ゆるぴよ文学講義①今こそタイムリーなSF小説「ツィス」(広瀬正)

ごきげんよう。
今日は2020年3月10日です。
新型コロナウィルスが日本にも上陸し、観光客は激減、イベントやライブは自粛、テーマパークは臨時休園、全国の小中学校は臨時休校、人々はトイレットペーパーを買い溜めして(なんでやねん!)家にこもり、街からは賑わいが消え失せ、世間はさながらパニックの様相を呈しています。
そんな日々の中、ふと「あれこの感じ、どこかで読んだことがある」と思い出し、30年ぶりに引っ張り出してきた本がこちらです。

発表は1971年、SFブームの時代です。当時SFが現在のラノベくらいのポジションだったのでしょうか。約50年前の小説ながら、今読んでもなかなか面白いです。
では早速内容を紹介していきましょう!


「ツィス」あらすじ(結末までネタバレします)

ある精神科医が、神奈川県C市に住む絶対音感のある女性から、常時「ツィス(ド#)」の耳鳴りがすると相談を受ける。
精神科医は様々な検証の結果、C市内にツィス音が微弱ながら実際に鳴っている可能性があると考え、知人の音響学の教授に検証を依頼。
教授は「ツィス音測定器」を製作しC市内を調査し、ツィス音の存在を証明した。

このことはC市役所から新聞で正式発表、すぐにテレビニュースで話題に。
テレビ局は新番組「ツィス情報」を放送開始、視聴率を上げるために工夫を凝らす。
番組の呼びかけで、C市内のみならず神奈川、東京全体でツィス音が聞こえる人が次々名乗りを上げる。
番組内では何度もツィス音が放送され、警告が繰り返される。
音響学教授によると町中のツィス音は次第に大きくなっており、今後も生活の支障になるレベルまで大きくなっていくだろうと報じられる。

防音関連の商品が次々に売れ、音程を確かめるためにツィス音を発生させる「ツィスパイプ」も人気に。
まだ音が聞こえていない人も予防のために防音グッズを買いあさる。
耳栓をしたまま生活する人が増え、音楽家は大ダメージ、安全のため自動車の速度制限が15㎞/hになり交通は混乱、人々は家にこもりがちになり、地方に縁故のある者は疎開し、国家の陰謀論を叫ぶ暴動が起こり、デマが飛び交う。しかしツィス音の発生源は不明なまま。

やがて首都圏のほとんどの人にツィス音が聞こえるようになり、騒音と言える音量になってくる。この状況は2年続くと音響学教授の見解が発表され、
ついに行政による強制疎開が行われ、都に認められた一部のメンバーによる「留守部隊」を除いたすべての住人が東京都から追い出された。

数か月後の東京。「ツィス音測定器」が最高レベルで反応しているにも関わらず、偶然耳栓を忘れた留守部隊の者が音が消えていることに気付いた。
一部の者の独断でツィス音測定器を調べると、実は故障していたことがわかる。
ツィス音消滅を確認したものの、混乱を防ぐため情報が統制され、ツィス音は徐々に減少している、完全消滅後に段階的に都内への復帰が可能になると発表された。

騒ぎが落ち着いた後の東京は多くの人が疎開先に定着したため人口が減り、公害や交通問題が解消した。

最初にツィス音の相談を受けた精神科医は騒ぎを振り返り、「音響学教授の売名のための集団催眠だったのではないか」と分析。結局音の発生源は見つからず、テレビ番組、国家の対策のすべてに教授が関与していた。教授が作った測定器は機能しておらず、音の録音は残っていない。
だがそれを打ち明けられた元テレビ局関係者は、もっと大きな陰謀があったような気がしてならなかった。


「ツィス」(広瀬正)感想

インターネットも携帯電話もなく、人々がレコーダーやカメラを所有していない、そんな時代だから成り立っている話なのだけど、読んでいて不思議と古さを感じませんでした。
これでもだいぶエピソードを省略してまして、実際に読んでもらえると面白い部分いっぱいあります。

なんかこう、最近毎日繰り返し報道される新型コロナウィルス感染者数情報を見ていて、この本を思い出したわけです。
途中、街から人がいなくなって飲食店や商店がガラガラになっている描写なんかズキズキ刺さりましたし、音楽家やタレントが窮地に陥っているところとかもね。描写なかったけど、きっとイベントやテーマパークも中止や休業になっていたのでしょうね。報道を見ておびえた人々が防音用品を買いあさるところもなかなか(さすがにこの世界に転売屋ヤーはいなかったよう)。しかも苦しんだのは庶民ばかりで、金持ちの上流階級は防音の部屋に住み、防音の車に乗り、全く被害を被らなかったとかすごいね。
だからって別に新型コロナが人工ウィルスだの国家の陰謀だの言うつもりはないですよ。
でも結果的にリモートワーク化が一気に進んだり、通勤ラッシュが緩和されたりしてますね。
強制疎開の時に「前もって発表すると住民が対策をしてしまうからギリギリに通達しろ」なんてやってるのも、あの一斉臨時休校のスピード感を彷彿とさせます。
こんな具合に現在の状況とあちこちシンクロしていますが、決して予言とか言うんじゃなくて、概してパニックものというのは実際の社会をベースにしたシミュレーションになるわけで、要するに社会とか人間は50年前と大して変わっていないということなんですね。

話が外れて、この作品で個人的に面白いと思ったのは、主人公の一人であり、疎開後の東京に残るメンバーに選ばれた人物が、耳の聞こえない画家だったことです。このツィス騒ぎで人々が耳栓をして暮らすようになる中では彼こそが健常者になるのです。
似たような話で、イギリスの有名な小噺があります。

”ロンドンを訪れた人が突然の霧に見舞われて困っていたら、霧の中で声をかけてくれた人がいて、手を取って行先まで案内してくれた。「あなたはなぜこんな霧の中でまるで見えているように歩けるのですか?」と尋ねると、その人はこう答えた。「I’m Blind」”

いい話でしょ、これ。
つまり障害のあるなしなんてのは所詮環境に依存してるってことなんですね。
時代や環境次第で人間というか生物に必要な能力や体質は変わるわけで、変化に対するリスクヘッジとして多様性は守られなけばならない。全く本作の意図するところではないながら、ちょうどわかりやすい例になっていますよね。

ちなみに作者の広瀬正ですが、1972年にわりと若くして亡くなってしまったそうで、全6冊しか本がありません。待っていればそのうち青空文庫に入るのかな。
面白さで言えば他の作品の方がいかにもSFらしい華やかさがあって面白いですし、ツィスは当時あまり評価されなかった作品のようです。確かにちょっと地味ですものね。
もしこの文章を読んでちょっとでも興味持って下さった方がいらしたら、ぜひ広瀬正の他の作品(「マイナス・ゼロ」とか「タイムマシンの作り方」がいいと思うな)を読んでみてほしいです。
自粛中のいい暇つぶしになると思いますよ!(くたばれ新型コロナウィルス!!)

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