若者だけど「タイパ」という言葉がピンとこないな……と、思っていた

「今どきの若者はタイパを重視している」
そう当たり前のように言われている。
映画を2倍速で見るとかYoutube ショートが流行るとか、実際タイパを意識している?若者たちの実例もある。

このタイパを重視した行動は、映画や小説などの文化的なコンテンツを雑に消費しているという側面を持っている。
そのため、しばしば「映画を2倍速で見るのはもったいない」とか「要約だけを見ても意味がない」とか揶揄される。

この記事では、映画や小説などのコンテンツをタイパ重視で消費することの目的書いていこうと思う。


タイパなんて意味不明……と思っていた

ちなみに私も、タイパ重視の行動を馬鹿にしていた側の人間だ。
私は映画を絶対に等速で見るし、小説のネタバレは読まない。

それこそ、
「映画を2倍速で見るなんて製作者への冒涜だ!」
「小説は先が分からないから面白いのに、ネタバレを見てしまうなんてもったいない!」
「タイムパフォーマンスと言っておきながら、パフォーマンスの方は下がってるじゃないか!」
と思っていた。(というかこの考えは今でも変わっていない)

だが、ある時ふと考えた。本当にタイパ重視は悪なのか?

コンテンツの消費理由

さて、タイパを重視する人間とそうでない人との差は何だろうか。
例えば、次の記事ではこう述べられている。

Z世代がタイパを好む明確な理由はわかっていません。しかしタイパを求める人々の根底には『時間が惜しい』という共通した感覚があります。大切なのは、時間が惜しいという感覚を持つ人が『時間がないから時間を大切にしたい人』と『待ちたくない、今すぐ楽しみたい人』の2種類に分けられることです。前者は『時短型』、後者は『バラエティ型』といえます。この区別を理解しないと、タイパの本質を見失ってしまいます

Z世代はなぜ時間があるのに時短を求める?「タイパ消費」の実態より

つまり、時間が惜しいからタイパを好むという考え方だ。
これは時間という点に着目しているのだが、果たしてタイパを重視する理由はそれだけだろうか。

そこには、コンテンツを消費する理由の違いが存在するのではないだろうか。
私はコンテンツの消費には大きく分けて2つあると考えている。

娯楽的=趣味として、自分が楽しむための消費
実用的=単なる情報としての消費

さて、この2つについてもう少し詳しく論じてみようと思う。

娯楽としての消費

これは今現在一般的とされているコンテンツの消費方法。つまり、趣味として自分が楽しむために映画や小説などを消費することである。

自らコンテンツを消費し、作品によって感情が揺さぶられることを楽しみ、それによって充実感を得る行為だ。
これは直接的に楽しむためのコンテンツ消費である。

実用的な消費

これは本人がコンテンツによって楽しむために消費しているのではない
ではなぜネタバレを読んだり、倍速で観たりしてまでコンテンツを消費しているのかと言うと、コンテンツに単なる『情報』としての価値があるからだと思う。

現代において(おそらく過去においても)映画や小説などの話題は、時事問題などのニュースと同じ『情報』としての価値を有している。

タイパを重視する人の目的は、他人とのコミュニケーションツールを得るためにコンテンツを消費することではないのだろうか。
(もちろん、消費の過程でコンテンツを楽しむという副産物は得られるだろう)

つまり、これは間接的に楽しむためのコンテンツ消費と言える。

『教養』と化すコンテンツ

SNSによって流行は爆発的に普及する。
それによりソーシャル・ネットワーク上において、流行りのコンテンツは一時的とはいえ一種の『教養』となる

タイパを重視する人たちにとっての、映画を倍速で観るとか小説のネタバレを読むといった行動は、ネットニュースを読んで時事問題を分かった気になることと本質的には変わらないのではないだろうか。

流行り廃りが数か月ペースあるいは数日ペースで訪れるソーシャル・ネットワーク上において、また現実でのコミュニケーションにおいても、日々『教養』と化す膨大な娯楽的コンテンツを知っていることが求められる場面がある
それに対応するための行動が、実用的な消費なのだ。

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