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オーディオ&ビジュアル徒然草 #3 NS-2000A

ヤマハ NS-2000Aの目指した音についての個人的な感想

NS-2000A

2月に発売されたヤマハの「NS-2000A」。トールボーイ型の3ウェイスピーカーだ。フラッグシップモデルであるNS-5000の技術を受け継ぎ、振動板はザイロンを使用した新開発の「ハーモニアスダイヤフラム」を全ユニットに採用し、すべての帯域での音色の統一を図っている。と、詳しい製品の紹介やインプレッションは、ヤマハのWeb音遊人で書かせていただいているので、そちらを参照してほしい。
https://jp.yamaha.com/sp/myujin/63551.html

NS-2000Aの面白いところは、NS-5000やNS-3000のような本格的なHiFi志向の音ではなく、リビングルームで気持ち良く音楽を楽しめる音を目指していること。はっきりとコンセプトが異なる。もちろん音もかなり印象が違う。NS-5000の研ぎ澄まされたような鋭い音と高解像度な表現とは真逆と言ってもいい柔らかな感触の音だ。だが、これが実に楽しい。音楽の持ち味を活かしてくれるような鳴り方をする。

高解像度で情報量の豊かな音の表現は、現代の高級オーディオ機器のひとつのトレンドと言ってもいいと思う。そのトレンドからは大きく逸脱した音で、NS-5000の音に痺れた自分としても初めて聴いたときは少し戸惑った。ところが、試聴をしていくうちに、次々にいろいろな曲を聴くのが楽しくなるというか、音楽を楽しんでいる自分に気付いて、「これはもしかすると今までとはちょっと違う面白い音なのかも」と考えるようになった。そのあたりを徒然なるままに書いていくのが、ここでの主旨だ。興味のない人には面白くもなんともない昔語りもあるし、無意味に長いので、目次なども参考にして適当に読み飛ばしてほしい。

高解像度な音に対する過去のトラウマ

自分は今でもいわゆる高解像度な音により魅力を感じるが、実は高解像度な音は苦手だ。矛盾しているようにも思うが、オーディオ誌の編集者時代、そういう機器を凄いと感じ、実際に当時の自分にとっては見合わないスピーカーを手に入れて大失敗した経験があるからだ。ダイヤトーンのDS-A1というスピーカーを実家の8畳間に押し込んで、あまり音量も出せずに鳴らしていたが、アンプ(アンプの名誉のために特に名は秘す)が非力で鳴らし切ることができず、オーディオを聴くのが嫌になってしまったのだ。

嫌になってしまった理由は、徹夜続きの仕事が続いて、たまの休日に音楽を聴くと仕事を思い出してしまうから。DS-A1はきちんと鳴らせば素晴らしい音が楽しめるスピーカーだし、HiFi(高忠実度)であると同時に音楽性も豊かだ。だが、疲れを癒すために音楽を聴いているはずなのに、音楽と真っ正面から向き合うことを強制されるというか、緊張を強いられるのでまったくリラックスできない。音楽が楽しくないのだ。スピーカーを鳴らし切れていないから、余計なことが気になってしまって音楽に集中できないし、セッティングをやり直しはじめるとまるで仕事をしているのと変わらない。

で、オーディオ機器を一度すべて処分した。実家を離れて独りでアパート暮らしをはじめたこともきっかけだったが、そのときは本当に「もうオーディオはいいや」という気分でもあった。まあ、それで手に入れたのがヤマハのお手軽なホームシアターセット(フロント3chが一体型のサウンドバーで、有線で小さなリアスピーカーをつなぐ5.1chセット)で、「俺はこれからAVの人になるぞ!」と意気込んだわけだが、あまりの音の悪さにがっかりして1週間後にはデノンのAVC-A1SE(当時の最上位機)に買い換えているわけだから、やっぱり人間あまり変わらないものだ。

さておき、以後ずっとAVアンプを使い続けてきた。久しぶりにベンチマークのHPA4とAHB2というセパレートアンプを手に入れて、純粋なステレオ再生環境も構築したのはほんの数年前のことだ。それくらい、趣味としては本格的なハイエンドオーディオから遠ざかっていた。LD、DVD時代のロッシーな5.1chからBDでサラウンド音声もロスレスになり、AVアンプも音質はずいぶんと良くなってきたので実用上は問題なかったし、そのときそのときで自分が一番良いと感じた製品を使ってきたのだから満足度も高い。仕事で映画を見て、AV機器のテストをして、家に帰って疲れを癒すために自宅の試聴室でまた映画を見る。ヒマができたら映画館に行って、帰ってきたら家でもまた映画を見る。昔は嫌で嫌で仕方がなかったのに、今は仕事と趣味がひとつに融合してしまっている。映画を音楽に置きかえても同じだが、それが理想のオーディオでありAVであると思っている。

だから自分の家で使う趣味のオーディオやAVは、リラックスするため、楽しく映画や音楽を見るためのものと思ってはいる。自分が凄いと感じた製品を手に入れてしまうのは変わらないから、どちらかというと高解像度とか情報量の多い機器を選びがちではあるが、過去のトラウマのせいもあって、高解像度とか純度が高い「だけ」の音は、ちょっと待てよと警戒してしまう。これは映像機器でも同じだ。

高解像度な音の魅力

NS-5000が発表された頃。ヤマハの人にこのドライバーを使って、トールボーイ型スピーカーを作ってほしいと言ったことがある。NS-5000でサラウンドをやってみたいと無想したこともある。厳しいところもあるが、しっかりと使いこなしてやれば、さぞかしキレ味のよい映画の音を楽しめることだろう。だが、やっぱり少し躊躇する。年もとってきたので、NS-5000とがっぷり四つで組み合って、一日中映画を見る体力があるだろうか、と。

自分が高解像度な音を本質的に好む理由は、オーディオを本格的に聴き始めた頃の聴き慣れていたはずの曲からまだ聴いたことのない音に気付いたときの喜びというか驚きが原体験としてあるからだと思う。これはオーディオ的な喜びのひとつだと思うが、あまりに厳しい音は疲れる。それで映画や音楽がつまらないと感じてしまうのはもう嫌だ。

もはや大昔の概念かもしれないが、30年前の自分が若い頃は現代的なハイエンドの潮流の一方で、オーソドックスというか音楽寄りの傾向の音のことを「グッド・リプロダクション」と呼んでいた。どちらかというとHiFi(原音忠実再生)との対義語と言えるかもしれない。忠実度はそれほど優秀ではないし、機器の色づけもある、しかし音楽を鳴らすと素晴らしい。歌声が素敵なものとか、アコースティック楽器の音色が生々しいとか、トランペットを鳴らしたら絶品というような、個性の強いスピーカーが多かったように思う。

今は、オーディオ機器の測定・解析技術も飛躍的に向上し、さまざまな素材を加工することもできる。科学の進歩万歳だ。高解像度な音が好まれる傾向もあって、どちらかというと強烈な音色の個性を主張するよりも、原音忠実再生寄りの透明度の高い音のスピーカーが増えてきていると思う。現代スピーカーに個性がないかというとそんなことはないのだが、あまりに個性的な、あるいは主張の強い音は敬遠される傾向はあると思う。

日本のオーディオメーカーは昔からその傾向があって、性能や特性は優秀だが音が面白くないなどと評価されるものも多かった。特にスピーカーメーカーに注目すると今はあまり元気が無い。これはスピーカーどころかオーディオ全体どころか、バイクや車でもそうだと思うが、今も生き残っているブランドやメーカーは、アクが強いというか、個性的なところが多いのは本当に興味深いところだ。どこも現代的な音の好みには寄り添っているが、自分たちの求める音がしっかりとあって、その軸がブレていない。そんな現代に今もスピーカーをきちんとラインアップしている(しかも基本的にユニットまで自社生産している)ヤマハからNS-2000Aのような個性的と言っていいスピーカーが登場したのも実に面白い。

NS-2000Aの面白さと可能性

NS-5000のトールボーイ仕様だ! と期待に胸を膨らませて臨んだ初めてのNS-2000Aの試聴では、あまりの違いに驚いた。キツい言い方をするならば、ぼやけているとか眠たい音と評する人も居るかもしれない。しかし、解像度が低いかというとそんなことはないのが面白いところだ。映像で言うとわかりやすいと思うので言い換えてみると、いわゆる輪郭の強調感がまったくないだけで、ディテールなどはしっかりと出ているのだ。DVDが象徴的だが、現代的な視点から見れば低解像度の映像をくっきりと見せるためにオーバーシュートなどをかけて輪郭強調を行うのだが、オブジェクトのりんかくにふちどりのようなライン(疑似輪郭)が生じる。これはハイビジョン、4Kと高解像度化が進むにしたがって、輪郭の強調感はほとんど感じられなくなった。そうとは感じさせないエンハンス(ディテールの強調)技術も進歩していることも理由だが。実際、現実に輪郭を強調する線など生じていないわけで、広義のノイズと言っていい。

NS-2000Aの音もそういう生演奏を聴くときに近い感触があると思う。現代のスピーカーで音場型と音像型という区分けはあまり意味がないが、その意味でもNS-2000Aは音像型のようで音場型というおかしな言い方をしたくなる。音像は分厚い。そこに居るような実体感のある音像定位だ。ボーカルの存在感と力強い音の出方、ニュアンスに富んだ声の質感も見事だ。バックの演奏は粒立ちがやや甘くなるが、そのぶんハーモニーが美しく響く。これはコンサートホールなどでの協奏曲を聴いている感じに近いステージ感だ。ホールの響きの豊かな再現や高さを感じるような空間表現の巧みさも含めて音場型と言いたくなってくる。

ライブ収録の音楽ソフトを映像で見て、オーケストラの奥のやや右寄りにティンパニが居る(のが見える)。だから音場もその位置に粒立ちよく定位しなければいけない。それがぼやけて奥の方で所在なく鳴っているというのは解像度が低い、ぼやけた音だ。と言ってしまいたくなるのが現代的なオーディオの傾向ではある。楽譜(総譜)を追いながら、まるで指揮者のように「はいそこでトランペットが高らかに歌う!」とかやるのは楽しい(本気でやると疲れるが)。

だが、もっと自然に音楽を楽しみたいという人もいるだろう。リラックスしたムードで、それこそ読書でもしながら、美味しいお酒でも飲みながら、良い音に浸りたい人は少なくないだろう。そんなBGMがわりに鳴らしていたはずが、気付いたら夢中で音楽を聴き入っていた。そんな音が自分は理想のオーディオのひとつだと思う。

NS-2000Aのある意味で「ゆるい」音楽の鳴り方はリラックスして聴きたい人には最適だ。なんならそのまま眠ってしまえば本当に気持ち良い。だが、ちょっと音楽に集中すると、スポットライトを浴びたボーカルの存在感と、伴奏に徹するバックバンドとの絶妙な対比が、ケンカでもしてるみたいにバチバチにフレーズをやりとりするピアノトリオの緊迫感が、生のステージで、あるいはスタジオで録音エンジニアやアーティストたちが仕上げたそのままのバランスが目の前に再現されている。演奏者の技量、録音の妙、ホールの広さや響き、そういうものがきちんとわかる情報量が備わっていることがわかる。だから、BGM的にも聴けて、本気で聴き込んでも満足できる音なのだ。

そういう意味でNS-2000Aの音は本当に面白い。映画のマルチチャンネル再生も面白い音が楽しめるのではないかと思っている。NS-5000のような本格的なHiFiを志向した音ではないが、じっくりと聴くような聴き方をしても物足りないと感じることはない。原音忠実再生とグッド・リプロダクションの絶妙なバランスの上手さがある。個人的には、突き抜けた原音忠実再生も素晴らしいが、こうした塩梅が絶妙に美味いスピーカーにも魅力を感じる。こういうスピーカーが増えてくるとオーディオはますます面白くなってくると思う。


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