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オペラ「人道の桜」杉原千畝物語

終戦記念日です。忘れてはいけない8月。
リアルには知らないながらも、それでも
伝え聞いたきた祖父母たちの話は
次世代に語りたいと思う。

先週になるが、平塚市で行われた
オペラを観に行ってきた。

「杉原千畝物語」
皆さんもご存じのとおり「東洋の
シンドラー」とも呼ばれている
第2次世界大戦中に外務省の訓令に反して
ユダヤ民にビザを発給し続けた外交官。

その人の生き様をオペラにしたものが
「人道の桜」

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私は縁があって、岐阜県八百津町に
ある「杉原千畝記念館」を訪れ
隅々まで見学させてもらった事が
ある。
http://www.sugihara-museum.jp/

その時も「おお~!日本にも
こういう凄い人がいたのか!」と
いう驚きと感動があったのだが

オペラになっていることを知って
「これは、いい!」と思った。

実はコロナ禍で昨年の平塚公演は
延期。今年は市長様はじめ、ひらつか
リトアニア交流推進実行委員会の
皆様のご尽力なんだろう。

客席のキャパを半分にして、開催
してくれたので、ありがたい。

もうね、すごく良かった!
周りの人たちは私も含め、泣いて
いたし・・・。

すごいなぁと思ったのは、杉原さんは
戦後、苦労の末に日本に帰国するんだが
待っていたのは、外務省のクビ勧告。

それから、経済的な苦境にあいながら
28年。
恩義を受けた方のユダヤの人たちは
なんとか恩人を探し出したい一心で
日本に問い合わせをしていたそうだが
彼は「ちうね」は外国人には発音しにくい
との理由で「せんぽ」と名乗っていた為
外務省から「いない人扱い」。

それで、余計に時間がかかったらしいが
ついに消息を突き止めることに成功。

この平塚公演では、実際にそのユダヤの
人と杉原さんの対面に対応した人物が
舞台でその時の様子を演じられていた。

聞くところによると、平塚合唱団の
メンバーである彼女が偶然、この公演の
合唱メンバーに参加したことから発覚と
いう信じられない話だった。

リアルな歴史の生き証人が演じたという
遠い昔の話ではない物語。

今も、アフガニスタン、エチオピア、
香港をはじめ、自由を閉ざされている
人たちが大勢いる世界。

あの戦時中の状況下、しかも日独伊の
同盟がある中で「大したことをした
わけではない。当然のことをしただけ
です」と言える人がどの位いるだろう。

何が正しくて、どうすることが良いのか
人はいつも選択を突き付けられている
生き物だけど、日本でもこのコロナ禍の
中、分断は密かに進んでいるのかも
しれない。

子どもたちにこそ、知って欲しい
出来事であるし、伝えていくことに
意義があるよなぁと思う素晴らしい
公演だった。

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