見出し画像

勇気ってなんなん?の、その後

勇気をもらう。勇気づけられた。よく聞く言葉でしょ。体感したことはありますか?
私はと言うと、そういう感覚になったことはかつてなかったです。自分とは違う世界のハナシみたいに思ってた。

似た経験としては頑張る、というのもあってね。
大学時代のたいそう優秀な友人が、頑張れと言われるたびに、まだやれってこと?って思うんだよね、といつになくキツイ口調で言ったのを聞いて驚いたことがあります。
私は頑張れって言われたことがあまりなかったし、他人に言ったこともなかったから、わからなかったんですよね(頑張るキャラじゃなかった)。
前向きそうな言葉だけど、言われ続けると反転するんだな、と思った。

余談だけど、その人はステキな細い目をしてまして。
仲良しだったし、なに考えてるかはだいたいわかるんだけど、表情はわかりにくいなと思ってました。たぶん目のせい。大きさじゃなくて目そのものの印象がそうだったんじゃないかな。ほんとに余談だけど。
根性のある人だと思っているけれど、頑張り屋さんだったかどうかは今もわからない。

話は戻って、勇気をもらう、ということについて。
勇気をもらったり勇気づけられることって、世の中にはえらいたくさんあるんやなぁと思ってました。私にはなくても、スポーツなんかでもよくコメントしてるしされてるし、ファンタジーの世界もそう。
なんていうか、そういうものなんだなと思ってた。
そんな縁遠い印象の『勇気』について、最初にあれ?と思ったのは、甥っ子が小学校の運動会で一位をとったとき。かけっこで一位になりたい、というのが彼の希望で、一位になる、と宣言して一位になった。
彼はルール通りにやるのが苦手なタイプなので、前の日はちゃんとゴールまでまっすぐちゃんと走れるかな、と緊張して寝付けなかったというのを後で聞いて、すごいやつだな、と思ったのを覚えてる。

たかが小学校のかけっこよ。厳密な競争でもない。それでもやる気と自信と具体的な希望があって、それを宣言して叶えるというのはすごいなと思ったのね。そもそも私は一位になったことがないので。
でもこの時は、やるな、すごいな、うらやましいな、という気持ちが強かった。ええなー、私もやろ、と思ったけれど、それが勇気をもらったという表現にはつながらなくてね。後押しはされたんだけど。
ちなみにこの甥っ子は足のケガの後、リハビリが嫌でもう歩けないかも・・と言い始めた祖母の前で軽やかに走ってみせた結果、翌日の朝、祖母がスタスタ歩いてリビングにきてみんなを呆れさせた(祖母は気が強くて、甥っ子に負けたくなかった、と後に告白した)ことがある。

そんな私に今朝、あれ、いま私に勇気のタネが芽生えたぞ、と感じた出来事がありました。
実は昨日から、いま不安( 一一)という気持ちを感じたままフリーズしてたんですよね、私。いつもなら、
不安?なにが不安?どー不安?なんで不安?不安ならこーすればいいんじゃない、これもできるし、あれもやれる、どこまでやれば不安じゃないの?なにをやったら不安じゃなくなる?
みたいなことを、不安かも?!と思った瞬間に自分総動員でやっていく。
でも今回はやらなかったのね。いつもの『どーしよー!』じゃなくてじわじわ浮かんでくる『怖いな』という気持ちを怖いなと思いながら抱えてた。
そのまま起きて、いつもの朝のルーティーンやって朝ドラ聴いてたらふと思ったの。
勇気ってこういうことか、と。
感覚としては勇気をもらった、というよりは勇気を付けた、という感じ。
勇気って自然共有するもので、育てて同化させていくものなのね。今日、知りました。

動きには緩急というのがあって、動きを生かすためには静止する瞬間(余白)がすごく大事だと思っているんだけど、おそれや不安や恥ずかしさのようなものって、私のように勢いで流していくことはいくらもできる。対処することを目的に動き始めたらフフって感じで誤魔化せちゃう。
でも今はそれをやらない。その空白と向き合ってみる、という選択肢だって当然あって。
その中に勇気があるんだな、と今朝はそう思いました。

で、私の不安。
これから動きます。対処することを目的に、ではなく、勇気をもって向かう、というのをやる感じですかね。やることはさして変わらないと思うけど、意識は確実に違います。

ということで、始まる月曜日。みなさま、素敵な一週間を!

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?