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わたしがnoteに載せないとり写真の話

皆さまこんにちは、とりコレクターです🐣
今回は、わたしのとり写真、というか「わたしのとり写真になり損ねた写真たち」について。
割とシリアスというかネガティブな内容にもなるかもしれません。気を悪くされたら申し訳ないですが、とりコレのひとり言として「ふーん、とりコレさんはそんなこと考えてるんだね」と流していただければ幸いです。

1. 「餌付け」の話

わたしは基本的に、ペットや人工的に飼育されている鳥ではなく、野鳥を撮っています。
ここでは「野鳥カメラマン=とりカメラマン」と呼ばせていただきます。

とりカメラマンの中には、「キレイな写真を撮るため」そして/または「珍しいとりを確実に撮るため」に野鳥を「餌付け」をする人もいます。
要は、「エサを与えて特定の場所(見やすいスポットなど)にとりを呼び寄せる」ということです。
そしてそれは個人レベルだけではなく、グループや地域レベルで受け継がれているときもあります。

そもそも、「どこからどこまでが餌付けか?」って難しいですけどね。
「自宅の庭に切ったフルーツを置いておく」とか、「巣箱に餌を入れておく」とか、「公園でパンくずこぼしちゃう」とか。こういうところに来る鳥はそもそも種類が限られてますし、自宅ですることは個人の裁量でもあるでしょうし。
それに善悪って、基本的には主観でしかないと思うので。

しかしとりコレも、とりカメラマンの端くれ。(ほんとに端っこの端っこですが…)
やはり「珍しいとりが撮れる」と聞くと興味は湧いてしまいますし、「人生で一度はあのとりを見てみたい…!」となります。
そして、有名な餌付けスポットに行ったこともあります。

望み通り、かなり近くで珍しいとりを見て撮ることもできました。めちゃめちゃかわいかったです。
でも、それらの写真はnoteには載せていません。し、今後も載せない予定です。(皆さんにお見せしたい気持ちは山々なのですけれども…!)

なぜかというと、やっぱり罪悪感というか悲しい気持ちがよみがえってしまうのですよね。
行き過ぎた餌付けを助長したくない、というのもあります。

上記のような「有名スポット」に来て写真を撮らせてくれるとりは、まぁ人間に慣れています。(本当に警戒心が強いと寄ってきません)
寄ってくるとりとしても、楽においしいご飯が食べられればうれしいでしょう。

でも、中には「呼び寄せるために栄養豊富な餌を与えすぎて、うまく飛べないくらい太らせてしまう」ケースもあるそうです。
あとは、呼び寄せたかったとりとは別の生き物に餌を与えてしまい、生態系を乱すことも。
そもそも、本来はとりが食べるはずのないものを与えているという点もありますよね。ここはまた「では自然な状態とは?」っていう哲学的なレベルにもなってしまいますが。(人間の生活圏や活動など、広いレベルでも影響を与えているはずですから)

2. 「営巣放棄」の話

次は、「営巣放棄」について。
特に「珍しい」と言われるとりは、人間の気配や存在に大きなストレスを受けやすかったりします。
そして卵を温めている、もしくはヒナを育てている親鳥がそうしたストレスを受けて脅威を感じると、自分の卵やヒナもろとも巣を見捨ててしまうことがあります。これが「営巣放棄」です。

とりは元々、「見られている」ことに敏感です。
でもとり撮影は「見て撮る」ことなので、「見る」ことは必須です。(特定のとりを探している場合、「見たい!撮りたい!」という熱意というか執念がにじみ出てしまったりもします笑)
それに、とりカメラマンは大きくて長いレンズを通してとりを撮ることがほとんどなので、余計にとりへのプレッシャーが大きいと思います。
プロや熟練のカメラマンだと、極力見ずに&プレッシャーを与えずに撮る、という芸当ができるそうなのですが、初心者ほど近づきすぎたり見すぎたりしちゃうかと思います。
抱卵や子育ての最中でこうした「見られている」ストレスにさらされると、特に辛いでしょうね。

実はわたしも先日、ちょっと珍しいとりの営巣情報を聞いて、「一目見たい!」と訪れてみました。(といってもまぁまぁ一般的なとりではありますが)
案の定たくさんのとりカメラマンがいましたが、皆さん一定の距離を保って撮っていらっしゃいました。

が、しかし。
その後、もっと近づいてしまうカメラマンが増え、そのためか営巣放棄してしまったとのこと。

ものすごく悲しかったです。そしてやはり罪悪感。
わたしが訪れた直後の出来事ではなかったとはいえ、やはり片棒を担いでしまったのかなという気持ちはゼロではありませんから。


3. 最後に

今回は、最近モヤモヤとしていたことを吐き出させていただくような記事になってしまいました。
特定のどなたかを攻撃する、もしくはどなたかの怒りを買う気はありませんでしたが、もしそのように感じられた方がいらっしゃったらごめんなさい。でも上記がわたしの個人的な、そして正直な気持ちと行動です。

とり(野鳥)は誰かの持ち物ではありませんし、究極「誰が何をしても自由」なのかもしれません。
「自然との共存」っていうテーマは、大きくて難しいですよね。何が正解かってすぐに答えは出なさそうですし、答えなんてないのかもしれません。
また、「とりを見たい、撮りたい」というエゴを捨て去るほどの潔さもわたしにはありません。やっぱり見たいし撮りたい。

まだまだ初心者とりカメラマンの端くれ、わたしも悩みながら迷いながら試行錯誤しながら、とりたちとの良い距離感をつかめるといいなぁと思います。

ここまでお付き合いいただいた方(いらっしゃれば笑)、ありがとうございました🐣✨

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