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お笑いばかりの日々だったけどインターネットに出会ったのも中学かもなあ

くいしんのこと4

どうも、小田原生まれ小田原育ちのくいしんです。いまは都内で、Webディレクターという仕事をしています。小学生の頃、よく覚えていることと言うと、日曜の夜に父がテレビを見ていて、20時からはフジテレビのごっつええ感じを見て、笑っていたことだ。

僕はその頃からか、中学に入ってからかはよく覚えてないけど、いわゆるテレビの「お笑い」の虜になっていた。ダブルミリオンを記録した松本人志『遺書』を読んだのも、ガキの使いのビデオを毎日のように見ていたのも中学の頃である。それがあって高校卒業後、NSC東京という吉本興業(当時)の養成所にいくことになる。

くいしんのこと1

くいしんのこと2-幼稚園の頃の夢は本屋さんになること。

くいしんのこと3-くいしんと神聖かまってちゃんのの子が書いていた漫画の共通点とは!?

中学生の頃の記憶は驚くほど曖昧だ。ほとんど何も覚えていない。思い出そうとしても、断片的に、ぼんやりと友だちとスマブラをしていた記憶が蘇ってくるくらいだ。体育は嫌いだった。家に帰ってほとんどの時間をお笑いに費やしていた。その他にやったことと言えば、ジョン・レノンの伝記を読んだことくらいしか覚えていない。

当時は携帯電話が若者のもとにも普及し始めたくらいの頃で、僕らは携帯電話ではなく、PHSを使っていた。みんななぜか、PHSだった。たぶん、月々に発生する使用料金が、携帯電話よりも割安だったからだと思う。普段は恥ずかしくてうまく話しかけられない同じ学年の女の子にも、ショートメッセージ(そんな呼び方だったような?)であれば、簡単に声をかけることができた。いま思えばそれは、自分にとって得意なものが「口頭(トーク)」ではなくて、「書き物」だということを自覚させてくれた出来事だったのかもしれない。

そうえば、父に手伝ってもらって、パソコンでチャットをやったのは衝撃的だった。

なんとかさん「こんばんは!」

ゲストさん「こんばんは」

なんとかさん「ゲストさんはいくつなの?」

ゲストさん「中学生です」

なんとかさん「え、マジかよ! 時代変わったなーwww」

こんな感じのやりとりをしたような気がする。なんてことはないけど、「すげえ、どこの誰かもわからない人と会話した!!!」というショックがあったのはたしかだ。お笑いばっかりの日々だったよなーと思いながら書きだしたこの文章だったけど、結局、インターネットから受けた影響について書いていた。今日も僕はこうしてnoteを更新している。

ビジュアルは、同期の芸人だった中田さんの本。

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