見出し画像

【小説】花より団子、月より兎 かき氷

以前書いた「花より団子、月より兎」の夏編です。3編にわかれます。
OL佳奈子と月の兎しらたまがかき氷を食べる話。

「あっつっい! どうしてこんなに地球は暑いんですか!」
「知らないわよ。真夏に勝手にくるアンタが悪いんでしょ」

 外では蝉の大合唱。空は嫌味なくらいキレイな快晴。佳奈子は足元で駄々をこねる月の兎を冷たい目で見下ろしていた。

「カナコちゃん、せっかく月からはるばるやってきたのに、その言い方はひどくありませんか」
「私は一言も頼んでないわよ。だいたい地球の夏がどんなものか調べてこなかったの?」
「調べましたけど、こんなにひどいとは思わなかったんですー」

 後ろ足で床を叩く兎を無視して佳奈子は部屋のエアコンをつけた。冷風が最も当たる場所を陣取ろうとした兎を足先で追い払う。ぶうぶう鳴きながら、白い毛玉は体一個分だけずれた。

「で、アンタは何しにきたのよ、しらたま。また船を壊したわけじゃないんでしょ?」

 胸を張ってしらたまは答えた。

「決まっているじゃないですかカナコちゃん。僕はおいしいものを食べに来たんです! 地球のクオリティは高いんですよ」
「じゃ、胡瓜でも食べてなさい」
「ええーカナコちゃんひどいです。僕カナコちゃんと仲良いと思ったんですけど、カナコちゃんは友達にこんなことするんですかー」

 ひどーい、ひどーい。呪詛のように呟きながらしらたまは足元をぐるぐる回る。通常のカイウサギより大きな体は、それだけで嫌でも目について、衝動的に蹴飛ばしたくなる気持ちを抑えるのに苦労した。

「はいはいわかったわよ。何食べたいわけ?」

 待ってましたとばかりにしらたまがこちらを見上げた。長い耳がピンと伸び、真っ黒なビーズに星屑が散る。

「はい! 僕かき氷食べたいです」
「かき氷ぃ?」

片眉を上げた佳奈子にしらたまは深く頷く。

「はい。だって月では水なんてないんです。たしかに夜は地球よりも遥かに寒いですけど、寒すぎてわざわざ外出る気にならないし」
「でもアンタ、この姿で外出る気? まず間違いなく研究所行きじゃない」

 しゃべる上に宇宙船を操る月の兎なんて、目撃されたらそれこそ大ニュースだ。そして宇宙人、いやこの宇宙兎が二度日の目を見ることはないだろう。
 しらたまは失念していたとばかりに膝を打った。

「あっ、そういえばそうでした。姿を変化させるか、人間の意識干渉して異常と思わせない技術を開発してもらうよう開発部に言ってみようかな」
「何怖いこと言っているのよ。そもそももしそれが実現できるとしても一日二日でできるものでもないでしょ。それができるまで待つつもり?」
「そ、そうですね」

 佳奈子にばっさり切られ、しらたまは耳をひしゃげて俯いた。そのままよろよろと部屋の隅に移動し、大きな体を丸めて置物のように動かなくなった。ただし鼻をすする音だけは時折聞こえてくる。

「じゃあ諦めるしかないんですね……。食べたかったなあ、かき氷」

 部屋の湿気が急激に増したようだ。佳奈子は頭を乱暴に掻いた。

「あーもうわかったわよ! やればいいんでしょ、やれば」
「えっ、いいんですか?」

 しらたまがぱっと顔を上げた。先ほどの態度が噓のように駆け寄ってくる。佳奈子はため息交じりに答えた。

「でもすぐにはできないからね。早くても今週末よ」
「わかりました。今週末ですね。仕事終わらせて会いに行きます」
「当たり前でしょ。サボったら承知しないからね」
「もちろんですよ! あ、あと胡瓜ください」

 船をぶつけて、しばらく不時着先の人間の部屋に居候していた兎が何を言っているのだろうか。おまけに厚かましくもさらに要求を重ねてくる。佳奈子はこれ見よがしに嘆息し、冷蔵庫からスティック胡瓜と味噌を取り出した。

「ほら、これ食べたら帰りなさいよ」
「わーい、佳奈子ちゃんありがとうございます!」

 しらたまは鼻歌のような高い音を鳴らし、飛び跳ね回っている。まとわりつく毛玉を足先で軽くつついて、佳奈子は自分のサラダを取り出した。


「カナコちゃん、それなんですか?」

 しらたまが腰を掴みながら、台所に置いてあるものを覗きこもうとしていた。アーチ状の台座の横には巨大なハンドル。ポップな青色はくすみ、降り積もった年代を感じさせる。
 佳奈子はしらたまの手を引き剝がし、氷の入ったボウル、スーパーで買ってきたシロップを並べた。

「ねえ、カナコちゃん」
「決まっているでしょ。かき氷機よ。わざわざ実家からもって来たんだから感謝しなさい」
「えっ、これで作るんですか? なんかオンボロ、いえとても年季が入っていると思うんですけど」

 しらたまが目を見開く。佳奈子は寛大だったので後半の失礼な発言は聞き流し、淡々と作業を続けた。
 早くしなければ、氷が溶けてしまう。既に湿って艶やかに輝く氷を機械の中にセットした。

「そうよ。ちょっとうるさいからアンタ、耳気をつけなさいよ。あと近所迷惑になるからとっとと終わらせるからね」

 えっ、と目を丸くしたしらたまを横目に佳奈子は思い切りハンドルを回した。ガリガリガリとけたたましい音が響き渡る。隣から小さな悲鳴が聞こえた気がしたが、佳奈子は手を止めることなく、器に雪山を作った。

「カナコちゃん、なんなんですかこの音。僕鼓膜がすりつぶされるかと思いましたよ」
「しょうがないじゃない。アンタがかき氷食べたいって言ったんでしょ。この方法しかアンタがかき氷を食べる方法ないんだから我慢しなさい。ほらできたわよ」
「わっ、本当にかき氷だ!」

 しらたまが歓声を上げた。皿の上にはきらきら輝く粗い氷の粒。透き通った硝子の花が花開いた椀がより涼しさを誘う。

「シロップは二種類しかないけど、好きなの選びなさい」

 用意したのは、かき氷屋の看板を彩る赤と青。佳奈子が幼いころ、もっとも好んだ味である。

「これ、どういう味なんですか?」
「赤がイチゴ、青がブルーハワイ。アンタが選んでいる間にもう一つ作っちゃうから、音には気をつけなさいよ」
「えっ!? あのうるさいのもう一回あるんですか?」
「当たり前じゃない。私のがないでしょ。何? アンタ自分だけ作ってもらう気だったの? 図々しいにも程があるんじゃない?」
「うっ、それはそうですけど……」

 つぶらな瞳が左右に揺れる。佳奈子は嘆息を落とし、机からある器具を取り出した。

「はい、これでもつけておけばちょっとは防げるんじゃない? サイズが合えばだけど」

 佳奈子が持ってきたのはヘッドホン。人間用がどこまで効果あるのかわからないが、気休めくらいにはなるだろう。つけたのを確認し、佳奈子は再びハンドルを回す。盛大な音を立てて、手元の機械は局所的に雪を降らした。

「カナコちゃん、終わりました?」
「終わったわよ。ってアンタまだ味選んでなかったの?」
「カナコちゃんが終わるまで待っていたんです。二人で選んだほうが楽しいじゃないですか」

 至極当然の顔で言われ、佳奈子は目を瞬いた。咄嗟に返す言葉が出てこず、結局佳奈子は自分の器をもって着席するだけにとどめた。

「で、どっちにするの? 早く決めないと溶けるわよ」
「うーん、イチゴはわかるんですけど、ブルーハワイってどんな味なんですか?」
「えっ? えーっと……」

 突然尋ねられると返事に窮する。最後の記憶はもはや何年も前だ。ブルーハワイという響きが夏らしくて好きだったけれど、味の説明としては不十分である。字面だけではどんな味なのか予想もつかない。

「と、とりあえず、気になるのならアンタがそれかければいいんじゃない?」
「えーそれで微妙な味だったらイヤじゃないですかー」
「アンタ、変なところで慎重になるのね」

 鼻を突き出して抗議するしらたまに呆れが隠せない。それをなぜ仕事に生かせないのだろうか。未だに時々ドジをやらかす兎を半目で睨んだが、相手はどこ吹く風で赤いボトルを垂らした。白が赤に浸食されていく。色を反転させたら赤富士だななんて阿保みたいなことを考えたところで、佳奈子は渋々もう片方を手に取った。

「冷たい! しかもなかなか溶けないから冷たいのが続きますね」

 しらたまは一口含む度に飛び上がる。だがスプーンは止まらない。佳奈子もひと匙掬って口に運んだ。流行りの口当たりの軽い雲のような食感とは違い、昔ながらの粗大な粒だ。その代わり、すぐに溶けることなく、いつまでも氷の温度を舌に残す。安っぽくてシンプルなシロップは在りし日の夏を思い出す。

「カナコちゃん、はいどうぞ」

 突然眼前にイチゴ色の塊を差し出された。

「あらいいの?」
「はい、もちろんです。その代わりカナコちゃんのもひと口ください」

 スプーンごと口に入れれば、懐かしい甘さが広がる。甘いわねと返すと、満足そうに笑うものだから、佳奈子もしらたまにスプーン山盛りの南国の海をあげた。

「おお! ブルーハワイもなかなかいけますねえ」
「ねえ、知ってた? このシロップ、色と匂いが違うだけで味は同じなのよ」

 頬をとろけさせながら、一心不乱に食べているしらたまに有名な話を投げかける。瞬間、手が石のように固まった。

「え、そうなんですか?」
「そうよ。意外でしょ?」
「ええ、今カナコちゃんと僕同じ味のを食べているのに、全然違う味だって感動しているんですか? なんか変な感じです」
「頭って単純だから色と匂いで勝手に補完するそうよ。アンタも私も現在進行形で騙されているのね」

 母からこの話を聞かされたときには、詐欺にあった気分だったけれど、今思えば同じ味で違う味を体験できるのだから、お得な感じもする。
底には小さな湖ができ始めていた。この湖に氷を溶かしながら、すくって飲むのもまた乙なのだ。氷の僅かな存在感と冷え切ったシロップ水は最後の最後まで涼を与えてくれる。
 勢いよく食べる兎の舌は二色が混ざり紫色だ。舌だけが不健康そうな色をしていても本人だけは気づかない。見つめる佳奈子の口元は緩やかな弧を描いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?