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詩吟とサムライレムナント

最近なりゆきで詩吟始めたから、詩吟から見たマンガ・アニメネタでも書いてみるか…と思ったけど、そのためにはまず、そもそも詩吟て何?という話からしないといけないのでまずはそこから(あくまで私が調べた範囲です)

詩吟とは

詩吟とは、一言二言で言ってしまえば「サムライ文化の残り火」であり、「漢文学習のなごり」です。
具体的には、江戸時代の藩校や私塾を中心に、盛んに行われた漢詩の朗詠(漢詩や和歌に節をつけて歌うこと)のことです。例えるなら浪曲とお経を足して二で割ったような印象のものだと思ってもらえばいいんじゃないでしょうか。
タイトルにつけたゲームのサムライレムナント主人公も、もちろん詩吟を口ずさむこともあったでしょう。むしろ二本差しの身分でありながら詩吟を知らないとか、英語を知らない東大生並みにあり得ない話です。
そんな詩吟はいつどうやって生まれたのかというと…

まず詩吟の前提条件として漢文だ
18世紀末から19世紀にかけて日本国内の幅広い層に漢文文化が広まりました。
ちょうど今の英語の立ち位置に当時は漢文があったと思ってくれればいいです。太平の世では、武士にとって武力ではなく学問=漢文が身を立てるための必須条件となり、政治参加への道は武芸ではなく学問(漢文)で開かれる…サムライ階級の皆さんにとって漢文の素養は必須スキルだったのです。

そして詩吟誕生
当時の漢文学習とは、漢文テキスト(返り点とか句読点の付いたやつ)を正しく諳誦する稽古を繰り返すもので、漢文学習の入り口はこの「素読」という声に出して読む行為が基本でした。この漢文というのが、中国語の語順で書いてあるテキストに返り点などをうって何がなんでも日本語形式にして読むというアクロバティックなものなんですが、日常生活で使われる日本語にはない独特の言葉のリズムがかっこよく、調子よく素読していた語尾にだんだん節がついていったものがいつしか詩吟に発展していったと思われます。

詩吟の広がり
寛政の改革(1787~1793)により、国定教科書指定(朱子学)や国家統一試験(学問吟味・素読吟味)などの幕府による学問の標準モデルが定められ、家臣の教育充実を図るための学問奨励策が実施されました。この時に漢文が公的に認められた素養となったのです。そして本もたくさん出版され、私塾の数も増えたことによって士族以外の庶民層にも学問の機会が開かれたりするようになります。
そんな漢文学習の広がりの中で、詩吟は学校の勉強の合間になされる一種のレクリエーションとして、カリキュラムの中に明確に位置付けられました。生徒たちの心身の健康維持のために詩吟が「胸の鬱気を散じる」として奨励されたのです。

詩吟とラノベと
そんな感じで生まれた詩吟は、当時の士族@若者にとって必ず学ばなければならないものであり、エリート感を補強するものでもあり、アジア世界の最先端でもあり、また、漢詩の大陸的スケール感や異国情緒あふれる非日常感は、純粋に魅力的に感じられたと思われます。いつの時代でも若者は日常から少し離れた非日常感や、壮大な物語(世界を救ったり恋愛したり等)にワクワクするものです。現代でゲームやマンガ、アニメ、ライトノベル等で表現されていることの何割かを、当時は詩吟が担っていました。今の感覚でいうと洋楽を口ずさむ大学生的な。多分。

異色の伝統芸能
そんな詩吟が他の歌舞伎や津軽三味線などの芸能と決定的に違うのは、大元である漢文も含めて、サブカルからスタートして大きくなった文化ではなく、最初からエリートのメインカルチャーとして君臨していたものだったということです。明治維新によってその地位が英語に取って代わられるまで、漢文&詩吟は常に権威とセットであり続けました。

( ͡° ͜ʖ ͡°)私が詩吟て何やねんという、いわゆるミリしら状態から調べ始めたら思いがけず日本の歴史の知らなかった一面を知ることになり、途中で占いにも手をつけ最終的にギョウザとラーメンに行き着くまでのアレコレをボチボチこのnoteで書いていこうと思います。

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