誰かが知って、生まれる存在
誰かが知ることで初めてそこに存在が生まれる気がした。
私の隠した心の闇はどこにも存在しない、だって誰も知らないから
私はただ、社会を遠くから観察する。
世界が本であるなら読者のような立ち位置だろう。
たった一つ、私が世界に干渉するのは誰かに知ってもらうこと
昨日、私は夜中に食べたペヤングの写真をインスタにあげた。
反応が一人二人と増えていくにつれ、お腹にペヤングの存在が生まれる。
反対に私の負の感情は知ってもらうことで減っていく、
まるで反比例のようだ。
ペヤングを食べた罪悪感は共有することで、誰かにこの感情を預けたように安心した。
毎日、twitterやインスタを使うにつれて、
この知られる力に依存しそうになる。知ってほしいという欲求が止まらない。
友達にも、先生にも、親にも、他人にも、私のことを知ってほしい。
この理由のない死にたい感情、悲しかったこと、今日したゲーム、見たyoutube
全部、嫌なことは誰かに預けて、楽しいことは存在してほしい。
このnoteも私の存在を示したい欲求の塊なのかもしれない。
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