『西洋絵画の歴史2–バロック・ロココの革新−』を読んで

 以前、国立国際美術館の「バベルの塔」展に行った際に購入した美術史に関する本。私は美術史にはとても疎いので少し興味もあったために購入したのだが、その後なんだかんだと多忙となり積んでしまっていた。先日少し時間ができたので積読を消費しようと思い今になって読み終えたのである。

 以下の本を読んだ。

『西洋絵画の歴史2–バロック・ロココの革新−』(高橋裕子著)

美術と美術史

 美術と聞くと、何を想像するだろうか。私は高校生の頃の美術の授業を思い出した。高校の美術の授業ではデッサンを行ったり、色彩を調整して自分でロゴを作ってみたりしていた。今思い返してみると、美術の先生が東京藝大出身で個展を開くような方であったため美術のスキルが鍛えられるような授業であったと思う。もっとも、私の成績はあまり良くなかった。
 
 このような授業を受けていたからというのもあるのか、私が美術聞いて想像するのはその「作品」である。そのため美術のどこに学術領域があるのかがあまりわかっていなかった。絵が上手いのは結構だが、その何が面白いのかという感じである。

 そんな私にとって美術館の所蔵品説明は驚きであった。この作品にはどのような特徴があり、それは当時の社会的背景を示していて〜と作品を取り巻く環境も含めて説明されていた。

 今まで私は美術作品というと完成している「絵画」そのもののことを指しているのだと思っていた。しかし、当時これだけ完成度の高い絵画を作るには多大なお金や技術が必要である。また絵画が観衆に及ばす「印象」の効果は大きく、これもまた利用できるものである。様々な思惑の中で描かれた絵画は、それそのものだけではなく、それに至るまでの環境・思惑も含めて1つの「作品」なのであり、また1つの史料であるのだと理解した。

 絵画を書かせるパトロンは時代を経て変わっており、それに伴って絵画に求められる内容・技法も変わってくる。今まで個としてしか見ていなかった美術作品を時間軸にも視点を通してみることで全く印象は変わり、とても面白いと感じるようになった。

依頼主の変遷

 絵画は風景画や肖像画などの様々な分類がある。私たち一般の人にとって馴染み深い風景画であろうか。しかし、歴史的に見て最もアツかったのは「歴史画」である。歴史画とはギリシャ神話や聖書の一節などを絵画に起こしたものであり、特に聖書の内容を描いたものは宗教画と呼ぶこともある。もちろん、この絵画の製作を支援していたのは当時のキリスト教系の教会(カトリック教会)である。当時はこの宗教画が大部分であり、風景画などが目立ってくるのは16世紀以降の話である。
 
 17世紀になると、教会以外にも美術の持つ宣伝効果に興味を持つ集団が現れた。宮廷である。当時の中央集権に呼応して宮廷画家という職業も徐々に現れてきたのである。宮廷の美術作品は宗教画と少し異なり、雇い主である宮廷を持ち上げるような作品を求められることがあった。国王礼賛の天井画がその例としていくつか知られている。

 一方でオランダでは少し異なった美術の普及が見られていた。オランダはプロテスタントの改革派教会の支配下にあった。先に述べたようにカトリック教会は美術作品を用いていたのに対して、プロテスタントでは偶像崇拝禁止の観点から美術作品の使用を認めていなかった。その上オランダではパトロンとなってくれるような宮廷もなかった。そこに救いの手を差し伸べたのは、中産階級であった市民というパトロンであった。

 依頼主が変遷するのと、それに伴って求められる題材も当然変わってくる。当初は教会の支援で歴史画や肖像画が中心的であったが、宮廷の依頼を受けるようになると聖書の内容から少し外れて王家を賞賛するような歴史画や教養を必要とする物語画(歴史画)が製作されるようになった。一方オランダでは自警団の肖像画や日常的な風俗画、またはお土産としての風景画など幅広い進化を遂げていた。

美術史の面白さ

 このように、「美術作品」からは視覚情報だけでなく、それを取り巻く環境について学ぶことができる。美術史は世界史とかなり深い関係にあるものであり、史学として十分に学術的なものであると感じた。興味がある人にはぜひこの本を読むことを進める。

終わりに

 最後に学術云々は別にして、17世紀の絵画に非常に写実的な作品が何個も見られ、びっくりした。当時もちろんカメラやフィルムなんてないわけであるが、この絵画を見るだけで当時がぐっと身近に感じられるのである。ここに彼らは目をつけて芸術家のパトロンになったんだなと共感する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?