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ハプスブルク家の歴代皇帝(19名)のまとめ

「ハプスブルク家」は長きにわたり欧州で皇帝の地位を独占し権威をふるったが、統治期間が長すぎて、皇帝がいつの誰で何をした人か全然覚えられない。そこで、ハプスブルク家出身の皇帝を整理するブログを書いておくことにした。
スタート地点は、神聖ローマ皇帝を血筋で独占することに成功したマクシミリアン1世から始めて、19名の歴代皇帝の特徴をメモる。
1508年から1918年までの410年間ぶん。
顔も載せておく。

ぼちぼち更新しながら運用するのではじめは情報少なめだけどアップ。(2020.01.03更新)

◆マクシミリアン1世 1508-1519(11年)

・フリードリヒ3世の息子
・婚姻政策に成功し、自らのブルゴーニュ王妃との結婚をきっかけにネーデルラント地方を領地に加え、息子と娘をスペイン領主と結婚させ、のちにスペイン領を管轄下におさめた。

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◆カール5世 1519-1556 (37年)

・マクシミリアン1世の孫
・スペインも手に入れ、ハプスブルク家の第一次ピーク
・宗教改革とプロテスタントの誕生
・ルターと対抗、ヴォルムス帝国議会召喚(1521)
・オーストリア系とスペイン系の分裂継承(1555)

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◆フェルディナント1世 1556-1564 (8年)

・カール5世の弟
・オーストリア系ハプスブルク家の創始
・イエズス会を創立、プロテスタントに対抗策

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◆マクシミリアン2世 1564-1576 (12年)

・フェルディナント1世の息子。
・プロテスタンティズムに惹かれていた
・ルネサンス後期

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【1600年代】

◆ルドルフ2世 1576-1612 (36年)

・マクシミリアン2世の息子。
・プラハに遷都
・精神失調もあり政情不安を招いたが、“芸術分野の庇護者”としては、ヨーロッパの歴史上一二を争う揺るぎない評価。
・現在、ウィーン美術史博物館にコレクションが残る。ブリューゲルやアルチンボルドが有名

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◆マティアス 1612-1619 (7年)

・ルドルフ2世の弟。
・ルドルフ2世に下克上し実権を掌握。その顛末は、有名な戯曲「ハプスブルク家の兄弟争い」に描かれた。

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◆フェルディナント2世 1619-1637 (18年)

・マクシミリアン2世の系列に男がいなくなったため、違うルートで継承
・カトリック原理主義者で、マクシミリアン2世・ルドルフ1世と容認的に接してきたプロテスタントを強く否定。
・その結果として、三十年戦争(1618-1648)が勃発

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◆フェルディナント3世 1637-1657 (20年)

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◆レオポルト1世 1658-1705 (47年)

・フェルディナント3世の息子
・ラスメニーナスのマルガリータ・テレサが妻
・見た目は、このライオネルリッチーみたいなライオン髪が特徴

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【1700年代】

◆ヨーゼフ1世 1705-1711 (6年)

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◆カール6世 1711-1740 (29年)

・ハプスブルク家の第二次ピーク
・有名なマリアテレジアの父親。息子が生まれず、女性であるマリアテレジアに皇帝の座を譲るよう画策する。

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◆マリアテレジア (生年1717-1780)

・カール6世の娘。
・ハプスブルク家に男系が断絶したことで欧州周辺各国がここぞと攻めたて、オーストリア継承戦争(1740-1745)が勃発するが、乗り切る
・下記の2枚の画像のうち、下の方が10代の時のマリアテレジアだが、か細くてすごくかわいい

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◆フランツ1世 1745-1765 (20年)

・マリアテレジアの夫。表の顔としては皇帝職に就きながら、実質の皇帝権力の判断権限はマリアテレジアにゆだね、陰ながら妻を支えた
・マリアテレジアとのあいだに16人の子を生み育てたが、マリアテレジアより先に死去

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◆ヨーゼフ2世 1765-1790 (25年)

・マリアテレジアの息子
・父のフランツ1世が亡くなった後、母親のマリアテレジアと二人三脚で統治
・ヨーゼフ主義、「民衆王」「人民皇帝」
・ヨーゼフ自ら選んだ墓碑銘は「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」
・見た目は「つるんっ」としている

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◆レオポルト2世 1790-1792 (2年)

・マリアテレジアの息子で、ヨーゼフ2世の弟
・帝位期間は短いが、トスカーナ大公在位は25年に及ぶ
・見た目は、兄と区別がつかないな

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◆フランツ2世 1792(-1806)-1835 (43年)

・レオポルト2世の息子
・フランス革命が本格化したときの皇帝。
・ナポレオン戦争で、神聖ローマ帝国は終焉させ(1806)、その後、オーストリア皇帝に。
・娘マリールイーズをなくなくナポレオンの妻に

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◆フェルディナント1世 1835-1848 (13年)

・フランツ2世の息子

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◆フランツヨーゼフ1世 1848-1916 (68年)

・フェルディナント1世の甥っ子
・甥っ子の皇太子フランツフェルディナント夫妻がサラエボ事件で暗殺。第一次世界大戦勃発
・オーストリアハンガリー二重帝国(1867-)

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◆カール1世 1916-1918 (2年)

・最後のオーストリア皇帝。第一次世界大戦に破れ亡命。オーストリア共和国が生まれる
・フランツ・ヨーゼフ1世が大伯父にあたる

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以上、
1918年に皇帝であるハプスブルク家は終焉。
このブログでスタート地点にしたマクシミリアン1世の在位開始1508年からでも、410年間もの長期政権である。

どんどん書き足していきます。(おわり)

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miyamoto maru
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