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誰でもできるホームシアター入門 #5

第5話 「天気の子」の結末についての考察。あるいは新海誠作品の魅力とは。

登場人物
A美:映画好きな主人公。自宅で楽しめるホームシアターに憧れている。
B子:A美の友人でアニメオタク。ホームシアター好きというわけではないが映画館にはよく行く。
X氏:ほどほどに著名なAVライター。変人。
Z氏:X氏がいつもいる喫茶店の店主。詳細不明。

いつものとある喫茶店。

B子:「天気の子」を見たよ。
X氏:なぜ「天気の子」の話なんだ。今なら「すずめの戸締まり」じゃないのか?
B子:もちろん「すずめの戸締まり」も見た。「天気の子」は劇場でも見たけど地デジで放送してたからまた見たの。でも、やっぱり結末が納得いかない。
A美:すみません。私はまだ「すずめの戸締まり」は見ていないので、ネタバレは控えめに・・・。
X氏:「天気の子」の結末ねえ。恋人と世界のどっちを取るかの話で、恋人をとっただけの話じゃないか。ああいう結末は若い人の方が共感するかと思ったがね。
B子:そんなことないよ。世界よりも恋人が大事ってのはいいけど、世界を犠牲にしてもいいとは言いにくい。
X氏:では恋人を犠牲にしろ、と。
B子:そうじゃない。そうじゃないけど、すっきりしない。
X氏:私見だが、新海誠の真骨頂は、そこだろ。映画を見終わった後、すっきりしない気分で映画館から出るのが彼の作品の味わいだよ。「すずめの戸締まり」は見終わった後気分がすっきりしちゃうから、そこが不満だ。
B子:ひねくれてるよ。歪んでるよ。
X氏:もう直らないから仕方がない。見終わった後ですっきりしちゃって、いまいち印象に残らないことってあるだろう。拍手喝采の大満足ですっきりと終わって、それでなおいつまでも記憶にも残る作品ってそんなに多くない。ひどいオチでも強く印象に残る、今風に言えば「刺さる」作品の方が最近は多い気がするしね。
B子:そうなんだけど。マニアに受ける作品ならありだけど、大ヒット映画だよ。
X氏:個人制作がスタート地点だっとことを今さら言っても仕方がないが、彼はもともと少数のマニアに熱狂的に支持されるタイプの作家だよ。
B子:でも、「君の名は。」で大ヒットして、次の「天気の子」も大ヒットを期待されて作った作品でしょ。それでああいう結末にする?
X氏:そこが新海誠の素晴らしいところだよ。
B子:わかんねえ。大ファンなのか、けなしているのかもわかんねえ。
X氏:たくさんの人が見に来る映画だからさ、たくさんの人に考えて欲しかったんじゃないのかな。
B子:何を? 世界と恋人のどっちをとるか。あなたならどうするって?
X氏:そういう思考実験もあるだろうけど。あるいはどういう結末になればすっきり終わったのかを考えるとか。
B子:どっちをとっても幸せになれない2択じゃん。
X氏:最後の選択の段階ではね。主人公の少年は物語の冒頭ですでに間違えてるから、どっちにしてもすっきりしない終わり方になる。
B子:どいういうこと?
X氏:気付いていないかな。あの物語、主人公たちにとって、頼りになる大人がほとんど出てこないんだよ。編プロのおっさんは、世間的にみたら頼れる大人、立派な大人とは言いがたい。警察はただの物語上での障害でしかないし、ヤクザなんかもそう。総じて大人は誰もが自分の役割を果たすだけで、あるいはそれで精一杯で、子供たちや若い人の味方をするどころか否定して、社会の枠に押し込もうとしている。そういう役割の人しかない。
B子:言われてみればそうだけど、それが何の関係があんの?
X氏:ジュヴナイルにおいて、頼りになる大人の象徴は、親と教師だ。主人公には親がいるし、学校にも通ってた。ヒロインは親を亡くしてしまったけれど、それまでは学校に通っていた。弟は現在進行形で学教に通ってる。にも関わらず、誰も親や教師を頼らない。現代ではこれが普通なのかな。
A美:ニュースなどで話題になることも多い、子供を放任する親とか、生徒と向き合わない教師とかを批判しているってことですか。
B子:うちの親も高校の頃の担任も、うるさいことばかり言ってたけど、出番がないとか役立たずってことはないかな。
X氏:親や教師を批判する視点はあると思うけど、そこは重要じゃない。それ以上に主人公たちが親とか教師、大人の力を借りようとしなかったのが一番の間違いだよ。今はそういう時代なんだとすれば、必然的にああいう結末になる。それが作り手のメッセージなのかもしれない。
A美:理由があるかもしれないけれど物語では明言されず、なんとなく家出して東京に出てきたのが始まりでしたっけ?
X氏:そう、なんで家出する前に親と向き合わなかったのかね。教師に相談しなかったのかね。
B子:頼りにならないから? 相談してもわかってもらえないから?
X氏:もしも、あなただけでなく、今の若い人の多くがそう思っているのなら、主人公の行動に疑問を持たずに共感していたなら、親とか教師、すべての大人はいろいろと反省した方がいいね。
B子:すべてがそうだとは言わないけれど、頼りになる大人、立派な大人って身の回りにあまりいないよね。
X氏:本当にいないのかもしれないし、最初から大人をそのようにみなしていれば、大人だって親身にその子を気にかけないよね。どうしようもない大人の代表例だった編プロのおっさんは、なんだかんだで主人公を見ていたし、その子を気にかけていたから、最後の最後で枠を打ち破ることができた。
B子:主人公と大人たち、どっちが悪いのかって問題?
X氏:そうじゃなくて、主人公たちと大人の分断が問題。物語を見た人があるべき結末を考えるのは自由だけど、それをしても映画の内容が変わるわけじゃない。大事なのは見終わった後じゃないかな。
B子:よくわからない。
X氏:たとえば、親子で「天気の子」を見て、学校で教師が生徒に「天気の子」を見せて、子供や生徒がB子のような感想を述べたら、こう言えばいい。「主人公たちは頼りになる大人が周囲にいなかった。親とか教師を頼ることをまったく考えていなかった。それが大きな間違いで、ああいう結末になった。でも、君たちには私がいる。困ったことや悩んでいることがあったら、どんなことでもいいから相談してくれ。力になる。それが大人の役割だ」とね。

B子、やけくそ気味に苦笑する。

B子:いい話だ! 文部省推薦映画だ!
X氏:だろ? 親子で、学校のみんなで一緒に楽しみたい、大ヒット映画の極みだよ。
B子:そんなカッコイイ親とか教師とかいねえし。いたらいたでキモい。
X氏:だろうな。そういう時代なんだろうな。ま、僕たち大人にとっては楽でいいがね。

B子、憤懣やるかたないさまで、クリームソーダを注文する。
Z氏、まるで予想していたかのように、瞬時にクリームソーダをふたつテーブルに置く。ショートケーキもセットだ。

X氏:こういうのが現代のカッコイイ大人なのかもな。出来が良すぎてキモいけどね。僕はアイスティーお代わり。
Z氏:X氏はセルフサービスでどうぞ。

X氏、忌々しげにカウンターの裏に回り、アイスティーを自分で注ぐ。

B子はすっかり機嫌を良くして、クリームソーダとショートケーキに夢中。
A美はなんとなく硬直した空気をほぐそうと口を開く。

A美:もしもあの映画に頼りになる大人がいたら、結末は変わっていたんでしょうか。
X氏:そういう大人がいた。あるいは主人公たちが大人を頼っていたら、ありうるね。
B子:世界と恋人のどっちをとるかの話なんて、相談しても解決できないじゃん。結局2択だし。
X氏:いや、そんなことはない。大人には大人のやり方がある。
B子:それは何?
X氏:交渉だよ。

B子、不快なもの、嫌なものを見た時のような顔で反駁する。

A美:それって、天気の神様にお願いするってことですか?
B子:そんなの駄目に決まってんじゃん。ファンタジー作品だからって何でもありじゃ、さめる!
X氏:ファンタジーじゃなくて、現実でも行われていることなんだけどね。
A美:神様をおまつりするってことか。
X氏:理解が早くて助かる。大昔は干ばつで雨が降ってほしいとき、生け贄を捧げたりしてお願いしてた。そのための巫女もいたね。やがて、生け贄は人や命ではなく祈りや物を捧げる祭りのような儀式になって、生け贄はなくなった。巫女もそのすべてを捧げるのではなく、祭事を行う役割になった。これって、人が神様に交渉して許可を得た結果じゃない?
B子:神様、助けてください! で奇跡が起こったら、それまでの話が台無しじゃん。
X氏:うん、台無しだね。だから「天気の子」ではそういう話にならなかった。そのためにも主人公たちは大人の力を頼らずに無力な自分と偏った知識だけで現実に向き合って、不幸な2択を選ぶことになった。そういうお話だね。一方、「すずめの戸締まり」では、最後の最後まで諦めずに行動したよね。物語にとって必要だったかそうでないかの違いだ。
A美:B子が納得いかないのはわかるけど。あくまでの人間の巫女役として、天気神社をきれいにして、定期的におまつりをします。天気の神様にお祈りします。とか、生け贄の代わりの交換条件を出す。神様がそれで許可をしたら、東京の雨も上がって、ヒロインは巫女の役割を代々続けることになるとしても人間としては生きていられるかもしれない。
X氏:そうそう。大人の知恵を借りればそういう選択肢もあったと思うよ。天気神社の人とか、うさんくさい占い師でもいい。そういう知恵を主人公たちに授けてくれる人は出ていた。頼らなかったのは主人公たちだ。
B子:その通りだし、めでたしめでたしで終わる感じかもだけど、これはこれで納得がいかない。大人がかっこよすぎる。
X氏:だから、「天気の子」では採用されなかった。良くも悪くも純粋無垢な少年少女の物語、そういう話だった。だから、大人の出番がない。
B子:うーん。それこそ大人にうまく言いくるめられた感じがする。
X氏:これはあくまで僕の個人的な考察でしかない。まあ、いいじゃないか。そうやって見るたびにあれこれ考えたり、誰かと話ができるというのは良い作品が持つ大きな価値だ。大ヒットしなければ、こういう大事な話をする機会も考える機会もなかった。末永く語り継いでいきたいね。

B子、まだ納得のいかない表情で、残ったショートケーキを口に放り込む。

A美:思ったよりも実のある話でしたけど、私にとって新海誠監督の作品は映像の美しさが大きな魅力でした。見たことのある景色をリアルに描いているのだけれど、アニメならではの色彩が豊かで現実のようで現実とは違うリアリティーがあります。
X氏:そうだね。あの色彩感覚は素晴らしい。あの映像があれば、話なんか夢オチでもバッドエンドでもどうでもいいんだよ。
B子:それはさすがに暴言だろ。
A美:それで思ったんですが、映画館の時の色を正確に覚えているわけじゃないですけど、動画配信をスマホで見たときと、地デジ放送をテレビで見たときとで、微妙に色が違うような気がしたんですけど。
X氏:なかなか鋭いね。その通り、違っているよ。特にテレビの色は色温度が違っている可能性が高い。
B子:色温度? 色に温度ってあるの? 赤は温かくて青は冷たいの?
X氏:そういう共感覚みたいなものとは違う。色温度が高くなると色彩は青みをおびる。
B子:感覚と逆じゃん。
X氏:だから共感覚とは違うって。映画館のスクリーン、スマホやタブレット、薄型テレビで、色はいろいろ違うんだよ。

第5話 了


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