【小説】不完全なワンダーランド(2)
「ずいぶんと浮かない顔してるのね」
切り株に腰掛け、足をぶらぶらさせながら目の前の少女が言う。黒髪黒目にネズミ色の長着、墨染めの帯。今日はまだ月明かりがあるから見えるが、こんな全身真っ黒じゃ真夜中の森に同化してしまうだろう。夢魔がそんなどうでもいいことを考えていたときの一言だった。
「俺が? まさか! いつも通りの俺だろ? ああ、それともからかいが足りなかったかい? そりゃ失礼、俺ともあろう者が気づかないなんて! お望み通りもっとおちょくってやろうか?」
ふざけて返したのに彼女は静かにこちらを見つめるだけ。普段ならムキになってすぐに言い返してくるというのに。
「気づいてないの? 表情は暗い、時折ため息をつく、物憂げに遠くをみる。ざっとあげてもこのくらいあるわ。いつもあなたとしゃべるのそんなに楽しくないけど、今日は一段と楽しくないわね」
「おいおい、長年の友人に対してそりゃないだろ」
「いや、あなたのこと友達だと思ったことなんて一度もないけど」
大げさに肩をすくめた夢魔を彼女は冷ややかな目つきで返した。
「ひどいな。傷つくだろ」
夢魔はおいおいと泣きまねをした。割と胸にグサッときたぞその言葉。
「で? 何があったの?」
「友人でもないのに悩み相談してくれるのかい? 優しいねえ」
「長年の知り合いだからね。お安くしといてあげる。それで?」
じいっとこちらを見つめる澄んだ黒曜石。話さない限り絶対に追求を止める気がないのがありありと伝わってくる。どうせここでまいても次あったときにさらにしつこく問い詰められる羽目になるだろう。
夢魔は深々とため息をついた。
「この前ある女と出会ったんだが、優しーい俺は暇つぶしに夢の世界を案内してあげたんだよ。」
「あなたが優しいわけないでしょ。大丈夫? 鏡みる?」
「あーはいはい。せっかく話してやっているんだから話の腰を折るな。で、ソイツが思ったより面白くてさ。まああれだ、珍しく気が合う奴がいたからちょっと感傷的になっているだけだ。これで満足か?」
ちらりと彼女の顔をみて後悔した。彼女は子を見守る母のような笑みを浮かべてこちらをみていたからだ。
「まさか人に興味ないあなたがそこまで入れ込むなんてねえ。どんな子なの? 会いにいかないの?」
「夢で会ってもどうせ忘れるだろ。ハイこれでこの話は終わり!」
「まだ質問に答えてもらってないわよ。どんな性格? どんな感じの子? それに夢での記憶を消さなければその子だってあなたのこと忘れないでしょ?」
本当にしつこいと内心で舌打ちする。悪夢であろうとなかろうと夢をみせた人間の記憶は必ず消す、それが俺のなかで決められた掟だって知っているくせに。
「俺たちみたいなのと人間が必要以上に関わったところでいいことなんざ一つもないだろう? ああ、お前は違うか。人間好きの変わり者だものなあ?」
「ええそうよ。でもだからこそあなただって一人くらい人間の友達を持ってもいいんじゃないかしら。人間もいいものよ? 気が合ったっていうことはその子あなたの正体を知っても忌み嫌わなかったんでしょ? 夢でも現実でも堂々と会いにいけばいいじゃない」
嫌味を言ってもまるできいていない。いい性格してるよコイツ。
「俺の信条を知ってていうのか?」
「ええ。そもそも割り切っているんだったら、そんなにうじうじ悩まないでしょ? 本当に会う気ないの?」
「会わないね」
「本気? 後悔するんじゃない? ほんっとうに会わなくていいの?」
「だから会う気はないって言っているだろ!? 夢で会うなら記憶が消える、現実で会うとしたら俺はどんな姿で会えばいい!? 本物の形などないこの俺が!」
あまりに引き下がらない少女に夢魔は思わず声を荒げた。
夢魔はどんな姿でもなれる代わりに自分特有の姿をもてない。所詮夢の住民は夢の中でしか行き場がないのだから。何者にもなれるようでいて何者でもないのが夢魔だった。
「夢の中でなった姿で会えばいいじゃない。例えば私と会うときはひらひらした緑の服にとんがり帽子でまるで欧州の童話に出てくる妖精みたいな格好でしょ。大きさは成人男性くらいだけど」
「記憶もないのにか? しかもアイツと会った姿ってこれだぜ?」
姿がぐにゃりと歪みピンクと紫の猫になる。ぐっと目線が下がって自然と少女を見上げる形になった。
「いいじゃないですか、可愛らしくなって。夢魔様の醜悪な中身が隠せますよ? ああ、でも口角を上げると性格の悪さがにじみ出ますね。笑顔は普通いい印象を与えるのに何ででしょうか?」
ふいに馬鹿にするような男の声が聞こえてきた。声の方に視線を向けるといつの間にか少女の後ろに影が立っている。
「相変わらず癪に障るその影なんとかならねえの?」
「私も直そうとしたんだけどねー無理だったー。っていうかいつ来たの?」
「気にいった女性のせいで骨抜きになってしまったとかいう明日世界が崩壊しそうなくらいおぞましい発言をしたところからですかね」
いつも平然と毒を吐くこの影は今日もキレッキレだ。
「それほとんどはじめからだろ! ったく影薄い奴だな。全く気づかなかった」
「影ですので。それでその女性のどんなところが気にいったのですか?」
「あっ、私もその子の詳細まったく聞いてなかった! 話してよ!」
しかもいらんことまで蒸し返してきた。
「全部話せと」
眉間に皺がより、苦々しい声が落ちる。
「ここまできたら一緒でしょ?」
「さっさと話してください。夢魔様が恥じらう姿なんてなんの需要もありませんし、待つ時間も無駄なので」
しかし彼らは全く気にする素振りもみせない。話を聞かせてもらう立場なのに言いたい放題だ。
が、このまま無視すればいつでもからかわれるだろう。夢の世界にずっと引きこもっていれば楽だろうが、夢魔は人外の中でもその特性上敬遠されやすい。このように気軽に話し合える奴らは貴重だった。
「はあ、わかったよ。アイツと会ったのは――」
そうして全て話し終わると二人は目を丸くしていた。いや影は目なんてないから雰囲気から読み取るしかないが。
「あなたとジェットコースター乗って遊べるなんてすごい子ね! 純粋でいいと思うよ。会いに行っても受け入れてくれるんじゃない?」
「まあ猫の姿とはいえ悪魔と遊園地を全力で楽しめるのは結構変人だとは思うけど。あんなヤツ初めてだったし」
なんだか気恥ずかしくなって目をそらす。
「そりゃ悪夢をみせてくる相手と仲良くなりたいとか思うんだったらもう精神やられてますよ、その人。で、もう会うつもりはありませんので?」
「ないね」
すげなく答えると彼女は頬を膨らませた。
「ええー意気地なしー。現実で会えばいいじゃない」
「しょうがないですよ。気になるその方と深く関わる勇気もなければ、夢の中だけの逢瀬で満足もできない弱虫悪魔なんですから」
「は? 呪ってやろうかクソ影」
「あいにく私は夢を見ませんので、あなたの毎晩悪夢をみせて精神を追い詰める陰湿な嫌がらせなんて効果ありませんよ」
この影、人をイラつかせる天才なんじゃないかと思う。すぐさま消えてほしい。
「もういいだろ、俺は帰る」
コイツらに相談した俺が馬鹿だったと吐き捨て、夢魔は姿を消した。
「相談してたんですか?」
「いや私が無理矢理相談までもってきたっていうほうが正しいかな。ところでどうしよっかなー?」
影は顔をしかめた。いや正確には顔をしかめたような雰囲気を少女が感じ取った。
「また面倒事に顔を突っ込むんですかあなた様は」
「だってせっかくあの夢魔に新しい友達ができるチャンスなんだよ? しかも人間の女の子! 応援したくなるじゃない」
「ですが、記憶もないのにどうやって会わせるんですか? 夢魔様も元々住処は夢の中なのですから捕まえること自体大変ですし」
「そこはこれから考えるの! それにいくら記憶を消しても心のどこかにその欠片は残っているもの。会えばきっと分かるわ、どんな姿でもね。まずはその子を探しましょ?」
ふっと大人びた笑みを浮かべる少女を見て影は深いため息をついた。
「仰せのままに」
うやうやしく一礼すると影は夜の闇に溶けていなくなる。
「さーて、ひねくれ者の知り合いのためにひと肌脱ごうかなー」
伸びをして切り株から立ち上がると少女も森の奥へと消えていった。
ぽつぽつと街灯が照らす道を着物姿の少女が歩いている。ジジジと時折点滅する街灯に蛾が集まっていた。ふと少女が街灯の光が途切れる一歩手前で足を止める。
「例の少女、見つかりましたよ」
目の前の暗闇からひょっこりと影が現れた。急に現れた影に驚きもせず、少女は口角を上げる。
「あら、ずいぶん早かったじゃない? 前から思っていたけど、あなた見つけるの早すぎてちょっと怖いくらいだわ。ストーカーとかになったら相当危険なタイプよね」
「あなた様が気をもんでいるかと思って頼まれたことを出来るだけ早く遂行してきたというのに、帰ってきたら罵倒とかふざけているんですか。全く仕え甲斐のない主をもって私は悲しいです」
よよよと泣く真似をしてみせる影。その様子を見て少女はクスクスと笑った。
「冗談よ、冗談。いつもありがとね。で、案内してもらえる?」
「そのために来たんじゃないですか。軽くその方のことも調べておきましたので道中説明させていただきます」
「はーい、よろしく!」
二人は夜の中へ溶けていった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?