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毒親の嫌悪感からの卒業

しょっぱなからダーティーな話題でごめんなさい。
どうしてもnoteを初めたからには伝えたいことがあって・・・。
noteにしたためます。

最近巷では毒親が流行っている・・・(ように感じるだけか?
子離れできない親。
親離れしたくても言い出せない娘。
男の子を持つ親御さんはそうではないかもしれないが、
女親はすごくエグく、グロテスクなのである。

かくいう私も一時毒親本にはまり読みこなした。
親離れできない娘の体験手記にはじまり、
専門家がみた毒親どいう病。
どれもかしこも距離感の取り方が課題だった。
対処法は物理的な距離と温度感。

しかしながら読んでいて母だけが悪者(確かに悪いところはあるのだが)
になることに疑問を感じていた。
だからあなたは今日依存から抜けられないのよ!といわれてしまえば
それまでなのだが・・・。
私は母がすべての原因ではなく複合的に絡み合った
環境や成育等がその人の人格に歪みをもたらせ、
毒親と称されるようになってしまったのではないかと考えるのだ。

私も毒親と呼ばれる項目にチェックをすれば当てはまる要素は大きい。
また、母をかばおうものなら「共依存」を言われ続けてきた。
そこに嫌悪感を感じてしまうのは私だけだろうか。

親が悪い、毒親だということはとても簡単だ。
しかし、課題はその毒親の背景にあるものを娘または母が
想像していくことが「毒親卒業」のキーになるのではなかろうか。

私は結婚もしていないし、子どももいない。パートナーすらいない(笑)
だからいとも簡単に言えるのではないかと思われるかもしれない。
でも違うのだ、子どもがいないのには私なりの理由が存在する。
1、私が母と同じようにわが子に接してしまう怖さ
2、そのことがきっかけでわが子の人格をゆがめてしまう恐怖感
3、子育てで母とバトルことに対する怖さ
等あげればきりがないほどあるのだ。
まぁ、相手(パートナー)すらいない私が言うほどのことでもないが・・。

私の生育は父と母が3歳の頃離婚をし、母方に育てられた。
私、母、祖母、祖父の四人暮らしだった。つまるところ「いい子」だった。
反抗期もなく育ち、母からしてみたら幼少期は育てやすかったかも
しれない。
しかし、環境が小学校1年生の時に変わる。
外交的だった性格が内向的になったり、小学校3年のとき唯一の父親代わりの祖父の死で大きな喪失を抱えた。
このころからだろうか、ステレオタイプに祖母と母が過干渉をはじめた。
母の愛情なのか、祖母の愛情なのが混合しはじめたのはこのころからだ。

遅れた反抗期ならぬ自我の芽生えや自分がどこに
向かって進んでいったらよいのか分からないという漠然とした悩みに
中学から不登校をし、高校、大学時代は苦しんだ。
リストカットを夜中に起こしたり、薬物依存がはじまった。
ある時は蚊取り線香で根性焼きをした。
痛みを感じるより、私の中での反抗の証だったと今振り返ると思う。

自分のことをつらつら書きはじめると時間を忘れて書いてしまいそうになるので、第2弾を設けようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます♪

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