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【小説】花より団子、月より兎 雑煮

以前書いた「花より団子、月より兎」の冬編です。全3編です。今回は土産と雑煮の話。

「あけましておめでとうございますカナコちゃん」
「うるさいわよしらたま」

 スパンと勢いよく窓を開けたのは月出身の白兎、しらたまである。ボール型の宇宙船をベランダの隅に置き、黒いビーズのような目を輝かせてしらたまは佳奈子を見上げた。

「ところでカナコちゃん」
「あー聞こえない聞こえない。ごめんねしらたま。私、この前突然耳悪くなっちゃって」

 耳を塞いで背を向ける。この後続く言葉はわかっているのだ。聞かなくとも予想できるし、聞きたくもない。

「カナコちゃんそれ絶対ウソですよね」
「本当になんにも聞こえなーい」

 足に白い塊がしがみついている気がするが気のせいだ。素知らぬふりして去ろうとすれば、ふいに重みが消えた。足音が離れていき、ベランダの戸を開ける音がする。つっと目を向けると、丸々した尻が銀色の球の中に消えていくところだった。
 拍子抜けしたが変なおねだりをされなかった分いいか。佳奈子が作業を再開しようと思ったそのとき。
 片足に重みが加わる。しかも先ほどよりも重い。足を上げるだけでもひと苦労だ。

「しらたまアンタねえ」

 いい加減にしなさいよと振り返った佳奈子は口を開けたまま固まった。足にしがみついているのは変わらないが、その背には何やら木製らしい箱が揺れている。木製らしいというのは何となく木の温かみが感じられないからだ。木で作られたと呼ぶにはやけに硬い輝きを放っている。

「やっとこっち見てくれましたねカナコちゃん。ひどいですよ、まったくもう。わざと僕のこと無視していたでしょう。わかるんですからね」

ふふんと鼻を鳴らすしらたまを佳奈子は無言で引きはがした。

「ちょ、ちょっと何するんですか」
「いやその背中のやつ何なのよ。不審物もって家に侵入しないでちょうだい」

 しらたまがむっと唇を突き出す。

「不審物とは失礼な! ちゃんとカナコちゃん用のお土産ですよ、お土産」「土産ぇ? なんか嫌な予感しかしないわね」

 佳奈子は訝しげな目で一歩下がった。しらたまはぶうぶう鳴きながら後ろ足で床を叩く。

「嫌な予感ってなんですか。別に変なものじゃないですよ。この時期ぴったりのものなんです」

 そうは言われても全く思いつかない。そもそも土産というからにはこの兎の故郷、月にまつわるものなのだろうが、如何せん月の兎が何を食べているかなんて普通のOLである佳奈子には皆目見当もつかない。第一興味もなかった。だがしらたまはそうではないようで、わくわくと佳奈子の答えを待っている。佳奈子は乱暴に頭をかいた。

「あーえっともしかして餅とか?」
「おおカナコちゃん正解です」

 しらたまが拍手するが、佳奈子は全く嬉しくなかった。餅を今さらもってきたところで既に戸棚には実家からの土産で満杯である。

「言っちゃ悪いんだけどしらたま」
「なんですか?」

 小首をかしげるしらたまは幼子のような印象を与える。佳奈子は心を鬼にして、重い口を開いた。

「あのね、その今、私ね実家からたくさん餅もっているからはるばる月からきてくれたのはありがたいんだけど……」
「ご心配なく! 月の餅はひと味違いますよ。ちゃんと地球人が食べられるような配慮もしてあります。しかも僕だけじゃなくて先輩も手伝ってくれたので味も保証しますよ」

 違う、そうじゃない。喉まででかかった言葉は、しかし胸を叩いて笑うしらたまの目と合った瞬間、ひっこんでしまった。

「はあ、ありがとう。いつもそのくらい気を遣ってほしいものね」
「うっ、そ、それはこれから気をつけます」

 途端に目を彷徨わせる兎にため息をつく。この兎のためにどれほど食費がかさんだことやら。思えば出会いからしてずいぶん寛大な処置をしてやったものだ。一か月ほど居候させてやり、その後もアポなしで突撃訪問し、さらに季節の食べ物をねだる兎に付き合ってやって。もっと感謝されてもいいのではないだろうか。

「まあとりあえず見てくださいよ。で、これいれてお雑煮食べましょう。あっカナコちゃん家のおせちでもいいですよ」
「本当にアンタって図々しいわね。そろそろ食費請求するわよ」

 佳奈子の眉が跳ね上がった。悪意がない分余計にたちが悪い。

「え、でもカナコちゃんも帰省するだろうと思って三が日は避けたんですよ? それによくこの国の民族は実家から大量のお土産もたされて帰るから、その片づけが大変なんだって習いましたよ」

 きょとんとするしらたまに眉間の皺が深くなる。眉間をもみながら佳奈子は苛ただし気に言った。

「あのねえ、アンタいつの時代の資料を学んだのよ。たしかに土産はくれたけど、子供がいる大家族とかならまだしも、一人暮らしの娘に対して消費に困るほど押しつけないわよ」

 それは両親もわかっているはずだ。日持ちする餅ならまだしも、残ったおせち料理など三が日もすぎれば傷んでしまう。よって今戸棚に収まっているのは餅とみかん、後は菓子類である。

「ええ!? 僕おせち料理楽しみにしていたのに」

 しらたまが飛び上がる。近所迷惑になるのであまり暴れないでほしいのだが、一体この兎は何回注意すれば直してくれるのだろうか。

「知らないわよ。大体なんで当然のように食べられると思っていたのよ」
「うう、じゃあ正月に突撃すればよかった……」
「正月じゃここに来ても誰もいないわよ。アンタ私の実家知らないでしょ?」
「知るわけないじゃないですか」

 むしろ知っていたならば大問題である。研究機関にこの宇宙兎を差し出すことを真剣に検討しなければならない。両親も腰を抜かしてしまうだろう。まさか成人した娘が地球外生命体を連れて帰省するなんて思いもよらないだろうから。
 うつむくしらたまの耳はすっかりへたっていた。乾燥しているはずなのに何故か自分の部屋だけが湿気を帯びているようでならない。

「わかった、わかったわよ。とりあえず今日はお雑煮だしてあげるから、それで我慢しなさい。今週末ちょっとした季節もの作ってあげるから」
「本当ですか?」

 ぴくりと長い耳が跳ねる。

「ええ本当よ。私が嘘をついたことがあった?」
「カナコちゃん!」

弾けるように飛んできた大きな毛玉を押しのけながら、佳奈子は袖を捲り上げた。


「へえこれがお雑煮ですか。具だくさんですね」

 湯気立つ椀には根菜と鶏肉、そして薄黄色みがかった丸い餅が透明な汁の上に浮いている。ちなみにしらたまの椀には鶏肉は入っていない。別に気にする必要はないと本人はのたまったが、こちらとしては年明け早々肉を食す兎を眺めたくはないのだ。

「そうよ。まあとは言ってもうち流だから家や地域によってはまた違ったものになるけどね」
「そういえば土地面積の割にずいぶん多様性のあるところでしたね」
「独自の文化があっておもしろいでしょ」

 たしかにとしらたまが頷く。
 大学時代、友人が餡子の入った甘い餅を雑煮の中に入れるのだと言ったときにはそれこそ天地がひっくり返るような衝撃を受けたものだ。それはもう和菓子である。それが汁物のポジションにいる雑煮と合うのか。全然合う気がしないが、彼女は意外とこれが白味噌の塩気と合うのだと力説していた。結局彼女の地元の雑煮を口にすることはなかったが、今でも気になっているものの一つである。
 この国はときどき本当に同じ国か首をひねりたくなるほど多様性に富んでいる。しらたまがいる月にもこのような違いはあるのだろうか。あの夜の海に浮かぶ小さな星でも、その裏側で兎たちがちょこちょこ走り回って、お正月の準備をしていれば微笑ましいものなのだけれど。

「どうしたんですカナコちゃん。急にぼーっとしちゃって。冷めちゃいますよ」
「そ、そうね」

 佳奈子はそっと椀に口をつけた。あっさりとしていて香り高いかつおだしベースの汁が喉をつたっていく。紅葉のようなニンジンが歯にあたって崩れていった。食べ慣れた家の味だ。そして真ん中に鎮座する餅に箸をのばす。椀がたまたま黒かったせいか、宵の月が椀の中に浮いているようだった。

「なんだかお月様を食べちゃうみたいでもったいないわね」

 さながら絵本の世界である。ふと小さい頃、息子に月をねだられて月まではしごを伸ばす父親の話を思い出した。たしか月が大きすぎたか何だかで結局月を持ち帰らなかったはずだが、結末が曖昧である。

「え、でもおいしいですよ? あっ、もちろんカナコちゃんが作ってくれたお雑煮もいいですけどね」

 一方、目の前の兎は容赦なく椀の月にかぶりついている。一瞬胸に冷たい風が吹き荒れたが、しらたまにとってはこれが普通なのだろう。しかし情緒がないものだ。深い息をついて佳奈子も餅を一口含む。

「え、なにこれ」

 甘い。しかし菓子のような甘さではない。ほんのりと甘いが、今まで食べたことのない甘さだ。食感はあまり変わらないのに何かが違う。餅なのに餅ではない。頭がおかしくなりそうだ。

「どうですカナコちゃん。僕がついた餅、なかなかいけませんか?」

 星屑が散ったような漆黒がこちらを見つめている。期待に満ちた輝きに、佳奈子は口をつぐんだ。

「カナコちゃん?」
「え、ああそうね。おいしいけど、うん、なんか食べたことなくて変な感じ」
「ああ、カナコちゃん食べたことないですもんね。よく噛むとよりおいしくなりますよ」

 しらたまは得心顔で頷いた。アドバイス通り、今度は意識して嚙んでみる。
 佳奈子は目を見開いた。なるほど、たしかに優しい甘みがゆっくり強くなっていく。だというのに、あっさりしたすまし汁と喧嘩しない。粘り気はこちらのものより強いようだ。違和感もだんだん薄れ、慣れてくればたしかに自慢できるほどの味だった。

「うん、アンタの言う通りね。おいしい」

 佳奈子の唇から感嘆の息が漏れた。

「そうでしょう! 本職は仕事が違うんですよ。なんたって先輩が手伝ってくれましたからね」
「それってアンタがすごいんじゃなくて先輩がすごいんじゃない? というかちゃんと座って。アンタが先輩好きなのはわかったから、まずは食べなさい。後でちゃんと聞いてあげるから」

 身を乗り出しして力説するしらたまの顔を押し戻す。しらたまは佳奈子の手に従い、大人しく着席した。

「ところでこれって何でできているの? まさかもち米ってわけじゃないでしょ」
「そうですねえ。でもカナコちゃんにいってもわからないと思うんですよね。僕らの常識とカナコちゃんの常識は違うじゃないですか」

 餅を引っ張りながら能天気にしらたまはのたまった。佳奈子は眉を跳ね上げる。

「はあ? アンタ人に説明できないものいれてくれたわけ? どう責任とるつもりよ」
「え、いや別に人体には影響ないものですよお。僕がカナコちゃんにそんなことするわけないじゃないですか」

 必死に身振り手振りで弁明するも佳奈子の眼差しは冷え切っている。

「どうだか。ろくに説明できない時点で信用も何もないわね」
「いやいやいやカナコちゃんと僕、今までの積み重ねがあるじゃないですか! 僕カナコちゃんを傷つけようとしたことなんて一度もありませんよ」
「でもアンタ今まで一銭も払わずただで飲み食いしていたでしょ。私の財布は十分傷ついているわよ」

 しらたまはうっと言葉を詰まらせる。

「そ、それはそうですけど、で、でも本当に安全なんです」

 涙目で見上げてくる兎にため息をついて、佳奈子は残りの汁をすすった。


「じゃあ今週末ね。忘れないでよ」
「はい! カナコちゃんもお元気で」

 銀の球体がふわりと浮き上がり、あっという間に空の彼方へと消えていく。

「やれやれ新年早々騒がしいわね」

 今年もドタバタうるさそう、と声は呆れていたが、その口元は緩く弧を描いていた。

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