いつも聴いていたのはラジオだった。

この記事は あなたの田村ゆかりはどこから? Advent Calendar 2022 19日目の記事です。

昨日18日の記事はごはんさんの「パワー!!!!」でした。
あの動画からファンになったという方、多いですよね。それくらいパワーが強く、たった数分で伝わるゆかりんの魅力も凄いです。

さて、今年もアドベントカレンダーの時期ですね。

今回のテーマは「あなたの田村ゆかりはどこから?」です。
これまでの皆さんの記事を読んでいても、流石に長い時間の中でいろんな出会いの形があるんだなと…初見のときの感想からしか得られない栄養がある…のでとてもとても楽しく読ませていただいています。

自分が田村ゆかりさんを知り、ファンになったきっかけを書いてみたいと思います。普段全然文章を書かない自分が、一年の中で唯一と言っていいぐらい真面目に文字を打つ季節です。多少の乱文はお許しください。

デザイン系の記事からフォローしてくださった方は、
何も学びはございませんので、ここいらでお引き返しください。


きっかけはラジオから。

私が田村ゆかりさんを知ったのはラジオからです。
2003年の春頃、当時中学3年生になる春休みだった私は「アリソン」という本をきっかけにライトノベルに出会い、それを知った友人から「電撃大賞」というラジオ番組を薦められました。
(「アリソン」は電撃文庫の出版するライトノベルです)

それまでラジオなんてほとんど聞いたことがない自分にとって「深夜にラジオを聴く」ことが、どこか大人になったような気分で、そこから一気に「アニラジ」にのめり込んでいきます。
そこで出会ったのが「ぴたぴたエンジェルA」「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」でした。

その頃の自分は、深夜アニメ ましてや「声優」という職業すらちゃんと理解しておらず、ゆかりんのことも最初は「ラジオパーソナリティという職業の人」とすら思っていた記憶があります。(これは完全に最初に聞いたラジオが電撃大賞だった影響もある)

その明るくて楽しげな声とトークは、これまで出会ったことがない魅力的なもので、それまでいわゆる「ザ・オタク」な文化に自覚的に触れてこなかった中学生だった自分は、当時受験勉強の時期だったこともあり、毎日のようにアニラジを聞き、一気にそっちの世界に傾倒していくことになります。

というわけで、私のゆかりんとの出会いは「2003年頃の春のアニラジ」…なんですが、実際この頃の自分はまだ明確に「ゆかりんのファン」というわけでは有りませんでした。当時はたくさんのアニラジを聞いていて「黒うさぎ」などもそのうちの1つという感じでしたし、歌などもいろんな声優さんのものを沢山聞いていました(新谷さんやら堀江さんやら水樹さんやら)

余談ですがG.Aだにょの後番組「エンジェルLOVE」が特に好きで、第一期OPテーマ「Wake me UP!」がめちゃめちゃ好きなので全人類聞いてください。この頃のブロッコリーソングはホント神憑ってて脳が破壊される。


高校のころ

アニラジと出会った受験期がすぎ、無事に高校に進学します。
自分はデザイン系の高校に通っていたんですけど、入学してみるとなんとなく思った感じではなくて、なかなかクラスにも馴染めず、最初の一年ぐらい休み時間とかはずっとMD(懐かしすぎる)に録音したアニラジを聞いて過ごしていました。

今はどうか知りませんが、約18年ぐらい前のの高校のデザイン科は勉強をしたくない生徒が来ることが多く、治安が良くなかった

当時1番好きだったのは「黒うさぎの小部屋」でした。
ゆかりんはもちろん、この頃からゆかりんを取り巻くラジオスタッフやKONAMIの社員さんら、「チームゆかり」の空気感が大好きでした。
それは色んな人が移り変わったであろう今も同じですし、あんな空気で仕事ができたら楽しいだろうな…とぼんやりと思っていました。

いつか、アニメやゲームの世界の仕事をする、こんな人たちと一緒に仕事をする。というのが将来の目標の一つになったのはこの頃だったと思います。そして、それがその後の人生の指針になっていますし、今の仕事(ゲーム会社)をしている大きな理由でもあります。
※そういう意味では他のレーベルじゃなく当時ゲーム会社であるKONAMIにゆかりんが所属していてくれたのは本当に奇跡

だから、この頃のラジオのテーマソングだった曲には特別な思い入れがありますね。特に今でも小部屋のテーマソングだった「空の向こう側に」が大好きです。
この頃から「田村ゆかりさんのファンだなー」と思い始めます。でもまだ曲を聞いたりCDを買ったりする程度でした。この時は他にも清水愛さんとかのCDも買ってましたね(針夢廃墟と発芽条件Mまじで名盤です)。


就活、そしてFCへ。

少し間があいて、今のような熱量で「田村ゆかり」にしっかりとハマりだしたのは就活の時期です。きっかけはやっぱり「ラジオ」です。

高校卒業後、デザイン系の専門学校に進んだ自分はめちゃめちゃ就活に苦戦していました。世はまさにリーマンショック時代、、、本来就職率がいい学校だったんですが、この年の就職率は激悪。自分だけではなく同期全員が死んだ顔をしていました。(不景気のときに二十歳の新卒デザイナーを取る余裕のあるデザイン会社なんてそうそうない)

このころはそんな不安に負けて一睡もできない日が続き、そんな現実から逃げるように、ゆかりんの楽曲やラジオばかりを聞いていた思い出があります。「このままだと自分の人生は終わってしまうんじゃないか」という不安にかられ、病みそうになる現実から逃げるために、頭を空っぽにして聞けるラジオのトークの世界に逃げていました。特に小部屋や喫茶は録音したものを何周聴いたか覚えてないくらいです。

なので、自分にとって田村ゆかりさんとあのころのラジオはまさに命の恩人に近い存在なんです。

初めてのライブ参加とFC入会

何とかゲーム会社に就職し、その年に初めてやっとライブに初参加しました。初めてのライブのことは実はよく覚えていません。一人で声優さんのライブに行く勇気が出ずに友人を誘って参加したこと、あまりの衝撃に衝動的にFC入会をしたことだけ覚えています。
当時の自分を振り返っても、まさか人生の中で「誰かのファンクラブに入る」なんて想像していませんでした。

余談ですがこの友人、何と冒頭にでてきた自分にラジオを薦めてくれた友人と同一人物です。何人か声をかけたうち偶然予定があった一人なんですが、こいつがいなければ自分はここまでゆかりんにハマっていないかもしれません…笑
5年くらい前から音信不通で誰に聞いても行方が分からないので、台湾出身のK.R君これ見てピンときたら連絡してください(笑)

初参戦はSCS大阪会場でした。

そして現在

振り返ってみるとやっぱりというか、一貫して「田村ゆかりのラジオ」が若い頃の自分を救ってくれていたと思います。もちろん楽曲やライブ映像なんかもですが、あの明るく振る舞う、誰も嫌な気持ちにならないラジオトークにたくさん助けられてきました。(ゆかりんだけじゃなく、コナミスタッフの皆さんや野原さんら編集部の方々、キングスタッフの皆さん、何よりラジオスタッフの皆様にです)

ゆかりんに出会わなかったら、今の会社にも入っていないでしょうし、こんなに頻繁に全国旅行することもなかったと思います。
人生で何か一つのコンテンツにこんなに熱狂することもなかったかもしれません。思春期の頃に出会ってから約18年ほど、自分の人生の半分以上に与えた影響は計り知れません。

そして、今では自分も作品を作る側に回っています。
忙しくてしんどいこともメチャメチャ多くて、ストレスもすごいんですが「自分が今までゆかりんにエネルギーをもらってきたように、世の中の誰かにいいコンテンツを届けたい。自分が携わったものが、少しでも誰かの救いになれたらいい」という気持ちでがんばれています。

それなりに多くの方に遊んでいただいているゲームなので、ちょっとは恩返しができていたらいいなー、なんて。……まあ自分のやっていることなんて、微々たるものなのかもしれませんが。苦笑

そして最後に、これからも頑張れるエネルギーをくれるゆかりんと出会えて本当に良かったです!
ここ数年は仕事の忙しさ極まって以前ほど頻繁にSNSで遊ぶことも無くなりましたが、まだ達成してない夢に向かって頑張っています。ライブ時期にたまに帰ってきて見る、変わらない王国民TLも大好きです。
(昔より平和になったような…みなさん一緒に年齢を重ねて落ち着いただけかもですが。笑)

テーマにあった内容が書けているのか、、、何となくまとまらない内容になってしまいましたが、思いきり自分語りができて満足しました。笑
このアドベントカレンダーを来年以降も色んな人が書いてくれると嬉しいと思います。

調子に乗って25日をおさえてしまった、ぷるおさんの「ゆかりっく Advent Calendar 2022」の方の記事もまだノープランなので今から考えます!笑



明日20日はぴけさんの「〜友人に誘われて王国へ〜」です。お楽しみに!

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