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アレンジききすぎて原曲不明の子守唄、多数

謹賀新年 2020
今年もがんばって生きていこう

昨年末、私が四捨五入で四十路になった翌日
祖母が死んだ

朝目覚めてスマホ画面を見ると母からLINE
待ち受けに浮かぶ一行目
「朝早くにごめんね」という文言で構えた
そう遠くないうち、こういう知らせが来る気はしてた

深呼吸の後、LINEを開き
一瞬爆泣きしたら気持ちはすぐに落ち着いて
喪服どうしよう…黒い靴も無い…
そもそもこのド年末、葬儀の日取りはどうなるのか…
自分でも感性疑う程度には無神経に思考を張り巡らせた

なにせ何度も言うけどド年末
どうやら火葬場は三が日はやってないらしい
葬儀屋は年末年始関係なく対応してくれるらしい
ぽちぽちスマホをいじり腫れた目で調べてみる
まぁ私なんぞが調べなくとも両親や叔父が動くんやけども

正月には持ち越さず(言い方)
年末駆け込み弔事(言い方)と相成って
大掃除を放り出し浮かれた気分を投げ捨てて
喪服の調達など自分の準備、参列

全てが落ち着いた今、懺悔をしたいと思う

小さい頃、毎週末のようにお泊りに行った祖母宅
昭和の頃は小さな平屋で祖父も生きていた
近くに住む従姉妹たちと私と姉と
思い起しても当時のことは鮮明で
その平屋での思い出は多い
あんな幼児、学童数名を毎週末面倒見てくれてたなんて
ばーちゃんすげぇな元気やったな
オリジナリティ溢れる子守唄や赤子のあやし方
独特のばーちゃん語
どれも沁みついている

自分に子供が産まれた頃はまだ元気で
実家近所に住んでたから曾孫を抱かせて
ばーちゃんオリジナル子守唄で我が子をあやしてもらったのは
なかなか感慨深かった

そこからわずか数年
着々と老いていく祖母
あっと言う間に自宅で過ごすことが難しくなり
叔母宅で暮らしたり入院したりデイケアに行ったり
近所に居なくなった

とは言っても会おうと思えば会えた
どこか遠い都道府県へ移住したわけでもなし
生きてたんやから

最低の、最悪の正直な言葉で懺悔させてもらえば
私は祖母に会うのが怖かった
死に近付いている生物特有の恐ろしさ
私の知っている祖母では無くなる感じ
顔を見せても私やとわかるやろうか?話ができるやろうか?
その死に向かって変化する祖母を目の当たりにして
受け入れられるやろうか
卑怯で恥ずかしい言い訳並べて

怖かった、から、全然会いにも行かんかった

小さい時からあれだけ可愛いがってもらって
今でも山のように溢れる思い出を貰って
本来であれば入院先へ出向き、顔だけでも見せて
私が誰かわからなくとも、話が噛み合わなくとも
笑顔で声をかけに行くべきやった

葬儀の最中ずっとそんな汚い後悔がぐるぐる渦巻いて
やけど、ごめんねごめんねと謝るのは
なんかばーちゃんの人生に最後の言葉はそれじゃないと思うし
出棺直前に顔を見て、ありがとうに言い換えた

最愛の、と言うにはあまりに遠く
いや、自分で遠ざけたんやけども
最後に顔を見たんはいつやったか思い出せもせん
亡くして後悔するなんて愚かすぎる

給食員を長年やってた祖母の
豪快でめちゃくちゃ美味しいご飯
もう食べられへんのやなぁ

不謹慎で縁起の悪いこと言えば
これからどんどんこういう別れが増える
年齢的にもうそういう時期なんやと思う
順番でゆうたらな、見送る側
そら生きてる以上、平等に明日死ぬ可能性はあるし
それも無視できひんけど

やとしたらなおさら
大事な人を大事にする
会える人にはちゃんと会う

なに当たり前のこと太文字でゆうとんねん思うやん
毎日を必死に生きてると我がことだけになりがちで
周りを見渡せなくなる自分へ
仕切り直して心に刻めよて

そういう懺悔でした


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