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『明日ちゃんのセーラー服』を振り返る。

何度目のお久しぶりでしょうか。蕩です。

壊滅的と言っていいほどにアニメを視聴していない期間が訪れるんですけど、ふと「アニメ観たいブログ書きたい」と思う瞬間があって、「○○のためにアニメを観るのは謎」なんて仰る方の考え方には理解を示しつつも、重い腰を上げるためには「ブログを書くためにアニメを観る」という手段を取るのも自分が楽しめるならアリかもしれない本日です。

以前からブログを読んで下さっている方々には定番の流れと汲み取ってもらえる気でいますが、こうやって冒頭で全く実にならない個人的な世間話を書いている時が結構楽しかったりするんですよね。

さて、今回は『明日ちゃんのセーラー服』です🏫

初期に投稿したブログでは、『とらドラ!』を大切な話数だけピックアップして作品を語り尽くす事が出来ていたはずなのに、なぜか途中から「毎話を語らなければいけない」としか考えられない頭になっていたんですけど、フォロワーさんから「好きな回だけ解説して最後に総括が良い」という意見を頂いた瞬間に"宇宙猫"でした。ド採用です!!!

ということで、そうゆう構成で記事を書きます。
今回は作品を細かく煮詰めるというより、再びアニメを観る気持ちを取り戻していくためのリハビリ程度に考えているので、「キレが落ちた」と思わせてしまったらすみません。元々キレはないけど。

最後まで読んで頂けたら嬉しい気持ち。
いや読むんだ。読んでくれ。軽い気持ちで。

5話「いっぱい知りたいなって」

絵コンテ:八瀬祐樹
演出:まつもとよしひさ

1つ目は大熊さんとの「観察」が特徴的な5話。
明日ちゃんと言えば、CloverWorksと言えば、繊細なタッチと綺麗でぬるぬる動く作画が印象的だと思いますが、どうしてもコスト消費を抑えたくて作画的な省エネ回を設けてしまうのは仕方ありません。

ただ、そういった状況を上手く利用するように八瀬祐樹さんをコンテに抜擢して、画面内の動きは控えめにしつつも「テーマ(=今回は観察)に沿って魅せる」ことを丁寧に表現できたこと。また、作品の中でも特殊な回ので、中盤における良いスパイスになっていたのも好きな回として挙げる理由です。

具体的に、何かしらを観察をする時に必須な道具として「目」があるのは間違いなくて、そういったパーツを印象づけるために"バストショット""瞳のアップ"を多用している点が、コスト削減を連想させるどころか、テーマの強調や話数への没入感に繋がっていて良かったです。個人的にはシャフトが好きな面もあるので、八瀬さん回は好きですね。

視聴して頂いた方はわかると思いますが、単純に作画が綺麗なだけでなく、特殊効果や撮影処理をマシマシにすることで画面を豪華で贅沢にするカットがこの作品にはいくつかありますよね。

基本的には「私たち(=視聴者)」にとって作品の重要な場面を"豪華"にすることで、展開に対するクソデカ感情と合致させる意図がある中、画像は単純に「明日ちゃんが蝶と遊んでいる」なんてキャラクター的には普遍的な場面なのに、なぜか印象的な場面として植え付けられる見せ方をしています。

実は、観察大好き大熊さんがアバンに興味津々で目撃した昆虫たちの姿も特効や撮影処理を施して"豪華"になっていることから、同様の処理を施されている「明日小路」も、大熊さん的には生物達と同等の興味がある観察対象として魅せられてしまったことが伺えるカットと思える情報量が良いです。

もちろん、視聴者にとって重要であり、物語の最高到達点と呼べるパートにおいて、作画コストを贅沢に割いた豪華な画面作りをする形も非常に大好きなんですけど、『明日ちゃんのセーラー服』は作品の世界における、作品のキャラクター達にとっての運命的な瞬間で"豪華な画面"になる点が、非常に上手く取り入れられていた気がしますね。

終盤に挟まれた峠口さんのエピソードは若干の唐突さを否めない方もいると思いますが、明らかに受験の時と姿が変わっている人間を関わりの少ない日常で気づくのは難しかったりするのかも。

峠口さん的にはやり取りの中でも受け手であり、探している対象の明日ちゃんが「1人だけセーラー服なうえに学園生活も目立つ」ため、印象が変わっていても気づくことは出来ましたが、明日ちゃん的には受験期と印象は違くても、特に目立たない峠口さんを思い出して見つけるのは難しいですよね。

でも、彼女はここまで大熊さんと「観察」をして相手を知ろうとする行動をしてきたからこそ、あの時に渡したハンカチであったり、片隅でも頭の中に残っている姿やエピソードから、峠口さんを認識して邂逅することが出来た流れまで素晴らしかったと思いますし、テーマの「観察」が効いていました。

7話「聴かせてください」

絵コンテ, 演出:Moaang

最高傑作回でした。間違いなくベスト話数。
展開的には、出来ないことを「出来る」と勢いで言ってしまったために奮闘するといった"定番"も良いところなんですけど、まるで1つの映画を魅せてもらったように感じてしまう逸品でしたよね。

何かこう一緒にするのは申し訳ないけど、アニメを作れないけど「アニメの○○たまらない」と語ってしまう人間にとっては、ギター弾けないけど「エレキが最高なんだ」と謳ってしまう蛇森さんの姿にはどこか共感をしてしまう部分がありました。

今回はテーマに「積み重ね」があったと思います。

何事も積み重ねをする際には「時間」が必要になるわけですが、どうしても話数の24分間で説得力のある時間経過を感じさせるのは難しい中で、この甘さが「尺不足」と思われてしまう最大の要因だと勝手に思っている中で、見事にそれを描いてきたのが圧巻だったんじゃないかなって考えです。

家を出る時には服がかかっていない一方で、家に帰った時には服がかかっている"ハンガーラック"であったり、同じような時間帯に戸鹿野さんが帰宅してきたり、小路が妹と日課で行っているストレッチなど、個人にとって当たり前の「日常」を視聴者である私たちにも違和感なく差し込むことで、練習するには十分な「時間感覚」を与えている。

他には、戸鹿野さんや小路が部活の練習に日々励んでいる光景であったり、テレビから聞こえてくる内容が途切れ途切れで聞こえ、最終的に終止形になることで「聞こえてたテレビの話終わったのか」と数分の経過を感じさせたり、蛇森さんと戸鹿野さんが会話を繋ぎつつゲームを始めてから終わるまでの一部始終を確実に映したり、自然な「時間経過」を与えられているため、蛇森さんがギターを披露できるまでの道のりに違和感を覚えませんでしたよね。

あとは「光」と「影」の加減も良かったです。
ブログは言葉を綴る場所ですが、言葉では表現するのが困難と言っていいほどに何とも言えない感情にさせられる明暗具合が絶妙ですよね。少しラフな言い方なんですけど、所詮は蛇森さんがギターを弾けるかどうかの話であって、それが日常や世界に大きな変化をもたらすことはほとんどありえません。

それでも、彼女にとっては重要な場面であり、学校生活や放課後に抱くセンチメンタルな感情や、葛藤している気持ちを表現するよう、温かさを孕んでいる「光」と胸が少し締め付けられるような「影」によって繊細な感情が伝わってくるのが良いです。

ギターを披露しようとした矢先、次元の違うピアノ演奏を耳にすること。それに横で感動する小路を目にすることで「やっぱり弾けない」と逃げようとするのも定番展開ではありますが、それを定番と思わせない画面が大傑作の理由だと思います。

素晴らしいピアノ演奏を聴いて「格の違う光」を目の当たりにしてしまうこと、現実同様の時間経過をここまで見せていたのに、兎原さんが音楽室に辿り着くまでの時間は"スローモーション"になるくらい木崎さんのピアノは圧巻だったこと、まるで別世界に入り込んでしまった彼女の状況を代弁するように画面のアプローチが変わるギャップが良いです。

表情豊かで、コード進行が上手くいかずにイライラしている面は何度か目にしたものの、本当に悔しがっているよう「下唇を噛む」までに感情が募ってしまった変化が生まれたのもこの瞬間で、日常に対する「非日常」が此処ぞとばかりに一気に詰め込まれていたのも、ドラマチックに感じました。

ギターのチャックを締める芝居にも胸がギュッとなりましたが、これも小路が位置する場所とは反対にチャックが向かっているので、蛇森さんは物理的にも精神的にもギターと小路から逃げようとしているのが明確にわかるカットだったと思いますね。

最後はギターを披露して良いエンディング。
蛇森さんが小路の表情を伺うように下から覗き込んでいる感じの目線だったり、「上手く弾けた気はするけど大丈夫だったかな」みたいな、満足と不安が混ざり合っている数秒間がたまらなく好きです。

蛇森さんが大袈裟に喜ぶ様子もなく、部屋に帰って前よりも少しだけ意気揚々と練習していること、他には、少し気にかけてくれたものの普段通り帰って話してくれる戸鹿野さんであったり、また妹とストレッチをしている小路の習慣といった、ギター披露前と行動自体は変わらない「日常」に戻っていく終わり方まで、最高な話数だったと思います。

Moaangさんは超絶作画マンという認識で、今回は初めての絵コンテ演出になっていましたが、そういう畑出身の人は無茶苦茶なパースと言うか、面白いけど書きづらそうなフィルムを作ろうとするのかなって何となく思いましたね。

私が大好きな『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』11話や、今作の10話でも絵コンテを担当した伊礼えりさんも、元々は超絶作画マンという認識だったんですけど、たまに自分が描けるから描いてしまったのだろうかと思わせる画面が差し込まれると、楽しい気分になります(笑)

9話「せ〜のっ!」

絵コンテ:舛成孝二
演出:神谷望夢

本が大好きな古城さんのお話。非常に良い話数。

今回は古城さんが「本が大好き」「諦め半分の作家になりたい夢」等、そういった部分に焦点を当てやすい話数になっていたと思うんですけど、まずは序盤からいきなり"2分程度の沈黙"を貫くといった若干攻めた演出が気になるところでしたね。

古城さんは、小路が途中から隣に乗ってきたことや下車予定のバス停に気づかないといった「大好きなものへの集中力(=読書)」を披露していることで大好き加減が伝わってきますし、"バスの中"なんて狭くて限られた空間であるのにも関わらず、退屈さを感じさせない画面作りが良かったです。

ショッピングモールに入った際も、もちろん周りの皆と同じようにアクセサリーや試着などを楽しみつつも口数は少ないことに対して、本屋を見つけた瞬間は嬉しそうであったり、木崎さん達に向かって饒舌に話し始める様子から「この子は本が大好きなんだな」と容易に理解できたと思いますね。

少し話は逸れてしまうのですが、『明日ちゃんのセーラー服』には「フェチ」を感じる視聴者が多いと思いますし、未読ですが、それは原作からアニメ制作陣まで共通している認識の要素だと勝手に思っています。

ただ、ずっと強調されるのは見づらいんですよね。
この作品は基本的に「フェチ」とそれを余すことなく伝えることが可能な「繊細な画面」を持ち合わせているため、胃もたれしてしまう時があります。

ですが、今回は上記の画像のように、木崎さんがアニメっぽく顔真っ赤で照れると同時にSEもふざけていたり、ショッピングモール前で騎馬戦の形を組むといった斜め上の非日常さが、逆にアニメの中のキャラクターである安心感を与える材料になっている気がして、すごい見易かった印象ですね。

さてさて、「栞」が飛ばされてしまう。
皆さんご存知の通り、栞は途中まで読んだページを忘れないように挟むための道具ですが、彼女は行きのバスで読み終えたのに「了」のページで再び栞を挟んだままでいたんですよね。

もちろん、栞を単品で持つわけにもいかないために挟んでいると思いますが、古城さんの「栞が付けられた風船」が飛んで行く際、彼女の過去回想に切り替わり、幼少期からの「本との思い出」まで飛ばされてしまいそうになる演出を考慮すると、栞の挟まれていない「了」のページは、彼女と本との思い出や関わりまでも「了」になってしまうといった解釈も含まれている。なんて思えたりもしますね。

続きを読むための「栞」ですから、失くなってしまったら今後も作り上げていくであろう「本との思い出の続き」を読めなくなってしまう。そんなことも考えられる演出だったのではないでしょうか。

序盤から「本が好きである」ことを効果的に伝えることが出来ていたため、過去回想を重ねると、心の内ではどうしても栞を忘れることは出来ないんだろうと説得力を付与できた話数だったと思います。

また、木崎さんたちにジャンルの趣味や作家になりたい夢はないのかと問われた際、「どんなジャンルでも読む」「書きたいテーマがない」と言っていたのですが、雨の中で舞い踊る小路を見て「こういう子を書いてみたい」と古城さんが口にするシーン。

ここまでの好きな話数を思い出して頂ければ分かるかもしれませんが、私は明日小路が色濃く出ている話数はあまり好きではなくて。それは、普遍的な雰囲気を持っている作風や登場人物に対して、明日小路という存在の主張が激しく、浮いている感覚に陥ってしまうからなんですよね。怒らないでね。

しかし、明日小路は元々、物理的に周りに誰もいない小学校生活を送っているため、どこかズレた感覚を持っているのは仕方ないといった設定が効いてくるのも面白いと言いますか。そういった印象を持ってしまうのも当然と言えば当然なんですよね。

創作における主人公やテーマは全てとは言わないものの何処か「非日常」「非現実」を持ち合わせていることが当たり前です。それを頭に入れながら考えると、古城さんにとっても「明日小路」はそういった類に存在していて、だからこそ「書きたいキャラクターやテーマ」になったのではないのかって考えるのなら、全てに納得がいく気がしました。

栞を挟んだ「了」のページ、明日小路の存在感が強すぎる理由など、本をテーマの軸として物語を進行させつつも解釈が膨らむ要素の多い話数、そして非常に見易い話数として、素晴らしかったです。

何と言っても、序盤で古城さんが「栞を落としてしまうカット」を差し込まなかったため、どこに落としてしまったのか、いつ落としたのか、その後はどういう運びで風船に括り付けられたのかを最後まで知らないまま観れたこと。それが、特に素敵な配慮と構成だったのかもしれませんね。

全体の振り返り

最後に『明日ちゃんのセーラー服』の軽い総括。

ここまで書いたように、この作品は話数が持つ「テーマ」に説得力を持たせると言うか、違和感を抱かせない描き方を出来たからこそ、彼女たちの何気ない日常における行動。そこから生まれる、キャラクター個人個人の「可能性」に、親しみを持って楽しむことができたのではないでしょうか。

所詮は女子中学生の日常風景であり、同級生との学校生活で「人生が大きく変わった」なんて感銘を受ける人間はそれほど多くないと思うんです。

だからこそ、彼女たちは明日小路との関わりを通して、性格や生活がガラッと変わった人間はなく、基本的な生活は今までと変わらないにしても、その瞬間は何か「特別な発見を得た」と思える程度の展開と画面作り、それに付随したささやかで綺麗な日常風景に親近感と安心感を覚えたような気がします。

また、話数に対して一人ずつ一人ずつ丁寧に描いて関係性を育んできたからこそ、終盤の11話や12話に対する感情の説得力。さらには何とも表現し難い底知れぬ満足感を抱けたのではないでしょうか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
以前なら、11話や12話まで語り尽くしていそうですが、大量の文章は書く側も読む側も疲れること間違いなしなので、今回はこの辺で記事を締めさせて頂きたいと思います。ちょうど良い量でした。

どうでもいい話ですが、龍守さん好きです。
古城さんの服装も好きです。
文学少女がオーバーオールを着るギャップ最高。

次回は何を書くのか。次回があるのか。
分かりませんが、また機会があればぜひ。

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久々に書いたからね。気が向いたらお話してね。
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それでは、良いアニメライフを🎈

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