マレーシア移住 + 軸となる言語:英語
マレーシアに住んでいるtoriです。
日本から移り住み二年が経ち、ある程度生活が安定してきた中、私の小さな小さな観測範囲内での出来事を書いていきます。
インターナショナルスクール生の生活の軸となる言語、英語。
マレーシアに来た時の英語力と現状を書きたいと思います。
二つの問題
移住後の言語における問題。
それは子供の語学力、そしてもう一つは親である自分の語学力。
この二つだと思うのです。
…嘘です。大嘘です。
マレーシアには多言語話者がわんさかいるのもありますが、
マルチリンガルにも挑戦する?その場合中国語?マレー語?母国語日本語はどうやって維持させる?伸ばす?それとも捨てちゃう?進路を見据えてほかの言語もやっておく必要もある?
など考えるべきことはたくさんあります。
でもそれらは選択すべき問題なだけなので。
そして、今回は考えるまでもなく必要な英語についてですので。
以下は語学力=英語で進めていきます。
とにかく、移住後すぐに直面する英語力の問題は、子供だけの問題ではないなぁと考えています。
つまり、親の英語力やその態度を抜きには英語力の向上は語れない、学校やtuition(塾)任せでは限界があるのでは?と。
いや、私がそういう方針なだけです。
というか英語がこちらもある程度できないと、MathやScienceを聞かれても答えられない。
じゃ、それらの教科もtuitionに行かせるか!とかやっていたら、全教科のtuitionにいかなきゃいけないじゃないですか。
でも、そこでの進捗も英語なしで把握できないですよね。
そういう観点の他に、彼らはマレーシアに来たいなんて言ったことないのに、ここで頑張っている。
親として努力していることを見せる責任もあるかなぁと。
自分が話せるようになりたいんですけどね。
子供の語学力 ーあっという間に問題ないレベルへ
2年前、上の子は日本で英検3級が取れるくらいの勉強をしてからこちらに来ました。
下の子は未就学児だったので(言い訳になるのか?)、アルファベットとJanuary、Feburaryの12か月と曜日だけやって、学校へ放り込みました、文字通り放り込んだ、が正しい表現です。
入学初日、「あ!トイレに行きたい!くらいの英語を教えてあげないといけなかったのでは??」と気が付いたのは、送り届けた後。
万が一クラスでおもらししてしまったら子供心に辛いはず、彼は人としての尊厳を守れたのか?と心配しましたが、「トイレに行きたいときの指サイン」を覚えて無事に帰ってきました。
そんな始まりでしたが、今は二人とも「自分、英語話せるんで」と自信をもって言えるくらいに成長を遂げました。
tuitonやtutor(家庭教師)は利用せず、学校(英語補習授業は上の子は3か月で、下の子も6か月でおしまい)とオンライン英会話(平日毎日25分)でここまできたのは、よくやっているのでは?
writingや語彙力はまだまだこれからですが、本人たちは全く困っていないです。
親の語学力 ー言いたいことの20%も言えない!
さて、翻って私はというと、
流暢に英語、もしくはほかの言語でママ同士交流できる人がほんっとうに羨ましい!!!
日本語でならもう少しいい感じに会話できる人間なんですーって言いたい!
という状況です。
ビジネスでもエレベータートークは大事、なんて話も聞いたことがありますが、二年経ち知り合いが増えた今、コンドのエレベーターが苦手で苦手で。
開いたドアの向こうにいきなり現れる相手
閉鎖空間で充満する緊張感(私が勝手に)
そもそも相手は私と認識しているか?すっぴん部屋着だけど、とふと浮かぶ疑問
エレベーターの着地と同時に着地させたい会話
なぜかやたらと感じる縦移動
こんな感じですね。そのあとこういえば良かったんだよ!!という一人反省会もセットです。
でも、マレーシアや韓国のママ達は優しくて、一緒にランチしたりという関係を築けています。
カタコトの相手と会話をするのってストレスかかりますよね。
そんな英語話者な私とでも会話をしてくれようとすることに感謝しかありません。
つまり「子供の英語力には親の態度も大事じゃないですか」なんて言いつつ、言いたいことの20%も言えてないのが現状です。
ただ、最近はオンライン英会話(平日25分)の予習時間が半分くらいで済むようになったり、先生に「発音は問題ない」などと褒められることも増え、少し手ごたえも感じています。
(でもその少しの自信も早々にまた砕かれるだろうことも知っています、今や)
この先は?
上の子については、もう一、二段階ステップアップして、Year9までに英語でガチに戦える状況にもっていかないといけません。
下の子はまだ時間があるので、寄り道しながら読書などを通して言葉を介する楽しみをより知ってほしいと思っています。
私はあっという間に子供には抜かされたけれど、小さく積み重ねていきたいです。