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さすがに紀行文を書く前編

さすがに紀行文を書かなければならない、そう思えるぐらい最高に楽しい旅行を4連休でしてきたので書きます。

宮崎に行ってきました。宮崎は2016年のGWと夏休みに行って以来5年ぶりです。あの夏はなぜあんなに宮崎にいってたんでしょうか。2016年、社会人になってから最も印象深く楽しい1年でした。同い年就職組が虚無感を抱き始めて改めて関係性を考えたり、東京でも少しずつ友達ができて遊んだり、都会の女に失恋したり、そういう若さがそこにありました。その印象深い1年の中でも特に宮崎のきれいな海とか高千穂の絶景が景色として想起されることが多いので、向かいました。

いきなり最高にかわいい定食屋でチキン南蛮を食べました。その後この旅でチキン南蛮を計3回も食べることになります。

昼飯をこなした後は日南方面へ、まずは鵜戸神宮。ここは18年前に家族旅行できたのですが、その際母親が腹痛になり救急車で運ばれ入院した思い出深い地でもあります。 

見えにくいですが岩の中にあるくぼみに、男性は左手で運玉(5個100円)を投げ入れ、入ると幸運が訪れるというアトラクション、見事成功しました。もっと周りは盛り上がってもよかったんじゃないかね。駐車場から境内へ向かう階段が階段1段の中でもガッタガタになっていて降りづらいな~と不便に感じていたのですが、帰りに看板に「多くの参詣者により削られ階段の中央部がへこんでおり、歴史を感じます」みたいなことが書かれていて社務側の怠慢をいいように言うなやと思いました。

そのあともっと南へ走らせ、日南市街のスーパーとむらで最高のセットを購入、トイレの横のエリアで食べ、 

飫肥へ来ました。城下町ですが南国の植物が生えていて最高です。この旅で気づいたのですが明らかに日南市から南で植生が変わります。植生が景観、もといその町の印象に及ぼす影響はクソでかいです。俺は東南アジアの日本人街に行きたくて仕方ないんだよな。

夜は宮崎が世界に誇るべき繁華街、ニシタチで飲みました。この旅行、とにかく夜は街で飲みまくれたのが最高でした。飲めない街東京という現実と、飲める街ニシタチ、北浜(別府)、都町(大分)。ここらは明らかに天国でした。何よりこういう地方の銘酒(焼酎でも銘酒で合ってる?)の看板がある街はさらなりです。

何度も何度もこのゲートの下をくぐりました。

ニシタチのすごいところはまず飯がめちゃくちゃ安いところ、1件目でバカ飲み食いしたのに6,400円だったときはずっとその話をしました。あと街はキャッチもいるし飲み歩いてるほろ酔いの連中もいるしいかにも地方を感じるのですが、なぜか女性の方が多く、男日照りをしている雰囲気でした。明らかにナンパ待ちの女性陣と何度もすれ違ったのが印象的です。また中心部にある、連絡通路も備えているような大きな百貨店が去年つぶれて全部ドンキになっているのがThis is 衰退で最高でした。

こうして最高に飲み明かした次の日は車を北へ爆走させ、高千穂峡へ向かいました。高千穂の目的はこちら、あまてらす鉄道。

16年前の台風で壊滅した地方鉄道の鉄橋部分までをグランドスーパーカートが走るというものす。なんでグランドかというと、先代のスーパーカートが引退したかららしいです。味わい深いですね。

結構フリーな感じで遊ばせてくれる場所で、古くから使ってた車庫や事務所に入れたり、勝手に触って写真も撮れたりします。キャッキャしてしまいました。

高千穂は町ぐるみで盛り上げていこうという感じがあり、こんな感じで小学生がお店の紹介冊子を作ったりしていて、いいです。いわずもがな高千穂峡、天岩戸も最高でした。昼飯はB’zの隠れた名曲の店で。

この時点で17時、ここで宮崎編は終わり、とんでもない山道を抜けて大分へ向かいます。
宮崎の人、全員訛り狂ってたな〜。蛙亭イワクラの訛りなんてかわいいものです。

食えました。

つづく

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