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夢は無理せず叶えたい。嫌な努力はしなくていい

夢って、叶えなきゃいけないと思ってた

でも、実はそんなことなかった。

楽しい気持ちで生きて、満足して眠りにつくような終わりに辿り着くことが人生のゴールだと思えば、夢って別に叶わなくてもいい。

何かを成し遂げたり、何かを残せたりできなかったとしても、まあ楽しかったからいいか、と思える最期であればいい。(私の場合は)


前に「何かを成し遂げたい」って書いちゃってるけど、これだってまあ、究極叶わなくてもいい。
叶ったらラッキー、ぐらいの気持ちで、めちゃくちゃそれに向けて努力したりはしない。

もっと正確に言えば、「めちゃくちゃ努力した」って自分が思わないぐらいの、楽しさの範囲内でできる努力しかしない。

私の人生、「めちゃくちゃ努力」ってやつはもうなくてもいいかも……と思ったのだ。


もともと苦しいことや辛いことが苦手で、何かしらの準備期間であってもできるだけ楽しくあってほしいなと思ってる。

それでももう少し若い頃は、多少の苦しさやしんどさが伴うほうがやりがいあるじゃん、と思うところもあった。


でも、ここ数年でそれもなくなった。


に「ミュージカル俳優になりたい」という思いの内訳について考えたところ、私はもうミュージカル俳優になりたいわけじゃなくて、ミュージカル大好き芸人でありたいだけなんだとわかった。

それに補足すると、ちょっと前に友人が大きな舞台に出演した。
上演当時なら、あらゆるミュージカル好きが「ああ、あの!」と合点がいくような、大規模の舞台。

つまり私の憧れていたところの「ミュージカル俳優」としての仕事。

それがもう、まったく羨ましくも悔しくもなかったのだ。

ただただ、「凄い!」「嬉しい」「素敵!」と思っただけ。


もう少し想像力を働かせると、たとえばその友人が(規模はどうであれ)めちゃくちゃ私の好きなタイプの作品の、私がやりたいと思うような役を素晴らしいハマりっぷりで演じていたら、それは羨ましいし悔しいだろうと思う。

でもそれは、友人がミュージカル俳優であることではなくて、「私の好きな作品で好きな役柄を楽しく演じていること」に対する羨ましさや悔しさ。

じゃあ、私は私の手が届く範囲で、好きな作品や役柄を選んで真似ごとしたり、実際に演じたりできる環境を作っていくほうが現実的だなと思う。
定期的に身内の前で余興を披露できるような機会を確保するとか、たとえばそういうこと。


本を出版したい、YouTubeやポッドキャストをやってみたい、クリエイティブな仕事がしたいという気持ちは確かにあるけど、それも無理して叶えようと努力したりはしない。

夢って無理せず叶えてもバチが当たったりしないんだなと、今更になって気づいた。


理想の人生、理想の一日の過ごし方について考えても、これって大半はお金がそんなになくても叶うことだなと思ったり。

絶対にお金がたくさん必要なのは、「好きなクリエイターさんのあしながおじさんになる」ことくらい?
それだって、自分のできる範囲で(SNSで作品への愛を叫ぶ、出版社に手紙を送る、作品を購入することでお金を落とすなど)できていれば満足。


「月収30万くらいほしい」って言ってたのも、自分の今までの生活水準でいえば、それくらいあれば好きなものを我慢せず買えて貯金もできて好きなこと(旅行など)ができそう、と思ったから。

月収30万なくても夢が叶うのならそれに越したことはないし、逆に言えば無理せず叶うのなら年収1000万円にもなってみたい。

お金は遊び友達くらいの距離感で、ベタベタしすぎず、でもずっと友情は変わらないよくらいのスタンスで付き合うのがよさそうだなと思った。


自分の人生が理想に近づいてきたのって、無理をしなくなって肩の力が抜けてきた頃からだったし、努力とも思わないような楽しい積み重ねが今に繋がっている。

もちろん、辛い努力の末に夢を叶える人も理想に近づける人もいるし、その努力は尊いものだと思う。

私の場合はそうじゃなかったというだけ。

ここ数年ずっとそうだったけど、今年も、できるだけいやなことはしないで、楽しく思える努力だけをしていこう。


夢は無理せず叶えたい。
嫌な努力はしなくていい。

↑ちょっと七五調で、語呂がいいなと思って決めたタイトル。笑

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