私はモラトリアムなのだ

最近、将来について考えすぎて、軽い鬱状態になっていた。
ストレスで、全身にぶつぶつが出来たり、指の皮が急に禿げたりしたもんだ。

今年の6月、会社を起こし、平和でクリエイティブな世界を作る、その一環として、プログラミングスクールでエンジニアになりたい人の自己実現をサポートしたいというビジョンを掲げ、使命感に燃えていた。その時は、人生希望しかなかったし、自らのアイデンティティが固まった感覚で、一生このまま生きて行ってもいいと思えた。

しかし現実は厳しい。実際全ての人を理想のエンジニアにするのは無理だし、案件取れるかわかんないし、不満を呈する人が顧客にもコーチにもいるし、飽きも来る。普通のインターンだったら、責任を放棄して辞めているところを、代表という立場上やめられない。株もないし、売却も出来ないし、やめるにしてもサンクコストでがんじがらめ。一生このまま生きていくのかと思うと出口が見えず、軽く鬱。

半年前は人生賭けてもいいと思っていたものに対して、こんな簡単に情熱ってなくなるものかと絶望。人生絶対に変わらないものなんてないし、一生人生賭けてもいい!と思うものが見つかり、また絶望しの繰り返しに、希望が見出せなかった。

誰にも相談できず悶々としていたところ、友人も同じような悩みを抱えていた。人生の意味がわからないとか、孤独だとか、結婚したら終わるのかとか、日照時間が短いからこそもあるが、モラトリアムというものもあるのだろう。

どうやらアイデンティティは確立と発散を繰り返すらしい。
人生の意味が分かっては絶望して、分かってはなくなってを今後の人生繰り返していくのだろう。
でも人生一生やりたいことを探していくんだろう。

他人が、何か宗教とか、哲学とか大きいものを信じて生きているのを見ると、そんな非科学的なことを信じて生きてるんだと嘲笑してしまうのだが、自分も例に漏れず、何か人生の意味とか使命とか大きなものを信仰しないと生きていけないことにショックを受けた。まあこれは受け入れるしかない。
そういった世界観の中にも、共感できるもの、できないものの程度の差はあるわけで、自分の嗜好性に合った哲学を取り入れて、固めて、全身で体現することが、俺の生き様なのだろう。自分の嗜好性を一蹴すると、人生つまらなくなる。自己理解は大事。小宮山先生の面談でも、技術おもろそーとは思ったし。

ナチスを生き抜いたフランクリン?は、「人間とは生きる意味を「問う存在」なのではく、人生から「問われている存在」。人生とは自分を越えた何かからの問いに答え続けるプロセス。」という考えで厳しい収容所を生き抜いたという。そうすることで、未来への恐怖はなくなる、現在が全てであり、常に未来からの問いに現在の新しい問い答えることに専念すればいい。今を生きることができる。

また「人生とは生きる意味の喪失と発見の連続」とも書いてあって超共感した。これはアイデンティティの確立と拡散と同じこと。
それならば人生は一生モラトリアムだよね。若新さんも言ってるし。


色々書いたが、やっぱ人生今が最新だし、今を生きることしかできないし、
結局また拡散するんでしょーと思いながら、アイデンティティの確立を喜べないのも勿体無い。確立と拡散を通じて必ずその精度は上がってるし、成長していることを実感しなければいけないよね。またそういった生き様をみた何十年後の20代の希望になるかもしれないし。
最後により良いモラトリアムにするためには、この点気をつけとけよーってこと書いとく。

①自分と向き合う時間を作る
②考えたことを記録する
③メタ認知力をつける
④とりあえずやってみる
⑤期限を決める

まあ、どうせ答えなんてわからんし人生の時間もったいないから、うだうだ悩まずとりあえず行動・自己理解深めなさいってことかな。

何かカチッと決まったものがあるべきという前提が人を苦しめるし、一生モラトリアム、一生ミーハーで色んなことにチャレンジしていけばいいのではないでしょうか。

おもろいし公認心理士でもとろっかな()

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