さらに体を丸めて少年は呟いた。

「なんであんなこと言っちゃったのかな……」

時は少々前にさかのぼる。


「なあ、お前受験どうだった?」
「俺、第一志望受かったわ」
「えー俺、まだ滑り止めしか結果返ってきてないんだよなあ」

教室は既に受験の話題一色であった。三月に入り、もう大体の者は受験を済ませている。国公立ですら前期の試験は終わっていた。早いところではもう結果まででているくらいだ。

この学校の卒業式は遅いほうなので自然とそういう話題で埋め尽くされる。

希望の大学に入り浮かれている者、まだ後期や私立にかけている者、あるいは来年に向けて努力している者さまざま。学校行事も残すところ卒業式だけでどこか浮ついた空気を感じる。少年も傍らの友人に話しかけた。

「なあお前結果どうだった? 俺受かったぜ! 来年から一緒の大学だな!」

にっと明るい笑みを浮かべ、背を叩く。友人はなんともいえない顔で、小さくおめでとうと返した。

少年と友人は同じ大学を志望する仲だった。成績のよい友人のことだ。少年は友人も受かっているものと信じて疑わなかった。
ただもしこのとき彼の瞳の昏さに気づいたなら、結末は違っていただろう。

「……ごめん、俺落ちた」

蚊の鳴くようなか細い声だった。だが、少年の耳にはこびりつくようにいつまでも忘れられない声となった。

「な、なんでだよ!? お前、俺より成績よかったじゃん。俺が受かってお前が受からないわけないだろ!?」

落ちた? 俺よりずっとテストの点が上だったヤツが? 変な冗談でも言っているのだろうか。

思わず少年は彼につかみかかっていた。だが彼は俯いたままだ。と、その瞬間だった。

「そんなこと!」

突然、怒鳴った友人に思わず指先が震え、手が離れる。にぎやかだった教室は一瞬で静まり返った。しんとした静寂が落ちる。
彼の瞳の中の燃え上がった炎はすぐに搔き消え、やるせない哀しみに浸された。しかしそれもすぐさま前髪によって隠される。

「……そんなこと俺が一番問いたいよ」
「ご、ごめん」

周囲の視線が突き刺さる。はじかれるように彼は教室を飛び出した。周囲の責めるような目から逃げるように、少年も慌ててその後を追いかけた。


「待てって、おい!」

駆ける、駆ける、駆ける。しかしどれほど足を動かしても彼は止まることはなかった。廊下を駆けて、階段を上り、彼を捕まえたのは屋上に続く扉の前だった。

「おい、待てって、言っただろ。本当に、悪かったって」

息切れをしつつ謝罪の言葉を口にしたが、彼は俯いたまま。

「なあ、おい聞いているのかよ」

手を肩におこうとした瞬間、パシリと乾いた音がした。一瞬何が起こったのかわからなかった。だがじんじんと痛みを訴える手から、彼が手を振り払ったのだということが実感を帯びてくる。

「え……」

呆然とした声が落ちた。目の前の彼は今まで見たこともない表情でこちらを睨みつける。彼の瞳に渦巻く仄暗い感情は少年にとってあまり縁のないものであった。

「うるさいんだよ! お前に何がわかる!? お前はいいよな、あの大学に受かったんだから。今までお前に勝ってきた俺が落ちたのがそんなに嬉しいのかよ!?」
「ちがっ、そんなんじゃ」
「じゃあなんで」

少年の言葉を遮り彼は続けた。憎悪にも似た炎が弾ける。

「なんであんなこと言ったんだよ! それもよりによってみんなの前でさ。俺をさらし者にするのがそんなに楽しいのかよ」
「いや、そんなつもりじゃ……」

激情を真正面からぶつけられて少年は言葉に詰まった。
どうしよう。どうしたらこの誤解を解ける? ごめん? そんなつもりじゃない?
ぐるぐる考えが回っている間に彼は横をすり抜けた。

「……もういいよ。ほっといてくれ」

そう言い捨て、小さくなっていく彼の背を少年はただ見送ることしかできなかった。

運の悪いことにこの日が卒業式を除く最後の登校日だった。彼はその後教室に姿を現すことはなかった。

「卒業式終わった後、絶対に謝ろう」

少年は固く決意した。

しかし結局卒業式でも謝ることができなかった。話しかけようとはしたのだが、彼は一言も口をきくどころか視線を一瞥もよこさず足早に立ち去ってしまったからだ。打ち捨てられたピンクの胸飾りの花だけが虚しく地面に落ちていた。


そして話は冒頭に戻る。少年がいる森は学校近くの森で近くには公園が併設されている。ランニングコースも整えられており、彼と部活の練習でよくきたものだった。

「ここで練習終わりに二人でだべったこともあったのになあ……」

もうそれが遥か昔のように感じられる。部活を引退した後も補習帰りに来たり、気分転換に来たりしたこともあった。涼しい木陰の中で二人で憧れの大学に行ったら何をするか話し合って、笑いあって。自分の模試の結果が悪かったときには公園の自販機でアイスを買ってくれたこともあったっけ。あのときのバニラはやけにしょっぱかったのを覚えている。

『必ず二人とも合格して一緒の大学いこうな!』

にっと輝く笑みを浮かべた彼の笑顔が脳裏に浮かび、ぐっと唇を嚙んだ。

自分の失言が原因だということはわかっている。二人の関係はもう修繕不可能だということも。もはや自分にできることはただ一つ。

「アイツ、後期試験受かっているといいな……」

友であった彼の健闘を祈ることだけだった。もう試験自体は終わっているはず。あとは合格発表を待つだけだろう。

「たしかこの近くに神社あったよな」

鳥居と小さな本殿のみがあるこぢんまりとした神社。通学途中にあるのでよく知っている。そのときふとある考えが浮かんだ。

ところどころほつれた合格祈願のお守りを握りしめて少年は立ち上がる。

あの神社が何を司っているのかは知らないが、必死に願えば一つくらい聞いてくれるかもしれない。とにかくやらなければ気がすまなかった。

「どうかアイツにも桜が咲きますように」

駆けだしていく少年を木々は枝を揺らして見守っていた。
その枝の先にある固く閉じられたつぼみ。その先端がほんのわずかに色づいた。

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